初回より二回の方が面白かった。
30分間は少年時代の話。前回に多かった紹介が少なく、冒頭にまず定番の悪役であるお代官2人が接待の席で人足を6月に100人だせとお上からの指示を伝え、繁忙期だから少しでも減らしてほしいとの市郎右衛門の求めに対し「不服と申すか!」と膳を蹴飛ばして怒りまくった。
最後に登場するペリーが黒船で来てからは日本も精神的に少しは近代化したものの、現代でもトップからの無理筋な指示を少しの反論も許さず強いてくる中間管理職はよく見掛ける。
そんな大人の世界とは一線を画して、ある意味子供な部分をずっと持ち続けたからこそ渋沢栄一は前代未聞の産業家になったとも思われた。まだ明治は令和と違って隙だらけだが、現代も隙が多いユーチューブやヴォーカロイドの業界にはヒカキンやヨルシカなどの大物が出てくる。
結局、村の男たちは昼は人足、夜は藍の刈り入れ、更に蚕の繭作りの時期とも重なる中で睡眠時間を削ってやり抜く。何人か死者が出てもおかしくないがドラマではそこは描かなかった。筆者も祖父の養蚕に携わったことがあるので懐かしい光景だった。
そういえば和久井映見が働きながら歌い始め、皆も一緒に歌い出した描写があったが、これは田んぼでも草津温泉でも各地でよく見掛ける。日本では普通のことだが、明治時代に考古学の調査(大森貝塚など)で来日したエドワード・モースには「働きながら歌うなんて西洋では全く見られない!」と驚いていた。
旧約聖書の創世記によると、アダムとイブはヘビに騙されて神が禁じていた木の実を食べたためエデンの園を追放されて働かなければならなくなり、以来「労働は苦役」と捉えられており、日本のように楽しく歌うことに最初は驚き、しかし聖書から離れて(相対視して)よく考えると納得して感心したようだ。
そして3つの作業ともやっと完了した後、父市郎右衛門の前に、息子栄一たちが獅子舞を踊る光景が映った。「勝手な事をしおって!」とまたゲンコツを振るうところだが、周りの村人たちが皆喜んでいるのでそれが出来ない。父自ら一緒に踊ってみせ、村中が踊って疲れを吹き飛ばしたことできれいなオチとなった。本来勝手なはずの行動も皆を喜ばせれば水に流される好例と言える。
さて、残り15分間は青年となった栄一や慶喜の話。清(中国)が英国に敗れ、日本では百姓でも町道場で剣術が奨励されるようになった話が出てくる。次に27人も子を設けながら跡継ぎに恵まれない12代将軍家慶の養子となった慶喜。
確か江戸幕府初期に家康から家光までのブレーンとなり、都市計画にも風水をフル活用して関わった天海僧正(光秀との噂あり)は、御三家の1つ水戸は鬼門にあたるため、もし水戸から将軍を出せば終わるぞと言い遺した話があり、実際に慶喜は最後の将軍となった。
この話も200年近く経った当時まで残っていたはずだが、それでも徳川の世がまさか終わるはずがないと思い無視されたのだろう。
しかし、武芸に長けた武士に代わって、高い志を持った志士が生まれ始めた中で、頼山陽が著した幕末のベストセラー「日本外史」で足利氏や織田氏と同列に徳川氏も編集したため、「徳川幕府とて絶対ではない」と目覚める人が増えてきて、聡明な慶喜による消極性とも絡んで明治維新は成し遂げられた。
現代も絶対や磐石と思われている何かが急に崩壊して終わることはあり得るし、逆に健全な円環的革命を行わないと、外国に侵略されたりするリスクが高まる。新しい人物(身分を問わない)や新しい知識(所得が増える経済学や少子化が解決する哲学など)を見つけ、広め、支援することこそ急務ではないだろうか?