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逆転段階はこれから

  歴史の転換期には一定のパターンがある。

 

  逆に言えばこのパターンに沿わなければ歴史は転換せず停滞する。

 

  今がまさにそうである。「失われた10年」が20年になり、30年になっている。

 

  パターンを理解するには、昭和のベストセラー「ものぐさ精神分析」シリーズの中で著者・岸田秀氏が紹介した4段階が分かりやすい。

 

  「対立→逆転→移行→統合」である。

 

  似たようなものには「序→破→急」や「守→破→離」などがある。

 

  この4段階にもう1つ最終段階を付け加えて5段階にしてみる。

 

  「対立→逆転→移行→統合→完成」。

 

  例えば戦国時代の場合、末期的な室町幕府を尻目に各地に戦国大名が群雄割拠して分国法を作ったり相争った段階が対立、織田信長による旧習打破が逆転(織田がつき)、(羽柴がこねる天下餅)が移行、(うまうま食うは徳川)か完成、その間に本多正信のような参謀が統合作業を進めた。

 

  平安時代末期の場合は藤原摂関政治と対立した後白河法王の院政、貴族の世を終わらせた平清盛が逆転、源義経の一ノ谷や壇之浦での活躍が移行、源頼朝が完成で、頼朝を支えた初代執権の北条時政鎌倉幕府への統合を進めた。

 

  同様の考え方で並列していくとこうなる。

 

  大和時代から奈良時代への転換期には、「蘇我入鹿中大兄皇子(大化の改新)→高向玄麿→中臣鎌足天武天皇」。

 

  次は奈良から平安・・・いや、大事なのは現代である。戦前から戦後の転換期の場合、

 

  「東條英機ら軍部が台頭した対立段階→マッカーサーGHQ財閥解体や農地改革を行った逆転段階→吉田茂による経済中心への移行段階→三木武吉自由党民主党を合体させた統合段階→自民党初代総裁になった鳩山一郎の完成段階」となる。

 

  その自民党鎌倉幕府の執権や足利将軍、徳川将軍と同様に15代の宮澤喜一で一旦終わり、細川日本新党が短期間政権をとった。ここに暗躍した小沢一郎は今も政権交代や二大政党制を呼び掛けているので対立段階とは言える。

 

  では逆転段階は誰なのか? 小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す」とは言ったが特に何もなく、今も腐敗した自民党は続いている。

 

  その前の橋本龍太郎は省庁再編で大蔵省を財務省に改名した張本人だが、破壊より創造的に近く、逆転段階ではない。

 

  現代の安倍~菅政権では腐敗政治ここに極まれりと言えるぐらい末期的で、人材も枯渇している。だからといって蓮舫たち野党ももう真っ平御免と言われている。まだ小沢一郎は健在だが。

 

  ということは、現状の「腐敗自民と弱々野党」という絶望的な対立段階を打開するどこかの誰かの何かがもしどうにかすると、これこそが逆転段階と言える。

 

  第一候補は菅首相からも壊し屋と期待された河野太郎行政改革大臣だが、印鑑廃止を唱えると全国の印鑑屋から突き上げられておとなしくなるなど、壊し方がセコくてマッカーサーに比べると小さい。

 

  それでは維新の会を立ち上げた口達者の橋下徹か? 大阪の暴れん坊、松井一郎か? 人気者の吉村洋文か? 彼らも大阪都構想で破壊を試みたが2度の住民投票で否決されて敗北宣言した。

 

  ちなみに過去の逆転型には、鎌倉を急襲して滅ぼした新田義貞や、功山寺挙兵後に電光石火で長州の各要所を押さえた高杉晋作などスピードが特徴的で、中大兄皇子の入鹿暗殺や織田信長桶狭間の合戦、平清盛も保元平治の乱では素早く決着をつけていた。

 

  外国に目を転じると、三國志では幼少の皇帝を傀儡にして漢と対立した董卓を破り、官渡では素早く勝利した曹操が逆転、古代ローマでも「賽は投げられた」と叫んでルビコン川を渡ったシーザーも逆転、養子のアウグストゥスは初代ローマ皇帝になったので完成型といえる。

 

  また、ソビエトの最後に書記長となってグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)を断行したゴルバチョフが対立段階、戦車の上に立ってソビエトを素早く倒しロシアに変えたエリツィンが逆転段階、そして元KGBの優秀なスパイで長期間君臨している現プーチン大統領が移行段階と思われる。

 

  4段階目と5段階目が誰になるかは、ロシアをどんな国にするか、それともどこかと合体したものになるかで見えてくるが、まだよく分からない。

 

  同様な例で日本の思想家集団の場合、既存の学界とは一線を画してメディアにもよく出ていた西部グループの総帥・西部邁が対立段階、西部との共著が多い右腕的な佐伯啓思がただ否定ばかりで新しいものを生み出さないので逆転段階、西部の教え子の中では顔回サーリプッタヨハネ的な感じで今は現代貨幣理論(MMT)を広めようとしている中野剛志が移行段階と思われる。ただこちらも4段階目と5段階目が見えない。

 

  4段階目の人は統合を進める補佐型なので、中臣鎌足北条時政足利直義本多正信薩長連合を進めた坂本龍馬、社会共産の拡大に対して保守合同を行った先述の三木武吉などまあまあな人物が多い。

 

  逆に5段階目の人は完成型としてのお飾りであればよく、源頼朝足利尊氏徳川家康大久保利通など高いカリスマ性が明晰さや破壊性・創造性よりも最も求められる。

 

  3番目の移行型(創造豊かな才あり)はたとえ身分が低くても5段階目の人につけば成功率は高いが、つかなければ源義経楠木正成、秀吉(の豊臣家)や海舟のように途中退場する。

 

  まして1番目の対立型は、後白河法王や後醍醐天皇武田信玄西郷隆盛のように最後の勝利者とはならない。1980年代末から活躍して小選挙区制や二大政党制など対立段階を築いた小沢一郎もそうである。

 

  だから現代は対立の話はもういい。選挙で自民を倒そうなんてのももういい。

 

  病根となる患部を素早く急襲して一気に破壊することが望ましい。新田義貞高杉晋作織田信長のように。

 

  戦前も軍部政権が長引いてなかなかそれが現れず、つまり晋作を最後に日本には出てこず、結局敗戦で東條英機を処刑して対立型の時代が終わった。フィリピン敗戦後にいったんオーストラリアへ撤退し、反転して日本海軍の隙間を縫うように飛び石作戦で各小島に飛行場を作りながら接近してついに厚木に降り立った「アイシャルリターン」のマッカーサーが外国人ながら逆転段階となった。

 

  今度はアメリカ人でも◯国人でも、まして中国人でもない人がいいのだが・・。

 

  そして3~5段階目はどうなるのか? 気長に待つとしよう。

 

※後日追加

小沢一郎宅への東京地検特捜部の急襲は上記のようなスピーディさはあった。

・では小泉竹中は逆転段階だったのか? 確かに日本の雇用習慣を破壊して評判は悪い。

竹中平蔵は今も菅政権のブレーン。菅総理とは郵政民営化という破壊で共闘した。

・菅&竹中&河野で破壊はまだ進むのかもしれず、3~5段階目が待望される。

 

 

 

 

  

 

  

 

 

  

 

  

薬をやめたら健康になった話

  ヤフコメに書いたら意外にいいねが多かったので、期限がきたら消える所よりこちらにも書いておく。

 

  一時期、人手不足から早朝出勤になり、帰宅も遅いので日々の睡眠時間が4~5時間ほどになったことがあった。

 

  日中の疲れをドリンク剤でカバーしていたものの、アラフィフにもなると筋肉の疲労が膀胱辺りにもくるようになる。

 

  さすがにまずいと思い、ある錠剤を思い出した。凄くよく効くのだが、CMで宣伝してないからかあまり店で見かけない。ドリンクの方が有名だ。

 

  見つけ出して夜寝る前と朝起きた時に1錠ずつ飲むようにすると、睡眠が短時間でも疲れず仕事できるようになった。

 

  1瓶なくなりそうになった頃、高いけどまた買って頑張ろうかと思っていたところ・・、

 

  心臓に痛みを感じた。

 

  痛い時があるではなく、ずっと痛い。何が原因かは分かる。体が睡眠を求めて悲鳴をあげているのに睡眠をとらず、薬を飲んで元気なつもりでいたからだ。その間に密かに進行していたことが心臓への過度な負担だった。

 

  病院に行くことも考えたが、休む訳にいかず、ネットで調べて心臓に効くツボを押さえてみたり、愚かにも胸の上にロキソニン湿布を貼ってみたりしていたが、効かないのでやめた。もしかして死ぬのか?

 

  そういえばシングルマザーが昼は工場、夜は接客業で夜遅くまで働き、ドリンクも飲んで何とか子供のために無理をしていると入院してしまい早死にする話がよくある。こういうことだったのかと実感した。

 

  ちょうど人手不足が解消し通常の睡眠時間に戻ったので、薬を飲むのをパッタリとやめた。ドリンク剤も飲まない。ググるリポビタンDと心臓とがセットで出てきたりする。何か飲むとしても野菜ジュースとかニンニクをすりおろしたものをスープか何かに入れるぐらい。

 

  半月ほどすると心臓の痛みは自然治癒ですっかりなくなり、今はもう何も違和感がない。そもそも副作用のない薬なんてないとも聞く。これを勧めた人も確か言いにくそうに毎日飲んでる訳ではなく、疲れが酷い時にたまに飲むと言い、毎日とは言ってなかった。こんなことがあったからかもしれない。

 

裏の法則は自由意志とは無関係

  人には自由意志がある前提が通じない事が時々気になったりする。

 

  統計で毎年の出荷量や事件事故の数、人の出入り(交通量)、来場者数などがだいたい似ていると、個人個人ベースでは昨年行ったから今年は行かないとかあるはずなのに、なぜ全体ではあまり変わらないのだろうと思う。

 

  ただ最近はコロナの蔓延もあって若干変わるかもしれないが、それは後述するとして、まず自由意志とは無関係に統計数値がほぼ同じになる話の理由から推測したい。

 

  というのは誰も言及しないからだが、確かに今までの学問では説明がつかない。私は自説の考え方から、それは個人個人に大きさの違う歯車のようなサイクルがあり、例えば頻繁に通販を利用する人もいれば長期間の間隔があく人もおり、その人数のバランスがエリアごとでだいたい決まっている。だから県別の各数値が毎年一定になると思っている。

 

  この購入サイクル(事件事故や来場者数含む)は、いわゆるライフサイクルと近いが、既存の経済学の限界効用逓減説や眩示的消費とも違う、サイクルがくれば出費したくなるものである。自由意志とは関係なく。

 

   どんなサイクルかは自説「状態と機能の話」参照。

 

  さて、自由意志とは関係ない話のもう1つが周期説である。何年か経てば何かが起こるというものや、ある段階が順番に巡るというものがあるが、特に最近は「東京30年周期説」が気になる。パソコン画面の右側上にある、ブログ1回目の記事である。

 

  2020年は東京オリンピックに絡む変化だと以前書いていたが、どうもそれがコロナかなと思えてきた。飲食店は潰れ、銀座など夜の街は議員叩きもあって静かになり(雀荘検事総長叩きがあったが)、竹下通りも静かになって地方の娘が憧れなくなり、リモートで拠点が散らばり、電通やエイベックスなど本社が売りに出され、明らかに前の30年とは異なってきた。

 

  これからどんな30年になるかはしばらく後にならないと分からないらしい。

 

  ただ自由意志とは無関係な裏の法則を気にして行動すれば、例えば部分改革ではなく全面的な見直しを行い、大胆な連合が行われたりすると思う。

 

 

 

 

 

 

求められる新哲学とは

   なぜか軽視されがちな哲学だが、歴史を振り返れば時に停滞を打破する凄いカギになり得る。

 

  例えば17世紀にフランスの哲学者が理性を発見してから近代が始まったし(デカルト)、遡ればギリシャの黄金期も哲学が隆盛だった(ソクラテスプラトンなど)。

 

  最近の中国は香港の選挙制度を見直して民主主義を除こうとしているが、これは世界の哲学史的な流れとはまったく逆行しており、逆進すればするほどその差は開く。至るところは前近代的な昔懐かしい時代の再現であり、そんな最も世界で遅れた国に諸国はソッポを向き始めた。経済も貿易相手が減れば内部循環型と嘯(うそぶ)いても傾くだろう。

 

  ところで、市販の哲学史本はサルトルデリダで区切りをつけてもう30年以上になる。インターネットやスマホ、ユーチューブの普及で新しいスタイルの哲学があっても良いはずだが、特にオオモノは出てこない。

 

  経済学でマルクスケインズの「大きな政府」に対して「小さな政府」を唱えたハイエク新自由主義が、経済分野の垣根を越えて、サッチャーレーガン、中曽根をはじめ、小泉竹中などの哲学信条にもなっている。

 

  今の菅総理や麻生副総理も「自助」を説いているからこの哲学に属する。というか、他にないので仕方なくそうしているように見える。コロナで大変だからと公助を使おうにも自助という拘(こだわ)りが邪魔して出来ないでいる。

 

  要は哲学関係者が30年間ずっと怠けている。もっと新しい哲学の開発や探索、評価と採用に力を入れるべきなのに、結果として何も出てこない。従来の発想を全て網羅した上でないと新哲学の価値は分からないから、ここはもっともっと哲学界が働くべきと思う。

 

  私自身は、これからの哲学は新自由主義のような反ケインズ(マルクス)のための一点突破では汎用的な有効性はないと考えている。

 

  汎用のため視点を広くとってみれば、6つの“極”が大事だと至った。

 

・「幻想」と「現実」

・「財産」と「資本」

・「権利」と「義務」 である。

 

  まず分かりやすいところから、「現実」とは身長や体重、出身地や現住所、所属先など。これに「財産」を加えたり、「資本金」を加えても自己紹介時の自己といえる。自己は自我と違ってもっと広い自分である。

 

  「権利」と「義務」は法的なもの以外にも、家庭や地域、職場のもの、慣習やマイルールまで様々ある。

 

  「幻想」というと分かりにくいが、夢や理想、方向性、掲げる信条などと言えば自己紹介でも使う。これら6つの“極”を個人に限らず物事を見極める基準として活用し、整えていく。

 

  メインサイト「状態と機能の話」ではこの6つを記号化している。

 

・「幻想」をY、「現実」をW

・「財産」をY'、「資本」をW'

・「権利」をY"、「義務」をW"

 

  そして、停滞中の幾つかの課題にこの6つを記号で整理する。例えば少子化の場合、

 

・Y:結婚願望の割合、昨今の結婚観

・W:適齢独身者の数や既婚者、離婚率等

・Y':本人の年収や条件

・W':資金や式場

・Y":婚姻の自由度

・W":養育の義務や勤労の義務、不貞の罰則

 

  など挙げられるが、多くの人が金銭的窮乏を挙げているので自治体によっては補助金を増したり出会いの場を設けたりしている。

 

  しかし、ヤフコメにも増えているが多様な生き方を理由に独身でも良いという見方が広がっており、Yも整ってはいない。

 

  生物学的には他の遺伝子と組み合わせることによって環境変化にも耐えられる強い個体をつくり、生き残るために雌雄がある。雌雄がないのはウィルスと同じで、変異しなければアルコールぐらいで死滅する。

 

 他にも国際問題や東京オリンピックの是非、コロナ対策など、一点突破や破壊などではなく総合的建設的に進めるなら6つの極は非常に有効になると思う。

 

 

 

  

  

 

 

  

(晴天を衝け) それが男!

  今回のタイトルは「栄一 仕事はじめ」。

 

  今までも父の手伝いで仕事自体はしていたはずだが、どういうことかと思って見ていたところ、せっかく育てた藍の葉が虫に食われる被害に遭ってしまった。

 

  このまま何もせず、近隣の村々を回って藍葉を買い付けたりしないと生計が立てられなくなる。父がすぐに出掛けようとしたところ、栄一が自分も他の村々を回って買い付けたいと申し出る。名優・小林薫演じる父は「馬鹿もん、お前みたいなまだ若い見る目がねえもんができるか!」と叱りつけて出発した。

 

  残った母に栄一は土下座して頼み込む。母も姉も無理だと言うが、ついに和久井映見演じる母は銭を渡して行かせることにした。

 

  結果は父が褒めて満足するほどの買い付けができ、栄一は商売の面白さを心底実感した。

 

  厳しいルールや取り決めがあっても、状況の変化に応じてルールを破ることこそ男の特徴の1つであり、それが失敗したり悪い結果をもたらすこともほとんどだが、たまに大成功して全体を進ませた話が歴史上のレジェンド(伝説)になる。

 

  男女の違いでもあり、女も今回の和久井映見のように優しさからそう行動することもあるが、男の方がルール破りはもっと規模が大きなことができる。

 

  先日、森喜朗IOC会長が失言で世間の猛批判を浴びて退陣するに至った。「今時古い男女観」と言われるが、実は森氏の子は娘ばかりの女が強い家庭で、「話が長い」は女性蔑視ではなくただ男女の違いを言ったに過ぎないという記事もあった。

 

  批判者たちの何でも自分の価値観と合わないものを昭和だの古いだの言って圧力を加えるやり方はどうなんだろう? 

 

  それで取り決めを守り、公人たちが失言に注意しておとなしくなる間に、ユーチューブやボーカロイドの自由な若手が台頭してきた。

 

  ルールなら何でも破れという訳ではないが、コンプライアンスというアメリカで生まれた規制のやり方(自由な国の悪い側面から出来た)が、日本で「法令遵守」と訳されて入ってきた辺りから、漢(おとこ)が減っていったように思う。そこそこ法令を守っていた国なのに過剰に過敏に100%遵守を強いられるようになったからだ。

 

  今回の黒船の話と同様、現代の日本もコロナやら中国やら五輪など、難題は山積している。そんな状況を打開させられるのは男の中の男しかいないと思うが、現実にはなかなかいない。

 

  最も立場上英断をくだしてブレイクスルーが出来る所にいるはずの菅総理とて、セコいルール破りや萎縮しまくった挙げ句、最近「俺は(首相の)ガラじゃない」と洩らした話が記事化されて出回ってしまった。

 

  今だけを見ず、二階の目だけを見ず、後世とかお天道様とかの目を気にして旧い慣習を破ることこそ大事だと思うし、それこそ男の理性と行動力であり、同性が尊敬して異性が惚れる特徴ではないだろうか?

 

  ネットを探しても出てこない名言だが(40年前に本で知った)、ニーチェがリスペクトしたショーペンハウアーという賢い哲学者は、女嫌いで知られていたためパーティーの席で女性からこんな質問を受けた。

 

  「ねえショーペンハウアーさん、男と女ってどっちが賢いのかしら?」

 

  もしストレートに「男の方が賢い」と答えたら女性たちが蔑視したと大騒ぎして悪評を振り撒くところだが、

 

「そりゃあ賢いのは女ですよ」

と返答した。

 

一瞬だけ喜びそうな表情になるところへ、

 

「だって男は女と結婚するのに、女は男と結婚するんですから」と付け加えたという。

 

  これぐらいの機知には寛容な、高い教養に満ちた時代が望ましいと思っている。

 

※歌詞の中にルールが入っている歌

https://youtu.be/cA0KF6IOM7Q
https://youtu.be/cA0KF6IOM7Q

 

 

 

ゆで麺のレンチン

  サブタイトルに“雑感”とつけたので軽いものも書く。今回はデフレ時代にふさわしい話。

 

  毎朝のご飯は冷蔵庫からレンジでチンして食べていたが、どうも1杯だけではすぐお腹が空く。そこで追加でパンやカップ麺を食べると食費がかさむ。

 

  ふと、スーパーや100円ローソンで見かける30円ほどの「茹で麺」を活用してみると、これが意外に良かった。主な調理法?は、

 

  うどん

・レンチンして容器に入れ、「白だし&お湯&おろしニンニクorしょうが」をかける。

・玉子&醤油と混ぜる

レトルトカレーを使う。

カップうどんの残りスープに入れる。

 

そば

・レンチンして「めんつゆ&わさび」をかける。十分うまい。

 

ラーメン

・「中華スープ&おろしニンニク」をかける。

カップ麺の追い麺に使う。

 

焼そば

・レンチンして「お好みソース」と混ぜる。

・パスタソースでも可。

 

  夜に小腹が空いた時も30円で解決するのでおすすめ。

 

 

 

 

 

混迷を深める現代に対する歴史哲学的な解決策

  歴史にはしばしば「2大対立」が見られる。

 

  わかりやすく日本史を例にとると、例えば「源平(源氏と平氏)」という日本中の武士団の対立軸はよく知られている。

 

  しかし源平合戦の対立軸は一時的なものに過ぎず、次の大きな対立軸は「南北朝時代(大覚寺統持明院統)」と言える。更に時代が下ると、「豊臣対徳川」という対立軸が全国的にあり日本列島の中央で関ヶ原の合戦が起きた。

 

  何が言いたいかと言うと、現代の「与党対野党」やアメリカの「共和党民主党」という左右対立を俯瞰的に見て、現実や未来まで見通しながらこの対立軸の呪縛から我々は離れてみた方が良いのではないか、そうしないと前に進めず、いくら選挙を繰り返しても同じではないかと考えたからだ。

 

  もう少し歴史を振り返っておこう。今度は源平の前に遡るが、大和時代には「蘇我対物部」という、仏教導入派と仏教反対派の対立軸とがあった。その後は「天智天皇派対天武天皇派」という対立軸から関ヶ原と同じ場所で壬申の乱が起きた。

 

  幕末になると、佐幕対倒幕や、尊皇攘夷対反尊皇攘夷など入り乱れたが、例えば大久保や西郷のように本心は西洋化だが主目的の倒幕のために尊皇攘夷を装って全国の志士を動員し、逆に江戸幕府は公式に西洋化なのだが屈服と捉えられ敗北している。

 

  それらに比べると明治になって後の西南戦争の方が「西郷対大久保」の対立軸ですっきりしている。征韓論で窮乏する元武士の救済を図る西郷と今はそんな時ではないと訪欧訪米から帰国した大久保との図式である。

 

  こう見てくると、どの対立軸も共通していることがある。

 

  まず「権力は長期化すると腐敗する」という大前提の上に、このままではまずいと立ち上がる反乱や政権側の改革、改革の失敗や、ついに倒されて急進派による臨時政府、それも浅慮から失敗しつつある中で、「やっぱり幕府の方が良くね?」と内心思ったのが足利尊氏徳川家康である。

 

  島津氏も源氏なので(頼朝の子孫と公称)、明治になってすぐに久光が「ワシはいつ将軍になるのだ?」と尋ねた笑い話がある。今まで大久保に騙されていたのである。

 

  それはともかく、真に安定した次期長期政権を目指した時に二大対立軸は起きている。

 

 この対立に勝利する側はもちろん武力的に優れていることもあるが、他にも大義名分に勝っていたり、新しい知恵や文化の持ち主を身分に関係なく採り入れていたり、本当に安定した世をもたらしたいという善意の人々を組み込んだりしており、決して私利私欲にまみれてはいない。

 

  例えば源平に勝った源頼朝の側には大江広元がいたし、足利尊氏の側にも夢窓疎石徳川家康の側にも天海や藤原星窩、大久保利通の側にもたくさんの才能が集まっていた。

 

  現代の左右対立は長い歴史の中で見れば決して永遠不変ではないし、日本の場合は戦後少し経って後に始まっている。当時、社会党共産党が拡大しつつある中で危機感を覚えた民主党の老参謀三木武吉自由党緒方竹虎党首(いだてんでお馴染みの元新聞記者)に保守合同を呼び掛け、自民党が成立、初代党首に鳩山一郎が就任した。

 

  左側の背景には米ソ対立があり、マルクス主義唯物史観ヘーゲル哲学の正反合に、ヘーゲルの前にカントの二律背反があり、カントはイギリスのヒューム哲学に衝撃を受けて哲学を始めた。

 

  そのヒュームから右側は始まっており、アダム・スミスベンサム、マンデヴィル、ミルなどからケインズハイエクに至っている。

 

  昭和から平成にかけての与野党対立構図は、上記の二大対立軸のような一時的なとは言えないが、選挙の度に全国を巻き込んだ関ヶ原のような描き方をされてはいる。

 

  しかし、北条執権や足利将軍、徳川将軍と同じく自民党宮澤喜一で15代で終わると(私はその歴史法則から予言したが周囲は自民党が負ける訳がないと嘲笑っていた)、細川護煕日本新党党首による短期政権ができた。

 

  すぐに細川が投げ出し、羽田孜村山富市でガタガタになると、自民党は巻き返して橋本龍太郎政権ができた。

 

  橋本の時に省庁再編が進められ、絶大だったがノーパンしゃぶしゃぶ接待で腐敗が露呈した大蔵省は財務相に改名させられた。

 

  橋本から小渕、森、小泉、安倍、麻生などのこの自民党政権は長期化せず、また敗れて鳩山由紀夫による野党連立が勝った。これも高速道路無料化や事業仕分けなど国民ウケ狙いが目立ち、菅直人や野田と移って傾き、第二次安倍政権に敗れた。

 

  この安倍政権はいちおう長期化したが、次の菅総理で最近また腐敗ぶりが目立ってきている。そもそもだが、「自由民主党」という看板を掲げているからイコール腐敗という色眼鏡で見られて損なのではないか?

 

  振り返れば、橋本龍太郎が巻き返した時や安倍晋太郎が巻き返した時に、保守を維持しつつ違う党名を看板にして新しい人材を採り入れ、例えば台湾のオードリー・タンのような、そうすれば循環的に刷新は成っていたように思う。

 

  おそらくこのままでは、今の菅自民党は言動で度々辞任や失職を繰り返し、腐敗ぶりが嫌われて選挙で敗れ、不本意ながらまた野党が勝つのだろう。しかし野党も蓮舫や辻本、枝野では運営が行き詰まる。

 

  だからその後を見据えて、心ある人は一度自民党を解体して、老いた二階や森、麻生などではなく、若手を中心とした保守に生まれ変わり、国家存続と世界共存を目指す新哲学を掲げる側と、蓮舫たちのようなバックにチャイナマネーがちらつく側との二大対立軸をつくり、その上で勝つことこそ歴史的にも正道だと思われる。