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(鎌倉殿の13人) 初期の幕府が不安定だった要因

  OP前の秀衡と義経の再会場面は良かった。実際あんな感じなんだろう。

 

 OP後、主人公の義時が奥州行きを頼朝に申し出る。そこからフィクションが始まる。

 

 架空の死神、善児が出て来て、「良い仕事ができますよ」と付き添う展開。

 

 盛り上がる視聴者が多いようだが、私はシラける。義時の実兄を殺し、主君頼朝の幼子を殺し、愛妻の実父を殺した同一人物が付き添うとは世間を舐め過ぎている。

 

  善児にではない。日の本一の脚本家と煽てられて調子に乗っているであろう三谷氏にだ。

 

 もっと謙虚で素直で真面目な作者なら、何でも善児で済ます安直さを選ばず、きちんと筋書きを書くはずだ。

 

  いったい何が言いたい大河なんだ?とあまり書くと、ドラマを史実と思い込む多くの人達から「あなたは視てはいけない人だ」と書かれるのでこの辺にしておく。

 

  そもそも、鎌倉幕府初期の抗争劇がなぜ起きたかというと、レベルの低い人が高い役職に就いたからだ。侍別当和田義盛しかり、日和った三浦義村しかり。善人で評判だった畠山重忠が謀反の罪を着せられて死ぬ展開も上役のレベルがあまりに低いからだ。

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  現代風に言えば“ 民度が低いから”。ロシアが長期政権化して老大統領のもとウクライナに攻め込んで失敗したのも民度が低いから。

 

  この大河も民度の低さをもっと前面に出せば、逆に現代的価値観の大事さを改めて気付かせてくれることになるはずだ。

 

  しかし、今回もなぜか頼朝は先の先まで見通して奥州の内部分裂を工作し、景時も広元も頭のいい人だらけにしている。

 

  そんな優等生揃いでどうやって後半の13人のバトルロイヤルを描くのか? 難しいと思う。

 

  まあお手並み拝見としよう。どこかの書き込みには最後の承久の乱から逆算すると毎回誰か死なないといけないんじゃないかと心配していた。

 

  それでも三谷擁護者は何とも思わず毎回一喜一憂するのだろう。

 

  自分なんかは今回最後の頼朝の「九郎、九郎」て泣くシーンもさっぱり共感できなかった。

 

  別ブログ記事更新しました。

 

「宇宙人て先人類のことでは・・」|reigan #note https://note.com/newworld/n/nbace1186f97c

 

 

  

(鎌倉殿の13人) 義経の方がマトモ

  桁外れに強かった義経がなぜ短命だったのか?

 

  その答えを現代の通説は「戦の天才だが政治に疎かったから」とする。歴史学者の権威たちが唱え、後続の若手学者も三谷脚本も三谷ファンの視聴者もそう思っている。

 

  こうして今年の大河はあんな義経になった。

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  上のコメントと同じ。

 

  しばらく義経を擁護する弁護士になっていたが、袋叩きにあった。

 

  背景にあるのは権力者への盲従のようだ。ラインで「了解致しました」が何十個も並び、強者にマウントを取らせて尻を突き出すオスザル。上役が何時間も話すと終電がなくなっても聞き役に回る現代人。

  

  そんなことをせずサッサと帰ると不思議な顔をされる。

 

  何度も言うが義経はマトモだ。マトモな戦術を立てたから勝ち、マトモな人柄だから死後も慕われた。

 

  狂ってるのは義経を葬った側であり、現代の視聴者たちである。

 

  逆に義経を弁護した後世の人達が多かったからこそ、日本史は危機を脱して何度も持ち直した。

 

  いま義経ディスる風潮が大勢を占めているが、そんなことでは日本史は終わる。

 

  義経を重視すれば、出鱈目な税制も根本的に良くなり、長年良くならなかった少子化もホントに改善し、国は持ち直す。

 

※追記

上の方から紹介された。

筆者が今まで言いたかった事を歴史資料に基づいてきちんとツィートしている。

https://twitter.com/shijituyoshitun?t=Vnfm8tZfBandfY_vSFYJRQ&s=09

 

  

  

(鎌倉殿の13人) 問題児の令和版義経はこうして生まれた??

 本日昼に書いた記事、義経と景時がぶつかった逆櫓論争はドラマ冒頭に描かれた。

 

 後に“逆櫓の松”と呼ばれる大きな松の木の下ではなく、大雨が降っているので建物の中だった。付近の寺かもしれない。

 

 そこで開かれた軍議の場で景時が提案した逆櫓を義経が一蹴した。ここまでは予想通り。

 

 しかし、軍議が終わった後に景時が義経に謝ってきた。「九郎殿のおっしゃる通りにござる」 自分が間違っていたと。快く許す義経・・・???

 

 そんな話はどこにもなく、三谷カラーだとは思うが、これはこれで面白く、確かに反目しあって離れることなく、両者がともに協力したからこそ次々に合戦に勝利した。

 

 景時曰く、「天に認められた男」と。だからついていった。

 

 その義経を、鎌倉に先に戻った景時は頼朝に讒言する。天運の持ち主に挑むのか? いや、頼朝も天運の持ち主、両雄並び立たず、平家が滅びた今、これからは戦の天才ではなく政治の天才の時代、だから頼朝につく。

 

 という思考経緯のようである。

 

 時代の変わり目に彗星のごとく現れてきちんと結果を出した義経を筆者は悪く思えない。できれば現代にも再来して苦しんでいる人々のために大きな仕事をしてほしい。

 

 しかし、大河では最初、義経をかなり悪く描き(猟師射殺や富士登山、政子膝枕、亀の前の家襲撃等の根拠はない)、世の人々も実像はそうだよねえという流れを作ろうとしている。何故だろう? 

 

 変わらなくてもいい、苦しくてもいい、まだ我慢できるからいい。天才的若者に華々しい活躍されて本当に良くなっても面白くない。むしろ失敗した方がいい。

 

 そんな多くの心の声を汲み取って令和版義経が生まれ、人気を博しているのではないか?

 

 義経をかばう声が(「判官びいき」と呼んだ昔に比べて)あまりに少なく、まるで思考停止の如く三谷脚本を礼賛する世論。

 

  ちなみにWikipedia「壇ノ浦の合戦」を調べても、義経が漕ぎ手を狙ったという根拠は不明で、潮の流れが反転する時刻を知っていた義経の作戦勝ちというのが本当だと思う。

 

 本日、別ブログ記事を更新。

 

 

 

 

(史跡探訪) 逆櫓の松と時代の変わり目

  大阪市福島区内に、源義経梶原景時がこの松の木の下で論争したという「逆櫓の松跡」という史跡がある。

 


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  残念ながら松の木はもう枯れてなくなっているものの、当時は立派な大きな海辺の松だったらしい。

 

  地下鉄新福島駅のシンボルマークもこの松をモチーフにしている。

 


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 四国屋島に逃げた平家を追って源義経が大阪のこの地から船出する際、梶原景時が「平家と違い源氏は海戦が得意ではないから、櫓を後ろだけでなく前にも付けたらどうか?」と献策した。

 

  すると義経は、「戦の前から逃げ支度なんかしてどうする!」と退け、激しい論戦になったという。

 

  結局、義経悪天候の中ですぐに船出し、屋島の平家は突然の奇襲に驚いてまたも敗れた。今晩の「鎌倉殿の13人」でそれを描くかどうか分からないが、義経vs景時のバトルを象徴する場面の1つであることは間違いない。

 

  今回の大河では、逆櫓論争も単純に義経が正答、景時は誤答、とはいかない何かを感じる。

 

  度々でてくる合戦前の軍議の場面で、景時も様々な提案をする。それが現実的なものばかりではなく、意外と自由な発想もあり、この逆櫓も普通は思いつかないし提案もしない。

 

  時代の変わり目に各地で立ち上がる新しい波の中で、義経や景時、北条義時大江広元などが次々と現れた。それを「逆櫓の松」から感じて時々引き寄せられるかのようにこの地を訪ねる。

 

  ちなみにコトバンクで調べると、「逆櫓」なる技法が実際有効なのか後世の人は誰も、現代の史学関係者さえも試していない。

 


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  実際やるべきとは思うが、検証しておそらく分かることは、製作に時間がかかること、扱いをめぐり訓練する時間もかかること、もちろん多額の費用もかかる。

 

  平家打倒の唯一の道でもなく、悪天候の中でまさか義経が船出して屋島まで来ないだろうという平家の思い込みを突く方が早いことは確かだった。

 

  最後に、この春から筆者も主戦場を(ブログやヤフコメから)ツィッターや動画コメントに移していることに少し触れておく。

 

  哲学系ツィッターのうち、「bot」がつくものが哲学的に本当に見込みがあるのかはまだ分からない。

 

  日に何本も挙げていて感心ではあるが、例えばニーチェはその最期からか病み気味になるのであまり読まなくなる一方、デカルトはいくら読んでも客観性に努めており有益な気がする。

 

  たまに返信するがロボットなので反応はなく、他のハートをつける人からも反応はない。

 

   botではない哲学系ツィッターの方は反応はあるが小者っぽく、できれば大物哲学者を絡めて知的交流がしたいものだ。

 


7.西洋哲学史の総合

 

  これも分かるかもしれない⤴

 

  動画については、新興宗教の教祖のように持ち上げる気持ち悪いコメントが多いものもあり、それらは次第に自由に書きにくくなる。

 

  逆に「ゆっくり解説」なんかは、比較的自由に書き込められ、しかも動画に触発されてか賢い書き込みも多い。

 

  そんなネット上の隠れ賢者たちが新しいうねりとなって、時代を良い方向に変えていけばと思う。

 

 

  

 

  

(鎌倉殿の13人) 義時はダースベイダーか?

  義時が“ ダークサイド”に堕ちたと話題だ。

 

https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/7d4881a5fb81209d8825a345ea0d9f384d0df636&preview=auto

 

  主君頼朝から試されるかのように次々と難しいミッションを下される今回の義時。

 

  まずは義仲の遺児義高の始末。義高は頼朝の長女大姫と仲が良く、姉政子が激怒したため義時は密かに逃がす作戦を選択。

 

 しかし、いざ実行に移す段になって二転三転するうち義高は武蔵国で果てる。

 

  すると頼朝は次に、関与した甲斐武田氏の一条忠頼や藤内光澄を始末せよと義時に命じる。

 

  さすがにそれはと狼狽える義時。

 

  「恐ろしい所だな、鎌倉は」

 

  何度も出てくるこの言葉の通り、義時は鎌倉の中心で結局忠実にミッションをクリアする。険しくなる顔つき。

 

  はじめは善側のヒーローだった。

  しかし冷酷な主君の下で次第に変わる。

  やがて強大なナンバー2となる。

  そして息子は善側のスーパーヒーロー。

 

  この構図、どこかで見たことある。

 

  映画「スターウォーズ」のダースベイダーでは・・・


【解説】最強の悪役ダース・ベイダーの知られざる素顔と正体に迫る!【スターウォーズ】 - YouTube

 

  3代目執権となる北条泰時は「御成敗式目」を制定して幕府を安定させ、優しい性格で知られる。戦も強い(承久の乱)。まるでルーク・スカイウォーカーのようだ。

 

  しかし父のアナキン・スカイウォーカーは、若きジェダイの騎士で将来を期待されながらシスの帝王に見出されてダークサイドに堕ちる。それが“ エピソード1~3”の話だった。

 

  ちなみにジェダイの騎士とは黒澤映画ファンだったジョージ・ルーカス監督が“ 時代劇の武士”から名付けたという。

 

  三谷幸喜氏にその自覚があるか分からないが、「鎌倉殿の13人」とは、映画スターウォーズで12人のメンバーからなる「ジェダイ評議会」に近いタイトル名かもしれない。


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  どちらも崩壊する。

 

  しかし、ルークスカイウォーカーや北条泰時が一筋の光となる。

 

 

  

 

  

(鎌倉殿検証) 敵陣内に突如現れた70騎の恐怖

  前回放送された「鎌倉殿の13人」

 

 源義経が駆け下りた崖を 、合戦名となった西側の“一ノ谷”でもなく、有力な“鵯越”でもなく、あまり聞かない、ネットでも特に見当たらない「鉢伏山」とする新説(珍説?)を検証するために本日現地確認に行った。

 

   過去にどちらも行ったが、下の絵のような感じではなかった。
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  戦国時代の武将、黒田長政(官兵衛の息子)はこの合戦を模した兜をかぶっていたというのに。


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  左手に海を観ながら西へ進んでいくが、好天に恵まれて上下線とも渋滞でなかなか前へ進まない。そうこうするうちに須磨区に入った。

 

  スマホ画面上に一ノ谷の古戦場に関する石碑のようなポイントを認めたが、路肩がなく車を停められないのでそのままゆっくり過ぎて行った。

 

  やがて、前方に鉢伏山らしき山が見えた。その名の通り、鉢を伏せたような形に見えなくもない。ロープウェイで山頂にも行けそうだ。

 

  しかし、

 

  右折して山の麓(ふもと)に入ることが難しい。この先でUターンして左折すれば入れないこともないが、どうもこの辺りは以前来たことがある。

 

  思い出した。毎年11月に行われる「六甲全山縦走大会」のスタート地点に当たる須磨浦公園駅である。ここを起点に宝塚まで1日で走破(山登りだからほとんど徒歩)する。

 


六甲全山縦走路(20-01)|登山・トレッキング|兵庫県|エリア紹介|ジャパンエコトラック公式サイト|JAPAN ECO TRACK

 

  参加者を車に乗せて早朝ここで降ろしたことがあるが、ゴールの宝塚まではかなり遠く思われた。それでも老若男女様々な参加者が色とりどりの格好で準備していた。

 

  途中はこんな感じらしい。
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  上の写真がどこなのか分からないが、確かに崖のような所はあるようだ。

 

  しかし、鉢伏山だという決定的な証拠はなく、この大河は三谷幸喜がほぼやりたい放題で義経を描いている。

 

  急に振り返って至近距離から狩人を射ったり、政子の膝枕で寝ようとしたり、亀の前の屋敷を弁慶と派手に壊したり、どれも証拠はなく、三谷の捏造である。

 

  今回も、平家の背後を衝く戦法を梶原景時からまず語らせ、義経が即座に否定して北の三草山の敵を撃って戦線を広げた上で戦況の中から好機を掴むと上回るように仕向けた。

 

  「思いつかなかった自分が悔しい」と嘆く景時。そう思うだけでも上等である。たぶん他の御家人はそこまで悔しがってないし分かってない。義時も。

 

  たぶん三谷周辺の制作者の間がこんなではないかと思う。

 

  私も過去にイベントの準備を国家官僚と打ち合わせた時に、計画書は作成するが、それより大事なのは正しく人選して配置し、当日状況に応じてやっていくだけと述べたところ「そうではない」と言われ、厚さ10センチにも及ぶ小さな文字ばかりの資料を用意しろとサンプルを見せられ辟易したことがある。安いカネと短い時間に何をアホな要求してくるのか。

 

  そんな形式的な合戦なら東の生田口の源範頼でいい。ただそれでは山上の猛将、平教経(八艘飛びの話に出てくる)に挟撃されて源氏は負ける。

 

  この合戦の名前が、源平の大軍同士がぶつかった生田口の戦いではなく、西端の搦手(からめて)にあたる所の一ノ谷の戦いと呼ばれたのは、天才義経が突然70騎で現れて火をつけ暴れ回ったからである。

 

  貴族のような平家が、大量の動物に驚くのは倶利伽羅峠の戦い源義仲が頭に松明をつけた大量の牛で実証した。

 

 今回は多くの馬が現れて歩兵ばかりの敵軍を心理的に動揺させ、更に高い機動力で蹴散らした。こんなに多くの馬を乗りこなすのは世界史的にはチンギスハンが最初と言われるが、それより前の義経は騎兵戦術の要諦を分かりきっていたといえる。

 

  だから総大将の平宗盛はすぐに安徳天皇を船に乗せて海上に逃れた。

 

 

 

  

 

 

 

(鎌倉殿) 墨俣 宇治川 景時 鉢伏山 芭蕉

 感想5点  

 

【墨俣の地】

義経率いる先発隊が範頼の本軍をここで待っていた。

・多少の戦もあったという。

・過去には義経の兄義円が墨俣の合戦で平家と戦って散った。

・戦国時代には木下秀吉が一夜城を築いたことで有名。

・近くの関ヶ原壬申の乱南北朝時代北畠顕家など度々合戦が行われた所だったように、因縁の地というのはあるものだ。

 

【幻の宇治川合戦】

・軍議で次々と義経のアイデアが飛び出す。

・「兄者は勢多へ」(勢多の唐橋も因縁深い)

・「私の宇治の軍勢は1千と噂を流せ」

・「渡河中に派手な先陣争いをさせよ」(佐々木高綱梶原景季)「敵の目をそちらに引き付けて(陽動)畠山は別に渡河せよ」

・・・と期待を高めながら合戦シーンは全スルー。いきなり義仲が京都に現れ、それが敗戦後のことだと理解するのに少し時間がかかった。ちゃんと見直して編集したのか? 雑な作りだ。

 

【景時の心情描写】

・頼朝への報告書が御家人の中で一番細かで現実的だと言われた梶原景時

・その景時が軍議で作戦立案するも、義経の天才的アイデアが悉く上回る。

・悔しがる景時。たぶん「神よ、何故に私はあの男と同じ時代に生まれた!」という心情だろう。

・「まるで八幡大菩薩の化身じゃ」とのセリフがあるが、源氏の祖先には八幡太郎との異名を持つ天才、源義家がおり、家康も松平元康から改名した。

 

鉢伏山

・現代残る「一ノ谷」と「鵯越」とはかなり離れており、どちらも現地に行ったことがあるが挿絵のような地ではなかった。

・今回出てきた「鉢伏山」もすぐにネットで調べたが、諸説あるうちの1つらしい。

黒田長政の兜のような急な崖(義経をリスペクトしたらしい)なのか? GWに見に行きたい。

 


学芸員コラム れきはく講座

 

芭蕉墓所

・史上最も義仲を好いていた松尾芭蕉

・解説にあった通り自身の墓所を義仲の墓の隣に遺言したほど。

・次に義仲を好いたのは芥川龍之介だろう。

・中国にも、三国志曹操が昔の政治家(というより土地持ちではないからむしろ官僚)西門豹を尊敬する余り、自分の墓を豹の隣にするよう言い残した。

・確かに曹操の鮮やかさは西門豹の鮮やかさに匹敵する。現代にそんな鮮やかでカッコイィ政治家はいない。

・同様の例がないか先日書き込んだが返事はない。あっても現代人はスルーしているのだろう。