真実、利益、秩序、心

「状態と機能の話」サイト管理者の雑感ブログ

求められる新哲学とは

   なぜか軽視されがちな哲学だが、歴史を振り返れば時に停滞を打破する凄いカギになり得る。

 

  例えば17世紀にフランスの哲学者が理性を発見してから近代が始まったし(デカルト)、遡ればギリシャの黄金期も哲学が隆盛だった(ソクラテスプラトンなど)。

 

  最近の中国は香港の選挙制度を見直して民主主義を除こうとしているが、これは世界の哲学史的な流れとはまったく逆行しており、逆進すればするほどその差は開く。至るところは前近代的な昔懐かしい時代の再現であり、そんな最も世界で遅れた国に諸国はソッポを向き始めた。経済も貿易相手が減れば内部循環型と嘯(うそぶ)いても傾くだろう。

 

  ところで、市販の哲学史本はサルトルデリダで区切りをつけてもう30年以上になる。インターネットやスマホ、ユーチューブの普及で新しいスタイルの哲学があっても良いはずだが、特にオオモノは出てこない。

 

  経済学でマルクスケインズの「大きな政府」に対して「小さな政府」を唱えたハイエク新自由主義が、経済分野の垣根を越えて、サッチャーレーガン、中曽根をはじめ、小泉竹中などの哲学信条にもなっている。

 

  今の菅総理や麻生副総理も「自助」を説いているからこの哲学に属する。というか、他にないので仕方なくそうしているように見える。コロナで大変だからと公助を使おうにも自助という拘(こだわ)りが邪魔して出来ないでいる。

 

  要は哲学関係者が30年間ずっと怠けている。もっと新しい哲学の開発や探索、評価と採用に力を入れるべきなのに、結果として何も出てこない。従来の発想を全て網羅した上でないと新哲学の価値は分からないから、ここはもっともっと哲学界が働くべきと思う。

 

  私自身は、これからの哲学は新自由主義のような反ケインズ(マルクス)のための一点突破では汎用的な有効性はないと考えている。

 

  汎用のため視点を広くとってみれば、6つの“極”が大事だと至った。

 

・「幻想」と「現実」

・「財産」と「資本」

・「権利」と「義務」 である。

 

  まず分かりやすいところから、「現実」とは身長や体重、出身地や現住所、所属先など。これに「財産」を加えたり、「資本金」を加えても自己紹介時の自己といえる。自己は自我と違ってもっと広い自分である。

 

  「権利」と「義務」は法的なもの以外にも、家庭や地域、職場のもの、慣習やマイルールまで様々ある。

 

  「幻想」というと分かりにくいが、夢や理想、方向性、掲げる信条などと言えば自己紹介でも使う。これら6つの“極”を個人に限らず物事を見極める基準として活用し、整えていく。

 

  メインサイト「状態と機能の話」ではこの6つを記号化している。

 

・「幻想」をY、「現実」をW

・「財産」をY'、「資本」をW'

・「権利」をY"、「義務」をW"

 

  そして、停滞中の幾つかの課題にこの6つを記号で整理する。例えば少子化の場合、

 

・Y:結婚願望の割合、昨今の結婚観

・W:適齢独身者の数や既婚者、離婚率等

・Y':本人の年収や条件

・W':資金や式場

・Y":婚姻の自由度

・W":養育の義務や勤労の義務、不貞の罰則

 

  など挙げられるが、多くの人が金銭的窮乏を挙げているので自治体によっては補助金を増したり出会いの場を設けたりしている。

 

  しかし、ヤフコメにも増えているが多様な生き方を理由に独身でも良いという見方が広がっており、Yも整ってはいない。

 

  生物学的には他の遺伝子と組み合わせることによって環境変化にも耐えられる強い個体をつくり、生き残るために雌雄がある。雌雄がないのはウィルスと同じで、変異しなければアルコールぐらいで死滅する。

 

 他にも国際問題や東京オリンピックの是非、コロナ対策など、一点突破や破壊などではなく総合的建設的に進めるなら6つの極は非常に有効になると思う。

 

 

 

  

  

 

 

  

(晴天を衝け) それが男!

  今回のタイトルは「栄一 仕事はじめ」。

 

  今までも父の手伝いで仕事自体はしていたはずだが、どういうことかと思って見ていたところ、せっかく育てた藍の葉が虫に食われる被害に遭ってしまった。

 

  このまま何もせず、近隣の村々を回って藍葉を買い付けたりしないと生計が立てられなくなる。父がすぐに出掛けようとしたところ、栄一が自分も他の村々を回って買い付けたいと申し出る。名優・小林薫演じる父は「馬鹿もん、お前みたいなまだ若い見る目がねえもんができるか!」と叱りつけて出発した。

 

  残った母に栄一は土下座して頼み込む。母も姉も無理だと言うが、ついに和久井映見演じる母は銭を渡して行かせることにした。

 

  結果は父が褒めて満足するほどの買い付けができ、栄一は商売の面白さを心底実感した。

 

  厳しいルールや取り決めがあっても、状況の変化に応じてルールを破ることこそ男の特徴の1つであり、それが失敗したり悪い結果をもたらすこともほとんどだが、たまに大成功して全体を進ませた話が歴史上のレジェンド(伝説)になる。

 

  男女の違いでもあり、女も今回の和久井映見のように優しさからそう行動することもあるが、男の方がルール破りはもっと規模が大きなことができる。

 

  先日、森喜朗IOC会長が失言で世間の猛批判を浴びて退陣するに至った。「今時古い男女観」と言われるが、実は森氏の子は娘ばかりの女が強い家庭で、「話が長い」は女性蔑視ではなくただ男女の違いを言ったに過ぎないという記事もあった。

 

  批判者たちの何でも自分の価値観と合わないものを昭和だの古いだの言って圧力を加えるやり方はどうなんだろう? 

 

  それで取り決めを守り、公人たちが失言に注意しておとなしくなる間に、ユーチューブやボーカロイドの自由な若手が台頭してきた。

 

  ルールなら何でも破れという訳ではないが、コンプライアンスというアメリカで生まれた規制のやり方(自由な国の悪い側面から出来た)が、日本で「法令遵守」と訳されて入ってきた辺りから、漢(おとこ)が減っていったように思う。そこそこ法令を守っていた国なのに過剰に過敏に100%遵守を強いられるようになったからだ。

 

  今回の黒船の話と同様、現代の日本もコロナやら中国やら五輪など、難題は山積している。そんな状況を打開させられるのは男の中の男しかいないと思うが、現実にはなかなかいない。

 

  最も立場上英断をくだしてブレイクスルーが出来る所にいるはずの菅総理とて、セコいルール破りや萎縮しまくった挙げ句、最近「俺は(首相の)ガラじゃない」と洩らした話が記事化されて出回ってしまった。

 

  今だけを見ず、二階の目だけを見ず、後世とかお天道様とかの目を気にして旧い慣習を破ることこそ大事だと思うし、それこそ男の理性と行動力であり、同性が尊敬して異性が惚れる特徴ではないだろうか?

 

  ネットを探しても出てこない名言だが(40年前に本で知った)、ニーチェがリスペクトしたショーペンハウアーという賢い哲学者は、女嫌いで知られていたためパーティーの席で女性からこんな質問を受けた。

 

  「ねえショーペンハウアーさん、男と女ってどっちが賢いのかしら?」

 

  もしストレートに「男の方が賢い」と答えたら女性たちが蔑視したと大騒ぎして悪評を振り撒くところだが、

 

「そりゃあ賢いのは女ですよ」

と返答した。

 

一瞬だけ喜びそうな表情になるところへ、

 

「だって男は女と結婚するのに、女は男と結婚するんですから」と付け加えたという。

 

  これぐらいの機知には寛容な、高い教養に満ちた時代が望ましいと思っている。

 

※歌詞の中にルールが入っている歌

https://youtu.be/cA0KF6IOM7Q
https://youtu.be/cA0KF6IOM7Q

 

 

 

ゆで麺のレンチン

  サブタイトルに“雑感”とつけたので軽いものも書く。今回はデフレ時代にふさわしい話。

 

  毎朝のご飯は冷蔵庫からレンジでチンして食べていたが、どうも1杯だけではすぐお腹が空く。そこで追加でパンやカップ麺を食べると食費がかさむ。

 

  ふと、スーパーや100円ローソンで見かける30円ほどの「茹で麺」を活用してみると、これが意外に良かった。主な調理法?は、

 

  うどん

・レンチンして容器に入れ、「白だし&お湯&おろしニンニクorしょうが」をかける。

・玉子&醤油と混ぜる

レトルトカレーを使う。

カップうどんの残りスープに入れる。

 

そば

・レンチンして「めんつゆ&わさび」をかける。十分うまい。

 

ラーメン

・「中華スープ&おろしニンニク」をかける。

カップ麺の追い麺に使う。

 

焼そば

・レンチンして「お好みソース」と混ぜる。

・パスタソースでも可。

 

  夜に小腹が空いた時も30円で解決するのでおすすめ。

 

 

 

 

 

混迷を深める現代に対する歴史哲学的な解決策

  歴史にはしばしば「2大対立」が見られる。

 

  わかりやすく日本史を例にとると、例えば「源平(源氏と平氏)」という日本中の武士団の対立軸はよく知られている。

 

  しかし源平合戦の対立軸は一時的なものに過ぎず、次の大きな対立軸は「南北朝時代(大覚寺統持明院統)」と言える。更に時代が下ると、「豊臣対徳川」という対立軸が全国的にあり日本列島の中央で関ヶ原の合戦が起きた。

 

  何が言いたいかと言うと、現代の「与党対野党」やアメリカの「共和党民主党」という左右対立を俯瞰的に見て、現実や未来まで見通しながらこの対立軸の呪縛から我々は離れてみた方が良いのではないか、そうしないと前に進めず、いくら選挙を繰り返しても同じではないかと考えたからだ。

 

  もう少し歴史を振り返っておこう。今度は源平の前に遡るが、大和時代には「蘇我対物部」という、仏教導入派と仏教反対派の対立軸とがあった。その後は「天智天皇派対天武天皇派」という対立軸から関ヶ原と同じ場所で壬申の乱が起きた。

 

  幕末になると、佐幕対倒幕や、尊皇攘夷対反尊皇攘夷など入り乱れたが、例えば大久保や西郷のように本心は西洋化だが主目的の倒幕のために尊皇攘夷を装って全国の志士を動員し、逆に江戸幕府は公式に西洋化なのだが屈服と捉えられ敗北している。

 

  それらに比べると明治になって後の西南戦争の方が「西郷対大久保」の対立軸ですっきりしている。征韓論で窮乏する元武士の救済を図る西郷と今はそんな時ではないと訪欧訪米から帰国した大久保との図式である。

 

  こう見てくると、どの対立軸も共通していることがある。

 

  まず「権力は長期化すると腐敗する」という大前提の上に、このままではまずいと立ち上がる反乱や政権側の改革、改革の失敗や、ついに倒されて急進派による臨時政府、それも浅慮から失敗しつつある中で、「やっぱり幕府の方が良くね?」と内心思ったのが足利尊氏徳川家康である。

 

  島津氏も源氏なので(頼朝の子孫と公称)、明治になってすぐに久光が「ワシはいつ将軍になるのだ?」と尋ねた笑い話がある。今まで大久保に騙されていたのである。

 

  それはともかく、真に安定した次期長期政権を目指した時に二大対立軸は起きている。

 

 この対立に勝利する側はもちろん武力的に優れていることもあるが、他にも大義名分に勝っていたり、新しい知恵や文化の持ち主を身分に関係なく採り入れていたり、本当に安定した世をもたらしたいという善意の人々を組み込んだりしており、決して私利私欲にまみれてはいない。

 

  例えば源平に勝った源頼朝の側には大江広元がいたし、足利尊氏の側にも夢窓疎石徳川家康の側にも天海や藤原星窩、大久保利通の側にもたくさんの才能が集まっていた。

 

  現代の左右対立は長い歴史の中で見れば決して永遠不変ではないし、日本の場合は戦後少し経って後に始まっている。当時、社会党共産党が拡大しつつある中で危機感を覚えた民主党の老参謀三木武吉自由党緒方竹虎党首(いだてんでお馴染みの元新聞記者)に保守合同を呼び掛け、自民党が成立、初代党首に鳩山一郎が就任した。

 

  左側の背景には米ソ対立があり、マルクス主義唯物史観ヘーゲル哲学の正反合に、ヘーゲルの前にカントの二律背反があり、カントはイギリスのヒューム哲学に衝撃を受けて哲学を始めた。

 

  そのヒュームから右側は始まっており、アダム・スミスベンサム、マンデヴィル、ミルなどからケインズハイエクに至っている。

 

  昭和から平成にかけての与野党対立構図は、上記の二大対立軸のような一時的なとは言えないが、選挙の度に全国を巻き込んだ関ヶ原のような描き方をされてはいる。

 

  しかし、北条執権や足利将軍、徳川将軍と同じく自民党宮澤喜一で15代で終わると(私はその歴史法則から予言したが周囲は自民党が負ける訳がないと嘲笑っていた)、細川護煕日本新党党首による短期政権ができた。

 

  すぐに細川が投げ出し、羽田孜村山富市でガタガタになると、自民党は巻き返して橋本龍太郎政権ができた。

 

  橋本の時に省庁再編が進められ、絶大だったがノーパンしゃぶしゃぶ接待で腐敗が露呈した大蔵省は財務相に改名させられた。

 

  橋本から小渕、森、小泉、安倍、麻生などのこの自民党政権は長期化せず、また敗れて鳩山由紀夫による野党連立が勝った。これも高速道路無料化や事業仕分けなど国民ウケ狙いが目立ち、菅直人や野田と移って傾き、第二次安倍政権に敗れた。

 

  この安倍政権はいちおう長期化したが、次の菅総理で最近また腐敗ぶりが目立ってきている。そもそもだが、「自由民主党」という看板を掲げているからイコール腐敗という色眼鏡で見られて損なのではないか?

 

  振り返れば、橋本龍太郎が巻き返した時や安倍晋太郎が巻き返した時に、保守を維持しつつ違う党名を看板にして新しい人材を採り入れ、例えば台湾のオードリー・タンのような、そうすれば循環的に刷新は成っていたように思う。

 

  おそらくこのままでは、今の菅自民党は言動で度々辞任や失職を繰り返し、腐敗ぶりが嫌われて選挙で敗れ、不本意ながらまた野党が勝つのだろう。しかし野党も蓮舫や辻本、枝野では運営が行き詰まる。

 

  だからその後を見据えて、心ある人は一度自民党を解体して、老いた二階や森、麻生などではなく、若手を中心とした保守に生まれ変わり、国家存続と世界共存を目指す新哲学を掲げる側と、蓮舫たちのようなバックにチャイナマネーがちらつく側との二大対立軸をつくり、その上で勝つことこそ歴史的にも正道だと思われる。

 

(晴天を衝け) 大変動が起こる少し前の動き

  初回より二回の方が面白かった。

 

  30分間は少年時代の話。前回に多かった紹介が少なく、冒頭にまず定番の悪役であるお代官2人が接待の席で人足を6月に100人だせとお上からの指示を伝え、繁忙期だから少しでも減らしてほしいとの市郎右衛門の求めに対し「不服と申すか!」と膳を蹴飛ばして怒りまくった。

 

  最後に登場するペリーが黒船で来てからは日本も精神的に少しは近代化したものの、現代でもトップからの無理筋な指示を少しの反論も許さず強いてくる中間管理職はよく見掛ける。

 

  そんな大人の世界とは一線を画して、ある意味子供な部分をずっと持ち続けたからこそ渋沢栄一は前代未聞の産業家になったとも思われた。まだ明治は令和と違って隙だらけだが、現代も隙が多いユーチューブやヴォーカロイドの業界にはヒカキンやヨルシカなどの大物が出てくる。

 

  結局、村の男たちは昼は人足、夜は藍の刈り入れ、更に蚕の繭作りの時期とも重なる中で睡眠時間を削ってやり抜く。何人か死者が出てもおかしくないがドラマではそこは描かなかった。筆者も祖父の養蚕に携わったことがあるので懐かしい光景だった。

 

  そういえば和久井映見が働きながら歌い始め、皆も一緒に歌い出した描写があったが、これは田んぼでも草津温泉でも各地でよく見掛ける。日本では普通のことだが、明治時代に考古学の調査(大森貝塚など)で来日したエドワード・モースには「働きながら歌うなんて西洋では全く見られない!」と驚いていた。

 

  旧約聖書の創世記によると、アダムとイブはヘビに騙されて神が禁じていた木の実を食べたためエデンの園を追放されて働かなければならなくなり、以来「労働は苦役」と捉えられており、日本のように楽しく歌うことに最初は驚き、しかし聖書から離れて(相対視して)よく考えると納得して感心したようだ。

 

  そして3つの作業ともやっと完了した後、父市郎右衛門の前に、息子栄一たちが獅子舞を踊る光景が映った。「勝手な事をしおって!」とまたゲンコツを振るうところだが、周りの村人たちが皆喜んでいるのでそれが出来ない。父自ら一緒に踊ってみせ、村中が踊って疲れを吹き飛ばしたことできれいなオチとなった。本来勝手なはずの行動も皆を喜ばせれば水に流される好例と言える。

 

  さて、残り15分間は青年となった栄一や慶喜の話。清(中国)が英国に敗れ、日本では百姓でも町道場で剣術が奨励されるようになった話が出てくる。次に27人も子を設けながら跡継ぎに恵まれない12代将軍家慶の養子となった慶喜

 

  確か江戸幕府初期に家康から家光までのブレーンとなり、都市計画にも風水をフル活用して関わった天海僧正(光秀との噂あり)は、御三家の1つ水戸は鬼門にあたるため、もし水戸から将軍を出せば終わるぞと言い遺した話があり、実際に慶喜は最後の将軍となった。

 

  この話も200年近く経った当時まで残っていたはずだが、それでも徳川の世がまさか終わるはずがないと思い無視されたのだろう。

 

  しかし、武芸に長けた武士に代わって、高い志を持った志士が生まれ始めた中で、頼山陽が著した幕末のベストセラー「日本外史」で足利氏や織田氏と同列に徳川氏も編集したため、「徳川幕府とて絶対ではない」と目覚める人が増えてきて、聡明な慶喜による消極性とも絡んで明治維新は成し遂げられた。

 

  現代も絶対や磐石と思われている何かが急に崩壊して終わることはあり得るし、逆に健全な円環的革命を行わないと、外国に侵略されたりするリスクが高まる。新しい人物(身分を問わない)や新しい知識(所得が増える経済学や少子化が解決する哲学など)を見つけ、広め、支援することこそ急務ではないだろうか?

 

 

 

  

 

  

 

「コロナ禍の自助?」と「息子には公助?」

  自民党共和党も「自助」(英語ではselfhelp)が好きである。

 

  最近では菅総理が政権スタート時に「私のモットーは自助、共助、公助です!」と掲げた。先ずは自分でできることは自分で、それで厳しければ家族や友人が助け、公的機関は最後だという。いかにも叩き上げの自分は自助で総理になったかのように。(実は富豪の親のコネによる就職や自民党議員の秘書になったことも大きかったりする)

 

  20世紀前半の世界恐慌を救ったのはケインズ経済学のマクロ政策(公共投資)だったが、これをライバルのハイエクマルクス経済学と同じ計画主義だと批判し、物事は人間の計画通りにはいかないものだから政府の市場への介入は極力控え、自助を促して民間を活性化せよと唱えた。

 

  1980年代にはイギリス保守党サッチャーがこの考え方のもと衰えた経済を復活させたとし、アメリカ共和党レーガンも採用し、日本では自民党の中曽根政権が同じく国鉄民営化を進め、1980年代末にはソビエトが崩壊して冷戦が終わった。

 

  しかし、アメリカは双子の赤字を抱え、日本もバブルが崩壊し、世界各国とも1990年代末にはこの新自由主義多国籍企業を潤わせるだけで「トリクルダウン(雫が落ちる)」で下々も潤う訳ではないことに気付いてきた。

 

  ハイエクは1990年代には亡くなったが、ミルトン・フリードマンアメリカ経済の衰退を新自由主義の失敗と捉えず、むしろ全て私の言う通りにすれば成功したと言い張った。

 

  2000年代に入ると反新自由主義的な動きがイギリスやフランスをはじめ各地で起き、日本でも一時的に民主党が政権をとったりする中で、中国が台頭してきた。アメリカでは民主党オバマ政権がいわゆるオバマケアを唱え、中国にも甘い政策をとっていた。

 

  しかし、日本では野党政権が高速道路無料や各種補助、コンクリートから人へ等、無節操に国民受けしそうな政策を行うだけだと見透かされ、それが例え腐っていても自民党しかないとされ、第二次安倍政権は長期化し、新自由主義者竹中平蔵もテレビ討論では「トリクルダウンなんてないない」と言いつつ小泉政権時から菅政権時まで長く政府内に残り、貧民化する国民から「竹中平蔵つまみ出せ」と反発を招いている。

 

  経済に自助が必要であり、一定の経済成長なくして福祉予算を捻出できないこと、だからソビエトが崩壊したこともわかるが、どこか自助に胡散(うさん)臭いものを長年感じてきた。

 

  菅総理の息子が親のコネでマスコミ業界に就職したことや、その息子が元総務大臣の親の威光をバックに総務官僚を接待したこと、この問題が発覚する直前に知った父親の菅総理が慌てて犯人探しを命じたこと、週刊文春記者が公開した録音で言い逃れできず息子も官僚も降参したことを知り、ようやく何かが見えてきた。

 

  つまり、国民には自助を強いて、イコール公助を控える一方、身内へは共助、親のコネで大手企業に自助なく就職させ、息子の接待事案が発覚しそうになると権力で隠蔽しようと公助を使うのである。実際、大手メディアは報道を控えている。

 

  世界各国が給付金にあたる一時的措置を行い、アメリカでは3度も給付したのに、日本では昨年夏に渋々行っただけで二度と行わず、菅総理も「最後には生活保護がある」「踏ん張ってほしい」と発言、その間にも次々と長年自ら培ってきた料理人をはじめ各技能習熟者が店をたたんでいった。

 

  コロナという特殊な状況下でただ旧来通り自助を言うだけでは無能であり、息子には共助や公助をとる菅総理

 

  利益を独占して自分たちだけ甘い汁を吸うために、自助(イコール公助ゼロ)を言っていたのである。

 

  職場でもコロナで苦しいだろうが踏ん張れと言って給与を減らす一方、自分だけは会社のカネを不当に引き寄せている幹部がいたりする。菅総理もあんな感じだ。竹中平蔵もおいしいから政府に残ったりパソナにいたりする。

 

  国民はおとなしく我慢し、我慢できなければ自殺し、若い人は結婚を諦め、少子化が進む。「自助の正体とは利益独占」を知り、ふざけたこのやり方を止めることが先決。

 

  そして本来どうするべきか本気で考えれば、人のことが分かり、人の心が分かる誰かによる、利益独占ではなく正しく分配する大切さに気付くはずである。

 

  「麒麟がくる」で光秀が言っていたセリフである。若い頃の信長が沖で捕った魚を浜辺で人々に分けていたところを見て、「信長様は人のことが分かる、人の心が分かるお方だと思いました」と。

 

  「しかし信長様は変わられた」

 

  すると、「お前が変えたのじゃ」と光秀のせいにする信長。「お前が言う大きな国をつくれという話にワシが乗ったからじゃ」「天皇さえも跪(ひざまず)く男になってやる」

 

  本能寺の変を起こした光秀。信長による独占は止められた。

 

 

 

穏便を装いつつ欧米の顔色を伺う日本

 米ソ冷戦が終わった1990年代、世界の二極化構造に代わって次はどうなるか? 様々な意見が出る中で、田中宇(さかい)氏は「多極化する」と読んで発信し続けた。

 

  しばらくの期間、自分もそう思っていたが、2000年代から2010年代にかけて中国が急速に台頭すると、今度は多くの識者が米中二極化と言うようになった。

 

  しかし、一見そう見えても中国にはかつてのソ連のような手下の国々がない。北朝鮮やアフリカの一部に中国寄りの国はあっても西側諸国に匹敵するような力や思想はないし、技術力や経済力も低いレベルにある。

 

  それでは現状の世界をどう見るべきかというと、多極化のように最初は同等に相争う中で次第に何かが出来ていく、次第に役割や自生的な秩序っぽい序列ができていく、と思うようになった。

 

  一般人の間でも、動物の群れの中でも、雑草の間でもそれはできていく。ただ国同士の場合は人間同士のそれに近い展開が起きる。その詳細はみる人の知識や考え方によって若干異なるだろう。例えばドラえもんやコナンの少年探偵団のようにデブのイジメっ子と金持ちの家の子のすり寄り、ヒロインの女の子と中レベルの主人公という構図もあったりする。

 

  私は身体の各機能に誰かやどこかが当てはまって役割分担ができたり位置付けが絞られたりすると見ている。中国や韓国、日本の特性、欧米の特性、中東やインドの特性、それらをまとめたものがこれ↓

 


状態と機能の話 – 次段階の状態に展開させる機能とは何か⁉

 

  昨年夏からそう思うようになり、アメリカ大統領選挙の結果次第ではまた変わるかもと思いつつ、まだ見方は特に変わっていない。今後もアメリカは共和党民主党が野球の交代のように反転しあうし、ヨーロッパもテニスやサッカーのように相手の逆を突こうとするし、中東やインドも変わらない。

 

  中国は単純に反射的で、韓国は感情的で、日本は表面的には頭を使って安定を装いつつ、深い踏み込んだ議論は避けて、欧米の頭脳、特に前頭葉に任せ続ける。

 

  その原因は上記の通り国際関係の中でアジアと欧米の間に挟まれているためであり、ドラえもんに例えればジャイアンスネ夫たちと穏便に付き合いつつ、判断はジャイアンではなく出木杉に頼ったりする。

 

  そこを自覚しなければ、日本の中に賢く強いリーダーや新しい考え方はまだまだ出てこないと思う。