なぜ皇室は沈黙しているのか?
それが分からず、記紀の「天の岩戸」伝説でアマテラスが沈黙したようなものかと前に書いたことがあったが、よく考えてみれば今上陛下だけでなく秋篠宮殿下も沈黙していて少し当てはまらない。小室圭と眞子内親王は春に28文書で発信したが世論の袋叩きに遭ってしまった。その意味では「沈黙はカネ」を守れば良かったと、今はずっと発信を控えている。
ググっても沈黙について研究している学問は特に見当たらないが、ちょっと考えただけでもいろいろな沈黙がある。例えば…、
・子供の成長をヘタに口出しせず黙って見守る親の沈黙
・有能な部下たちに任せて泰然自若と構える上司の沈黙
・正論を吐く相手に何も反論できず沈黙する
・狂気の相手を刺激しないようあえて沈黙する
・悪いことをして叱られ、反省しているように見せる沈黙
・対話の中であえて沈黙することで相手に考える時間を与える
・苦手な分野だから喋るとボロが出ると思って沈黙する
幾らでも出て来そうな感じだがこれぐらいにしておく。たぶん人によってまだまだあると思う。それだけ沈黙も十分に考察する対象になり得ると思う。アクションばかりでなく。
そして易(えき)の話題に入るが、八卦の二極に「天」と「地」がある。最近の記事で「地天泰(たい)」と「天地否」について触れたが、泰然として有能な各将校に任せニコニコと沈黙する大山巌大将(日露戦争に勝利)のような人もいれば、泰然としているつもりでその実ビビって後方の本部を前に動かさない乃木大将(同じく日露戦争。主戦場は203高地。児玉参謀が本土から乗り込んで奇策で勝つまではずっと正面攻撃を繰り返して犠牲を増やした)は泰ではなく、否定や否決の否で、内に策めいたものはない。
だから帝王学をきちんと修めた今上天皇陛下は五輪開会式でも背筋をピンと伸ばした地天泰だが、秋篠宮殿下は五輪閉会式の中継で背をかがめて手を振っていたようにカリスマ性に乏しい真逆の天地否であり、今の沈黙も泰と否のように違う。
あと乾為天(けんいてん)と坤為地(こんいち)の卦がある。両者合わせて「乾坤」、乾坤一擲(けんこんいってき、のるかそるか)と使ったりする。
この2つは安岡正篤著「易の人生哲学」でも詳細な説明はなくただ深淵だとしか書かれていない。上記の例の中で言えば、泰でも否でもない沈黙が該当すると思う。
メインサイト「状態の秘法」合知篇のスライドで言えば、存在yと認識wが天と地に当たり、見ない、動かない、段階だから沈黙に該当する。
このスライドを完成させた頃よく聴いていた洋楽がZZTOPの「STAGES」。少なからず影響を受けていたと思う。