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混迷を深める現代に対する歴史哲学的な解決策

  歴史にはしばしば「2大対立」が見られる。

 

  わかりやすく日本史を例にとると、例えば「源平(源氏と平氏)」という日本中の武士団の対立軸はよく知られている。

 

  しかし源平合戦の対立軸は一時的なものに過ぎず、次の大きな対立軸は「南北朝時代(大覚寺統持明院統)」と言える。更に時代が下ると、「豊臣対徳川」という対立軸が全国的にあり日本列島の中央で関ヶ原の合戦が起きた。

 

  何が言いたいかと言うと、現代の「与党対野党」やアメリカの「共和党民主党」という左右対立を俯瞰的に見て、現実や未来まで見通しながらこの対立軸の呪縛から我々は離れてみた方が良いのではないか、そうしないと前に進めず、いくら選挙を繰り返しても同じではないかと考えたからだ。

 

  もう少し歴史を振り返っておこう。今度は源平の前に遡るが、大和時代には「蘇我対物部」という、仏教導入派と仏教反対派の対立軸とがあった。その後は「天智天皇派対天武天皇派」という対立軸から関ヶ原と同じ場所で壬申の乱が起きた。

 

  幕末になると、佐幕対倒幕や、尊皇攘夷対反尊皇攘夷など入り乱れたが、例えば大久保や西郷のように本心は西洋化だが主目的の倒幕のために尊皇攘夷を装って全国の志士を動員し、逆に江戸幕府は公式に西洋化なのだが屈服と捉えられ敗北している。

 

  それらに比べると明治になって後の西南戦争の方が「西郷対大久保」の対立軸ですっきりしている。征韓論で窮乏する元武士の救済を図る西郷と今はそんな時ではないと訪欧訪米から帰国した大久保との図式である。

 

  こう見てくると、どの対立軸も共通していることがある。

 

  まず「権力は長期化すると腐敗する」という大前提の上に、このままではまずいと立ち上がる反乱や政権側の改革、改革の失敗や、ついに倒されて急進派による臨時政府、それも浅慮から失敗しつつある中で、「やっぱり幕府の方が良くね?」と内心思ったのが足利尊氏徳川家康である。

 

  島津氏も源氏なので(頼朝の子孫と公称)、明治になってすぐに久光が「ワシはいつ将軍になるのだ?」と尋ねた笑い話がある。今まで大久保に騙されていたのである。

 

  それはともかく、真に安定した次期長期政権を目指した時に二大対立軸は起きている。

 

 この対立に勝利する側はもちろん武力的に優れていることもあるが、他にも大義名分に勝っていたり、新しい知恵や文化の持ち主を身分に関係なく採り入れていたり、本当に安定した世をもたらしたいという善意の人々を組み込んだりしており、決して私利私欲にまみれてはいない。

 

  例えば源平に勝った源頼朝の側には大江広元がいたし、足利尊氏の側にも夢窓疎石徳川家康の側にも天海や藤原星窩、大久保利通の側にもたくさんの才能が集まっていた。

 

  現代の左右対立は長い歴史の中で見れば決して永遠不変ではないし、日本の場合は戦後少し経って後に始まっている。当時、社会党共産党が拡大しつつある中で危機感を覚えた民主党の老参謀三木武吉自由党緒方竹虎党首(いだてんでお馴染みの元新聞記者)に保守合同を呼び掛け、自民党が成立、初代党首に鳩山一郎が就任した。

 

  左側の背景には米ソ対立があり、マルクス主義唯物史観ヘーゲル哲学の正反合に、ヘーゲルの前にカントの二律背反があり、カントはイギリスのヒューム哲学に衝撃を受けて哲学を始めた。

 

  そのヒュームから右側は始まっており、アダム・スミスベンサム、マンデヴィル、ミルなどからケインズハイエクに至っている。

 

  昭和から平成にかけての与野党対立構図は、上記の二大対立軸のような一時的なとは言えないが、選挙の度に全国を巻き込んだ関ヶ原のような描き方をされてはいる。

 

  しかし、北条執権や足利将軍、徳川将軍と同じく自民党宮澤喜一で15代で終わると(私はその歴史法則から予言したが周囲は自民党が負ける訳がないと嘲笑っていた)、細川護煕日本新党党首による短期政権ができた。

 

  すぐに細川が投げ出し、羽田孜村山富市でガタガタになると、自民党は巻き返して橋本龍太郎政権ができた。

 

  橋本の時に省庁再編が進められ、絶大だったがノーパンしゃぶしゃぶ接待で腐敗が露呈した大蔵省は財務相に改名させられた。

 

  橋本から小渕、森、小泉、安倍、麻生などのこの自民党政権は長期化せず、また敗れて鳩山由紀夫による野党連立が勝った。これも高速道路無料化や事業仕分けなど国民ウケ狙いが目立ち、菅直人や野田と移って傾き、第二次安倍政権に敗れた。

 

  この安倍政権はいちおう長期化したが、次の菅総理で最近また腐敗ぶりが目立ってきている。そもそもだが、「自由民主党」という看板を掲げているからイコール腐敗という色眼鏡で見られて損なのではないか?

 

  振り返れば、橋本龍太郎が巻き返した時や安倍晋太郎が巻き返した時に、保守を維持しつつ違う党名を看板にして新しい人材を採り入れ、例えば台湾のオードリー・タンのような、そうすれば循環的に刷新は成っていたように思う。

 

  おそらくこのままでは、今の菅自民党は言動で度々辞任や失職を繰り返し、腐敗ぶりが嫌われて選挙で敗れ、不本意ながらまた野党が勝つのだろう。しかし野党も蓮舫や辻本、枝野では運営が行き詰まる。

 

  だからその後を見据えて、心ある人は一度自民党を解体して、老いた二階や森、麻生などではなく、若手を中心とした保守に生まれ変わり、国家存続と世界共存を目指す新哲学を掲げる側と、蓮舫たちのようなバックにチャイナマネーがちらつく側との二大対立軸をつくり、その上で勝つことこそ歴史的にも正道だと思われる。