明治初期に様々な事業が急に始まったが、それは欧米視察から帰国した大久保利通や岩倉具視たちによってだと思っている人が多い。
しかし、薩長の志士だけで出来るはずがなく、征韓論で西郷隆盛とともに下野した司法担当の江藤新平はもちろん、今回のように異国帰りの旧幕臣たちが相当数、寄与したからこそ近代化に成功した。
主人公だから格好良く見せている部分もあるが、渋沢栄一が徳川慶喜直下だったからこそ、多くの旧幕臣たちが集まってその指示に従い、更に明確なビジョンと才能があったので郵便事業も紡績事業も進んでいった。
まさに、易でいうところの「臨(りん)の卦」である。ご臨席、降臨、等に用いられ、前回記事でも紹介した安岡正篤は蠱(こ)の卦の次に配置した。つまり、木皿に多くの虫がわいたように腐敗した新政府の中に栄一が臨んできた訳である。
現代も各所で腐敗が腐臭を放っているが、人事を断行すれば早く解決することが多い。続投する気満々だった菅前総理に挑み、二階斬りで名を挙げた岸田文雄新総理は、今度は竹中平蔵を追放するとの見方が高まっている。
ふてぶてしい竹中がそう簡単には引き下がるとは思えないが、新自由主義に代わる「日本型の新しい資本主義」が単なる中道保守で何ら目新しいものがなければうまくいかない。
明治時代は薩長によって成功したことになっているため、旧徳川の政府内での活躍は今では過小評価されている。特に渋沢栄一は慶喜直参なのであまり目立つと都合が悪い。
やがて、大蔵省をやめて外に飛び出し、民間の経済家として大活躍する。栄一にはその方が似合っている。