何でもかんでも「規制緩和」と言いさえすれば通るようになったのはいつ頃からだろう?
前回記事に登場したシカゴ学派の経済学者ハイエクの主張が、米英日の政府に採用されだした80年代からよく耳にするようになった。その前提には「規制は悪」、「緩和は善」という二分法があることは言うまでもない。
ハイエク独特の人間観に「自生的秩序」がある。
悪い規制を緩和しても、人は自生的に秩序をつくるから心配ないというものだ。そこから新自由主義につながる。
一方、ケインズはもちろんそう見てなく、動画でも繰り返している通り「アニマル・スピリッツ」という言葉をよく使う。だから規制をかける。
すでに結果は出ている。
新自由主義は90年代後半にはタイを皮切りに世界中で貧富の格差を拡大させると問題視された。トリクルダウンという、大企業を潤せば雫が垂れるように下の人々も潤うとされた考えが実際には違ったのだ。
問題視されたにも関わらず、それに代わる理論もないと言われる。
私に言わせれば、あるけど無視されている。
昨日、岸田総理が突如言い出した「サーキュラー・エコノミー」。

ヨーロッパで流行しているから、「新しい資本主義」が進まない岸田が飛びついたと目されているが、実は日本でも前からあった。
平成7年の東京都知事選挙で青島幸男が当選して、公約通り世界都市博覧会を中止した後のことだ。ちなみにこの中止は今の大阪万博のムダ金食いも参考にするべきだ。
従来の直線型経済を改めて、始点も終点もない循環型経済の特区を都市博予定地だった更地につくれば、資源枯渇や環境汚染等の問題解決につながると手紙を送ったところ、突如青島都知事が「循環型社会」を提唱しだしたのだ。
それを深夜ラジオで私は知った。しかし特に通知はなかった。
以来「循環の青島」と言い出すようになり、都知事退任後も二科展へ「循環」と題する自作絵画を出品したりした。

ただ当時のそれは資源リサイクルに限ったもので、循環というほどのものでもなかった。今のサーキュラー・エコノミーもあまり変わってない。
そういえば特区という考え方も以後よく使われているが、ほとんど利権屋に利用されている。
資源の循環に限らず、知財サービスも秩序を整えるサービスも全て回るようにすればフロンティアは無限化する。
その理論的支柱となるものが本説である。
まず、産業を「衣食住×衣食住」の9つに分ける。
住の割合が高い産業ほど公営に近く、例えばインフラや医療、防衛などだが、新自由主義者はサービスを十把一絡げにくくるのでそんな分類を行わず、安易に何でも民営化して失敗する。
普通の庶民感覚で考えても、水道の民営化なんかやれば料金高騰や安全面の手抜き、外資の参入などデメリットばかりなのだが、自民も維新も新自由主義以外の方法を知らない。
逆に公営すべきでない方が衣のモードやグルメ、インテリアで、これらを公営にすれば共産主義化して地味な国柄となる。新自由主義は反共で凝り固まってるが、衣食住の区分を使えばもっと賢くやりくりできるのにと思う。
食については、災害時や貿易問題など絡めて半民半公が望ましいが、自給率は高くしておくべきである。
最後に、これら9つの業界が生み出す「真理、利益、秩序」が大事なことを橋本首相に提言したら、これもパクられて「文化、富、国家、福祉の4本柱の省庁再編」を突如唱えられた。
今も昔も省庁は増えるだけだが、橋龍の時だけ珍しく統廃合ができて、文部科学省や経済産業省、国土交通省、厚生労働省など1府12省庁になった。(詳しくは有料記事)
それに嫉妬して小泉純一郎は特殊法人の整理統合や、今の岸田首相も4本柱など言ったりするが、元々の新哲学がないため大して変わってない。
過去記事の「革命期の5大英雄論」で言えば、岸田首相は時期的に3番目の創造型に該当するので、「新しい資本主義」や「サーキュラー・エコノミー」など躍起になってるが、無理である。
5番目の完成型のヒントは8月に出てきた。その人物が日本の初代大統領になる。
福島の海洋放水を止め、3公7民まで減税を実施し、国民にゆとりが出来るため少子化が反転する。
経済は上記の通り真のサーキュラー・エコノミーで回復する。始点も終点もなく、送点と受点で成り立つため民間に適切にお金が回る。
旧来の6公4民の悪政では巻き上げたカネを国の勝手な裁量で庶民が泣きを見るだけだが、こちらは国の裁量は少なく(大統領が財務省を押さえつけている)、民間の中で、例えば大工場の休日や休眠中の土地を他の民間に使わせたりも出来、その成果の知財を他の文化産業が受け、回り回って当の工場も恩恵を受ける。
規制緩和は弱肉強食を生み出すだけだが、この送受循環は共生を生み出す。
反自公連合の勢力こそ是非受け入れて、単なる暴動に留まらない政権交代を果たしてほしい。