明治維新以来、静岡で長く隠遁生活を送っていた慶喜がようやく口を開いた・・・
・・・という回だったが、今一つ物足りなかった。
そこで自分なりに補足しておきたい。なぜ慶喜は静岡で狩猟や絵画、写真などの趣味に耽り続けていたのか?
少し考えれば分かることだが、旧幕府の最高責任者であった慶喜が何らかの発言をするだけでも全国の元幕臣が様々な反応をする。
しかし何も言わない。だから全国の元幕臣も反応できない。
もし慶喜が早く亡くなっていればどうなったか? おそらく誰か後継者を担ぎ上げて反政府でまとまるだろう。生きているからそれができない。
つまり、新政府が未熟ながらも政治を進められるよう、自ら妨害者たちの防波堤となっているのではないか。
このドラマでは栄一のような優秀な幕臣が幕末にも大勢いたように描いているが、当時あの勝海舟が嘆いた通り悪代官や世襲能無しが多く「幕府はもうおしめえだ」というのが事実。
それは慶喜もよく承知しており、腐敗を一新したいといろいろ考えていたはずだ。
そこへ優秀な若手に富む雄藩が台頭すると、
鳥羽伏見の戦いで倒したいとはならない。
慶喜が「天下の大愚物」と罵倒したのは雄藩のトップたちのみ。
平岡円四郎や渋沢栄一のような優秀な若手が薩摩や長州、土佐などにもいて、日の本のために立ち上がっていることを、神童だった慶喜には見えていた。