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歴史の円環は制度疲労が原因か?

 前節のスライドショーで、円環史観のおおまかな姿は分かったと思うが、なぜ歴史が循環するのか?という謎がある。

 

 当初私は、各長期政権が15代で終わっていることについて、一定のプロセスがあると考えた。主サイト「タイバネティックスの講義録」でも14段階の状態過程を紹介している。しかし、足利15代と徳川15代が全て重ね合わせられることはできず、この考えはすぐに破棄した。

 

 とりあえず、必ず言える点として、

 

  ・戦争期と平和期が交互にくる。

  ・長期政権期と短期政権期とが交互にくる。

  ・長期政権が樹立されると、まず基本制度を定める。

  ・やがて、文化が花開く(前節参照)。

  ・長期政権は後半から制度の見直しが行われる。すなわち改革の時代である。

 

 そして、たいていの改革は失敗する。改革の失敗から、別勢力が台頭、対立する。その中から逆転・破壊活動が行われ、次の長期政権の芽が出てくる。

 

 ようするに、変革期→制度期→文化期→改革期という4つの季節が繰り返しめぐってくるのである。

 

 これは、哲学者プラトンの「民主制→僭主制→寡頭制→貴族制」の循環と似てなくもないし、頼山陽の円環史観をベースとした現代の歴史教科書の構成とも同じなので理解しやすいはずだ。

 

 最後に、制度期と改革期の2つを古代から現代まで見比べておきたい。

 

 

 おそらく、初期に定めた制度が制度疲労を起こしたことから改革を行うようになったと考えられる。しかし、なぜ制度も改革もうまくいかないのか?

 

 主サイト「タイバネティックスの講義録」を読んだ方なら、

 

    制度期が「YyOTtu」で、

    改革期が「WwOZzu」(第9講より)

 

 であるとピンと来ることだろう。つまり、人間学的に自然な流れなのである。それでは昭和後半から始まった行政改革も当然の流れとして、現代をどう考えるべきなのか?

 

 行政改革テクノクラートの官僚が小手先で技術的にイジルだけなのでうまくいかない(それが「wOZ」)。では新たな制度、すなわち新しい言葉や概念、哲学が登場するのか、というと、確かにその試みがあった。

 

 橋本総理による「省庁再編」がそれである。詳細は後述するが、いちおう新しい考え方のもとに行おうとしていたフシはある。決して成功とは言えないのは、現在特に評価されていないことからも明らかだ。他に何かあるだろうか? 今度はTPPが浮上する。これも稿を改めて詳述するが、どうも違うようだ。