なぜか軽視されがちな哲学だが、歴史を振り返れば時に停滞を打破する凄いカギになり得る。
例えば17世紀にフランスの哲学者が理性を発見してから近代が始まったし(デカルト)、遡ればギリシャの黄金期も哲学が隆盛だった(ソクラテスやプラトンなど)。
最近の中国は香港の選挙制度を見直して民主主義を除こうとしているが、これは世界の哲学史的な流れとはまったく逆行しており、逆進すればするほどその差は開く。至るところは前近代的な昔懐かしい時代の再現であり、そんな最も世界で遅れた国に諸国はソッポを向き始めた。経済も貿易相手が減れば内部循環型と嘯(うそぶ)いても傾くだろう。
ところで、市販の哲学史本はサルトルやデリダで区切りをつけてもう30年以上になる。インターネットやスマホ、ユーチューブの普及で新しいスタイルの哲学があっても良いはずだが、特にオオモノは出てこない。
経済学でマルクスやケインズの「大きな政府」に対して「小さな政府」を唱えたハイエクの新自由主義が、経済分野の垣根を越えて、サッチャーやレーガン、中曽根をはじめ、小泉竹中などの哲学信条にもなっている。
今の菅総理や麻生副総理も「自助」を説いているからこの哲学に属する。というか、他にないので仕方なくそうしているように見える。コロナで大変だからと公助を使おうにも自助という拘(こだわ)りが邪魔して出来ないでいる。
要は哲学関係者が30年間ずっと怠けている。もっと新しい哲学の開発や探索、評価と採用に力を入れるべきなのに、結果として何も出てこない。従来の発想を全て網羅した上でないと新哲学の価値は分からないから、ここはもっともっと哲学界が働くべきと思う。
私自身は、これからの哲学は新自由主義のような反ケインズ(マルクス)のための一点突破では汎用的な有効性はないと考えている。
汎用のため視点を広くとってみれば、6つの“極”が大事だと至った。
・「幻想」と「現実」
・「財産」と「資本」
・「権利」と「義務」 である。
まず分かりやすいところから、「現実」とは身長や体重、出身地や現住所、所属先など。これに「財産」を加えたり、「資本金」を加えても自己紹介時の自己といえる。自己は自我と違ってもっと広い自分である。
「権利」と「義務」は法的なもの以外にも、家庭や地域、職場のもの、慣習やマイルールまで様々ある。
「幻想」というと分かりにくいが、夢や理想、方向性、掲げる信条などと言えば自己紹介でも使う。これら6つの“極”を個人に限らず物事を見極める基準として活用し、整えていく。
メインサイト「状態と機能の話」ではこの6つを記号化している。
・「幻想」をY、「現実」をW
・「財産」をY'、「資本」をW'
・「権利」をY"、「義務」をW"
そして、停滞中の幾つかの課題にこの6つを記号で整理する。例えば少子化の場合、
・Y:結婚願望の割合、昨今の結婚観
・W:適齢独身者の数や既婚者、離婚率等
・Y':本人の年収や条件
・W':資金や式場
・Y":婚姻の自由度
・W":養育の義務や勤労の義務、不貞の罰則
など挙げられるが、多くの人が金銭的窮乏を挙げているので自治体によっては補助金を増したり出会いの場を設けたりしている。
しかし、ヤフコメにも増えているが多様な生き方を理由に独身でも良いという見方が広がっており、Yも整ってはいない。
生物学的には他の遺伝子と組み合わせることによって環境変化にも耐えられる強い個体をつくり、生き残るために雌雄がある。雌雄がないのはウィルスと同じで、変異しなければアルコールぐらいで死滅する。
他にも国際問題や東京オリンピックの是非、コロナ対策など、一点突破や破壊などではなく総合的建設的に進めるなら6つの極は非常に有効になると思う。