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(晴天) 武人グラントvs渋沢家

 アメリカの前大統領・グラント将軍夫妻が、約2年に渡る世界旅行の中で日本にも寄るという。

 

 栄一にとって、前大統領という響きは“前(さき)様”、主君徳川慶喜にダブッていたことだろう。率先して歓迎の準備に力を入れる。

 

 現れたグラント将軍は、背が小さく隣の栄一より低い姿だった。そんな小男か? スマホをとってwikipediaで調べると、ちゃんと「逸話」の箇所に183cmと書いてある。またNHKに騙されたか?

 

 実際の彼は、激戦のアメリ南北戦争北軍勝利に導いた大英雄である。堂々とした体躯で現れてほしかった。

 

 渋沢邸での催しの中で鎧武者による演武や力士に興味を持ったように、根っからの武人といっていい。

 

 ところで南北戦争といえば、いわゆるリンカーン奴隷解放だけでなく、工業が発展したアメリカ北部と、農業が目立つアメリカ南部という対立のため戦争初期は銃火器に勝る北軍有利と思われた。

 

 しかし、南軍は工業力に劣っても人的パワー、つまり各将の知恵や連携で渋とく長期戦にもっていった。北軍のグラント率いる派遣隊は、その南軍の東西に伸びるラインを遮断すべくミシシッピー川流域を転戦、そしてビックスバーグ要塞を包囲陥落させることで勝敗を決した。

 

 そう考えると、歓迎会の2日後に急遽、渋沢邸でのホームパーティを希望したという話は、グラント得意の奇襲攻撃ともいえ、受けて立った栄一は武人の目から見ても認められたことになるだろう。

 

 何せ奇襲を受けて狼狽する例といえば、一ノ谷での平家や桶狭間今川義元など、武士なのに公家のような者が多い。他に奇襲で滅んだ山口の大内義隆や美濃の土岐頼芸も公家っぽい大名だった。

 

 いや、元商人で今や銀行家となった栄一だけではやはり厳しい。

 

 伝説の剣士だった尾高長七郎の妹でもある千代が“覚醒”したからこそ、この奇襲に対応できたといえる。

 

 ネット上で「お千代の主役回」という声が高いので、敢えてグラント将軍にスポットを当てて書いていったが、最後はやはり千代になった。