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(晴天を衝け) 慶喜が誰かに見えてきた

  大河では時々、2つの人生を平行して描く手法がとられる。

 

  一昨年の大河「いだてん」ではマラソン金栗四三と進行役を担当した名落語家の古今亭志ん生の2人の人生が代わる代わる描かれたが、最後まで相まみえることが(実際にも)なかったので、視聴者からはコロコロ場面が変わるし演出的におかしいと大不評だった。

 

  昨年の大河「麒麟がくる」でも謎多き光秀だけでは時間が埋まらないこともあり、架空の町医者東庵と駒の駿府や京都での出番が多くなってその演出も不評だった。「まるで駒がくるになっている!」と。

 

  両ドラマに比べると今年の大河は後の将軍徳川慶喜と主人公の商人渋澤栄一とがいずれ合流することになるので、身分違いな生活が平行して描かれても十分に見応えがある。

 

  3月に入り年齢的にも異性とのもつれが増えてきたが、徳川慶喜に嫁いだ美賀君の義母への嫉妬といい、栄一の千代に対する"胸がぐるぐるする"といい、そこは女性脚本家ならではの違和感を覚えた。いかに嫉妬に燃えようともあれでは公家出身ではなく田舎者のアクションだし、栄一ぐらいの年齢ならあんな感じで戸惑わないことは男なら分かる。まあ仕方ない。

 

※立ちションのシーンはおそらく秀吉と家康のエピソードから使ったと思われるが、これも男の心理からすれば得体の知れない庶民の隣に立って急所をさらすなどあり得ず、女性脚本家ならではの無駄な演出と思う。

 

  これらのくだらない各演出はともかく、なるべく史実のみを取り出して栄一の変化を追うことにしている。

 

  そういう視点で見れば、当時の「一橋慶喜様を次の将軍に」という熱はもっともっと高かったはずだったし、このドラマではどうも熱量が物足りない。

 

  たとえ先祖が偉大でも子孫の多くは凡人ばかりのなものだが、この若い慶喜は名家の血筋に加え文武ともに秀でてカリスマ性まである。日本が非常に困難な状況下で有力なカードの1枚であることは間違いない。「一橋様こそ」「一橋様こそ」とその期待が広がり、高まっており、こちらこそ川栄李奈の美賀君のように激しいアクションで高すぎる期待感を演出すべきだった。

 

  この様子を考えると、なんとなく現代にも似た構図があることに気がついた。大阪の吉村洋文知事である。若くて顔がよく、九州大卒の元弁護士、対コロナで他の知事よりも抜きん出た対応を行い、全国的な人気者となった。

 

  いわゆる「大阪都構想」の住民投票では僅差で敗れたものの、源頼朝だって石橋山の合戦で敗れたし、徳川家康三方原の合戦で敗れたため、一度や二度の敗戦は気にしなくていい。

 

  多くの国民が「いずれは国政を担ってほしい」との期待が高まっているが、当の本人は今のところその気はないし、任期が終われば政治の表舞台から退くような話もしている。確かに地方自治体の維新の会に所属している限りは全国的に組織がある自民党なしでは総理になれない。

 

  しかし、このブログの前回記事の通り日本に大統領制を敷けば、吉村氏なら当選する可能性は高いと思う。もちろん吉村氏だけで何でも解決する訳ではなく、大統領のスタッフに先輩筋の橋下徹松井一郎などが加われば、断然期待できる。

 

  橋下氏は国会議員が領収書を整理しない点を指摘していたので、当然手をつけるし議員定数削減も行うだろう。松井一郎も無駄をなくすことにかけては持ち前の暴れん坊ぶりを発揮する。

 

  と、いつの間にか大河からかなり脱線してしまったが、幕末は紆余曲折の末にようやく慶喜が将軍に就任する。それは徳川幕府にとっては終わりを迎えたため必ずしも良いとはいえなかったが、日本の近代化にとっては正解だった。

 

  維新メンバーによる大統領も、財政や税制、少子化や過疎化、デフレ、環境などにとってはかなり有効な道だと思う。何より対中国でクアッド包囲網を迅速に柔軟に狭めていく上でも、今の議員内閣制の老自民党のままでは鈍くて不安極まりない。

 

  東京五輪大阪万博の後は特段ムーブメントもなく、経済が下がるばかりとも言われる。初代大統領誕生に向けて全国的に準備を進めれば様々に効果は広がるだろう。

 

  ググると鈴木しんじという方も日本に大統領制と唱えており、論拠も幾つか挙げていたのでいちおうこちらの記事も紹介した。おそらく初代大統領には吉村氏とは違う人をイメージしているように思われる。

 

  後の経済王になる渋澤栄一徳川幕府のままではなり得ず、世の中が明治に変わったから力を発揮できた。日本も大統領制に変えて「失われた30年」を強制終了させれば、様々な新しい人や産業が芽生えてくることになる。