各場面の連動

知的雑感集。全体を知りたい方は「状態の秘法」をどうぞ。

事態を前に進められる人

  宮内庁長官を務めて評価が高かった故藤森昭一ウィキペディアからのコピペである。

 

伊勢湾台風の時は三重県庁総務部長として大災害救援活動に奔走した。

>1975年6月16日、佐藤栄作元総理の国民葬日本武道館で行われた時、待機していた三木武夫総理に右翼の男が襲いかかり、同総理をノックアウトした。この時、内閣参事官をしていた藤森は、犯人に組みついて逮捕し、この功労で警視総監賞を受けた。

>1982年(昭和57年)中曽根内閣の発足と共に事務担当の内閣官房副長官に就任する。副長官在任は中曽根内閣の5年間に及んだ。

藤森の部下であった佐々淳行内閣安全保障室長)は、著書『わが上司 後藤田正晴』(文春文庫、2002年)で、突発的な危機に官邸が対応できるよう、藤森は副長官任期中は一度も東京を離れなかったというエピソードを紹介し、その職務に対する責任の高さを賞賛している。

官房副長官退任後の1988年(昭和63年)6月14日から宮内庁長官を務める。在任中の1989年(昭和64年)1月7日に昭和天皇崩御という時代の節目を迎え、天皇崩御の報告会見を行う[3]。1989年(平成元年)2月24日の大喪の礼、翌1990年(平成2年)11月の第125代天皇上皇明仁即位の礼大嘗祭などを取り仕切った。1996年(平成8年)1月18日に退任。

 


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 どんな人物か顔だけでも分かる。泥をすすっても事態を前に進められる、良い意味で格好悪い人だ。

 

  こんな顔の上役が昔は結構いた。今はどこにもいなくなった。生きていても上には就けなくなった。

 

  スマートで小さなミスをせず、喋りがうまいだけの人を評価し、例えばコロナ担当の西村のような人だが、結局世界に比してワクチンの開発も普及も出遅れ、世界に誇る日本の飲食業を壊滅させ、給付金も世界に比して渋り続け、本職の経済再生もできず、今はあまり見なくなった。

 

  雅子妃の信頼も厚かった藤森昭一長官のような人がいないから宮内庁は長期化した小室問題を解決できないという話もあるが、別に人材不足は宮内庁に限った話ではなく、総理も官房長官も経済担当(竹中平蔵)も人材不足である。

 

  インドは小さなミスを特に咎めず前に進む国柄だからIT大国になったが、日本は中高生の間でも1つのミスや失言で終わってしまう窮屈さがある。

 

  藤森氏が退任したのも大きな成功の評価よりも泥臭い行動に伴う(雅子妃の結婚やその後の苦労への相談と対策)ミスへの周囲の圧力もあって最後は責任をとって辞任したと推測する。

 

  もしも、小室問題を破談で決着させる人がいたなら、裏に藤森昭一タイプが復活したとしか思われないし、この時代が反転して良くなると期待したい。