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(晴天) 対症療法をやめた栄一

 前回は“高崎城乗っ取り→横浜居留館焼き討ち”計画の余りの無謀さに感想記事を書く気も失せるほどだった。

 

 今回、京から駆け付けた尾高長七郎が書きたかった大部分を代弁して止めてくれたのだが、実際は何日もかかってやっと栄一たちは計画を取りやめたという。以後、老齢になるまで何事も「とことん話し合って」決めるようになったとか。

 

 改めて栄一と喜作の2人が引き締まった顔で故郷を出立する時のバックに流れたギターがなかなか良かった。小林薫の“とっさま”ぶりもカッコいい。もちろん赤ん坊うたも可愛い。

 

 今日は、前回記事の続きでメソポタミア文明関連遺跡の1つに「空中に浮かぶ宇宙船から数人降りてきたメンバー」の中に「言語担当者や貨幣担当者、及び法務担当者」という私の衣食住観と重なる3名が含まれていた内容が書かれた碑文の話題を書こうとしたが、それが載っている本が見つからなかったのでずっとネットを検索し続けていた。

 

 結局見つからなかったが、当時のチグリス川・ユーフラテス川の比較的低い流域は隣接する周囲から多数の民族が絶えず雪崩れ込んで新たな国が興ったり、そして滅んだりが繰り返されていたという。強かった王が亡くなって弱い王が引き継ぎ、他国に強い王が現れると当然、肥沃な土地を奪おうと襲い掛かる。そんな乱世がアレクサンダー大王の東征まで続く。

 

 日本は周囲を海に囲まれているのでそう簡単には多民族が流入して来ず、だから現代もそうだが弱い政権のままの状態が続く。ただいつまでも弱いままでは自ら枯れてしまう。だから円環史観に則って根本的な刷新を行い、今までの対症療法的な改革ではなく新制度を制定する。

 

 当時その必要性に気付いた数名の中に勝海舟や弟子の坂本竜馬、友人の西郷隆盛、そして大久保利通もおり、一方で徳川慶喜も分かっていたからこそ大政奉還し、慶喜のもとにいた渋沢栄一も主に経済面で根本的な刷新を図った。

 

 現在は何名いるのだろうか? 前回記事のスライドに好意的なコメントを送った現役の哲学教授もおられ、今日は同じような反応を示しそうな人(欧米含む)にも紹介して頂くようお願いした。とにかく対症療法を口実に新ルールを作っては監禁罪じみた縛りを行う事案が多過ぎる。国も企業もメンヘラも。