草分け中

試論や試案のサブサイト。メインは「状態の秘法」合知篇(深く)鼎道篇(広く)等

大決戦で転換期は終わる

  責任者という立場にありながら何もせず享楽的で、しかも周囲の誰も諌めない。そんな人物の代表例が鎌倉時代末期の幕府14代執権、闘犬と田楽好きな北条高時である。

 

  また、責任者という立場にありながら何もできず趣味の剣術に没頭していた人物が室町時代末期の13代将軍足利義輝であり、最期は代わりに仕切っていた三好や松永の襲撃を受けた。何本もの刀を部屋の各場所に用意して孤軍奮闘したものの、大河で描かれた通り三方から板で封じ込められて長槍に刺された。

 

  現代の国家責任者である自民党政権もコロナ禍なのに密になって飲み食いしたり、幹事長に仕切られて首相が弱々しかったりと、上記の末期的症状はよく似ている。

 

  鎌倉幕府が続く限り全国の窮乏が解決されないと見なされると、対抗軸として後醍醐天皇が立ち上がり、日野資朝楠木正成新田義貞足利高氏、赤松、児島、菊池など優秀な人物が続々と味方して幕府を倒した。

 

  室町幕府の末期にはよく知られている通り戦国大名が群雄割拠し、分国法を定め、相争う中で織田信長が台頭して、15代将軍足利義昭を追放した。

 

  平安時代から鎌倉時代への転換期や江戸時代から明治時代への転換期、戦前から戦後への転換期は今回割愛するが、日本史は総じて円環状に回転しながら腐敗を刷新するようになっている。

 

  その第一段階は旧政権とは別に大きな勢力が独立して対立する。後醍醐天皇後白河法王、戦国大名、雄藩などのように。

 

  次の第二段階は旧いものを破壊し逆転する。新田義貞が鎌倉を襲撃したり、織田信長高杉晋作マッカーサー平清盛中大兄皇子などのように。

 

  1990年前後の享楽的だったバブルとその後の崩壊、大蔵官僚次官が受けた"ノーパンしゃぶしゃぶ接待"など、末期的症状を呈した自民党政権に対して、当時の小沢一郎元幹事長は「日本改造計画」を著して二大政党政治のビジョンを打ち出し、自ら自民党を飛び出して野党各党と組み、政権交代を果たした。上記の例で言うと対立段階が始まったと言える。

 

  2021年現在も与党が駄目なら選挙で倒そうという小沢一郎的考え方を持つ人が多い。しかし、麻生から細川、安倍(第一次)から鳩山、と二度政権交代を果たしても特に良くはならず、かえって悪くなっている。

 

  一方、旧いものを破壊する第二段階も現代にはあり、例えばライオンヘアの変わり者、小泉純一郎は悪名高い御用学者の竹中平蔵と組んで"ぶっ壊す"と意気込んだ。低賃金の派遣労働者が増えて第二次ベビーブーマーの多くが独身のまま生涯を終えそうだし、多額の郵便貯金外資に献上された。今もまだ竹中は健在で、今度は菅総理のもとで大企業化を唱えるアトキンソンとともに中小企業を潰そうとしている。

 

  歴史の転換期は対立と破壊の段階だけでは刷新されず、この後に創造的段階、調整や統合する段階、完成する段階がきてやっと終わる。初代将軍の誕生である。

 

 転換期の後は制度期があり、鎌倉時代の場合は御成敗式目、江戸時代は武家諸法渡、帝国憲法日本国憲法律令などがそれに当たる。

 

  制度期の次は文化期で、戦後もテレビや冷蔵庫、洗濯機のいわゆる"三種の神器"、自動車、電話、ラジカセなどが普及した。

 

  文化期が爛熟すると反乱や内乱が起きる。一揆学生運動など。

 

  そこから改革期が始まる。江戸の三大改革や墾田永年資材法、院政、徳政令行政改革など。ただ小手先の部分的な対症療法なのでたいてい失敗して衰退し、転換期を迎えるようになる。

 

  現代の転換期の第一と第二までは小沢や竹中で約30年間続いているが、この次の第三はいったいいつ始まるのだろうか?

 

  身分の低い楠木正成豊臣秀吉勝海舟などが重んじられるような現象、海外からの文化を導入したり、新しい思想哲学が打ち立てられたり、そういった創造的移行がなければと思うが、第三の人は寄りそう所を誤れば途中で脱落する。義経や正成、海舟などのように。

 

  逆に失脚せず頂点に立つと、秀吉や吉田茂のように長く続いたりもする。

 

  そして第五にあたる徳川家康を補佐する第四の本多正信足利尊氏には弟直義、源頼朝には北条時政鳩山一郎(自民党初代総裁)には三木武吉というように調整役が統合する。

 

  その転換期の最後にはたいてい「一大決戦」がある。関ヶ原の戦い西南戦争壬申の乱などのように。戦後も日本に社会党共産党などの左翼が拡大してきたから参謀三木武吉緒方竹虎党首に呼び掛けて保守合同自由民主党が誕生した。

 

  日本史を円で表すと、大決戦が右上なら左下には先述した内乱がくる。

 

  現代の決戦が何で、最後の勝利者が誰なのか?  前回記事では初代大統領だと書いたが、その後に調べてみると維新の会は既に首相公選制を公約の1つに入れていた。自民党は検討したことはあるが今は掲げておらず、ネットの書き込みも進次郎や小池みたいな人を馬鹿な国民がマスコミに騙されて選ぶ恐れがあると否定的である。

 

  しかし、先の千葉での知事選や大阪、北海道の首長など結構マトモな人が選ばれる例も見られる。

 

  転換期が進まず歴史の円環が成り立たなければ、枯れ果てて財政や税制、少子化も未解決なままになるだろう。江戸時代末も徳川の世が未来永劫ずっと続くと諦める風潮が占めていた。

 

  水戸光國が編纂した大日本史の直線的歴史観とは別に、頼山陽が「日本外史」を著して徳川氏を新田氏や織田氏などと同列に扱ったことで相対化され、幕府は絶対ではないから倒幕しようと全国の志士が立ち上がった。

 

  現代も円環史観はまだ少数派で、転換期は停滞したままなのでこうして何度も書いたり、送ったりしている。