人には自由意志がある前提が通じない事が時々気になったりする。
統計で毎年の出荷量や事件事故の数、人の出入り(交通量)、来場者数などがだいたい似ていると、個人個人ベースでは昨年行ったから今年は行かないとかあるはずなのに、なぜ全体ではあまり変わらないのだろうと思う。
ただ最近はコロナの蔓延もあって若干変わるかもしれないが、それは後述するとして、まず自由意志とは無関係に統計数値がほぼ同じになる話の理由から推測したい。
というのは誰も言及しないからだが、確かに今までの学問では説明がつかない。私は自説の考え方から、それは個人個人に大きさの違う歯車のようなサイクルがあり、例えば頻繁に通販を利用する人もいれば長期間の間隔があく人もおり、その人数のバランスがエリアごとでだいたい決まっている。だから県別の各数値が毎年一定になると思っている。
この購入サイクル(事件事故や来場者数含む)は、いわゆるライフサイクルと近いが、既存の経済学の限界効用逓減説や眩示的消費とも違う、サイクルがくれば出費したくなるものである。自由意志とは関係なく。
どんなサイクルかは自説「状態と機能の話」参照。
さて、自由意志とは関係ない話のもう1つが周期説である。何年か経てば何かが起こるというものや、ある段階が順番に巡るというものがあるが、特に最近は「東京30年周期説」が気になる。パソコン画面の右側上にある、ブログ1回目の記事である。
2020年は東京オリンピックに絡む変化だと以前書いていたが、どうもそれがコロナかなと思えてきた。飲食店は潰れ、銀座など夜の街は議員叩きもあって静かになり(雀荘も検事総長叩きがあったが)、竹下通りも静かになって地方の娘が憧れなくなり、リモートで拠点が散らばり、電通やエイベックスなど本社が売りに出され、明らかに前の30年とは異なってきた。
これからどんな30年になるかはしばらく後にならないと分からないらしい。
ただ自由意志とは無関係な裏の法則を気にして行動すれば、例えば部分改革ではなく全面的な見直しを行い、大胆な連合が行われたりすると思う。