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(晴天) 伊達宗城と栄一

 今回、チラと登場した伊達宗城(むねなり)は元々伊達氏の血筋にあたる旗本の家に江戸で生まれた。

 

 四国伊予宇和島藩の家臣の家に養子となり、藩主に嗣子がいないためその五女と婚約して伊達宗城となった。

 

 藩主となってからは高野長英を匿ったり、長州に埋もれていた医者の村田蔵六(大阪適塾一の秀才)を招いて日本初の蒸気船を造らせたりと開明的なことをした。蔵六は蘭書を訳して本当に黒船を造り、藩主宗城を乗船させた。この蔵六が帰郷して高杉晋作の指名を受け、第二次長州征伐の指揮をとって四方からの幕府軍を撃退した日本陸軍の父・大村益次郎である。更に上野寛永寺でも西郷隆盛を指揮して一日でケリをつけ、あまりに凄過ぎるので襲撃された。瀕死の益次郎を日露戦争の英雄となる天才児玉源太郎が運び出し、シーボルトの娘イネが看取った。

 

 そんな縁もある旧藩主伊達宗城が元百姓の銀行家渋沢栄一の長女との縁談の場に現れ、関係者となる。おそらく、家柄や血筋よりも才能や将来性を優先しての行動だろう。自身も伊達氏傍流とはいえ旗本の生まれだったから。

 

 4年前に宇和島に行ったことがある。漫画喫茶ぐらいあるだろうと思ったらなく、北の大洲まで戻って仮眠した。確かファミレスは1店あった。とても天下の4賢候の1人の城下町とは言えない。

 

 上から見ると五角形だが、横から見ると四角形と錯覚する仕掛けの宇和島城の周囲を、江戸城からの隠密(おんみつ、スパイ)になったつもりで回ってみたが、住宅街が囲ってピンとこない。実際その隠密は四角形で江戸幕府に報告して空き角の存在に気づかなかったらしい。藤堂高虎の才能に感心する。

 

 寂れていたこの地を高虎や宗城が来ただけで活性化した。今は何故できないんだろう。宇和島に限らず全国各地がシャッター街になっている。新宿も汚く古く臭い。無能とは言い過ぎかもしれないが、そんな人たちがどこも牛耳って有能な人を認めず使わないからである。