この大河が始まった頃、「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一とは、どんなエコノミック・アニマルなのだろう?と思ったものだった。
北関東にある血洗島で父親から商売のイロハを学び、確かな藍の目利きを身につける。経済学で言うところのアニマル・スピリッツの持ち主だった。
しかし一方で、同じ村の“兄い”と呼ばれる尾高惇忠が開く塾にて幼少時から論語を教わり、晩年には「論語と算盤」なる著作も出す。決して商売一辺倒ではなく、道徳や正義をも重んじたのだ。そこはアニマルとは言えずヒューマンである。
また、惇忠とともに尊皇攘夷運動に加わり、横浜の異人館焼討計画を実行しようとしたり、その経緯で知り合った平岡円四郎を通じて徳川慶喜の家臣になるなど、政治的分野ともつながり、明治に変わってからは初代総理大臣となる伊藤博文とも生涯変わらぬ友情を育む。
更に、商売的には損にしかならない福祉分野にも深くこだわり、周りの反対を押し切って養育院の経営を続けた。
そんな多面性、いや、正確には4つにまとめられるのだが、これは次の4つとも重ねられる。
経済が②、道徳が④、政治は①、福祉が③に当たる。
長い間、大蔵省が威張り散らし、日本を牛耳り、無節操に役所を増やし続けていた中で、橋本竜太郎首相は1997年秋に①〜④の4本柱で省庁再編を行うと発表した。大蔵省という名も橋竜の鶴の一声で財務省に変わり、通産省はなくなって経済産業省に、文部科学省、国土交通省、厚生労働省などが21世紀とともに幕を開けた。
1980年代から利潤と効率のみを至上の価値としてきた新自由主義か猛威を振るってきたが、橋竜はここにストップをかけ、①〜④の広域性を重んじたのだ。
その反経済性に危機感を覚えた新自由主義の知識人が次の小渕内閣に入閣した堺屋太一経済企画庁長官。しかし「国民の財布の紐はまだ固い」と“月例経済文学”と揶揄されたように上向かない。目玉の二千円札もスベった。
次の小泉内閣から経済担当で入閣したのは竹中平蔵大臣。しかし、外資にヘコヘコして売国奴呼ばわりされたり、派遣法改悪して少子化に拍車をかけ、自身は派遣大手パソナの会長に就いて今も評判は悪い。
そう、謎の橋竜省庁再編という革命に対する反革命が起き、日本だけが新自由主義を続けてしまったのである。それは菅内閣時の「モットーは自助」「次に共助で公助は最後」のセリフでも分かる。
ではどうすべきか?
渋沢栄一にならい、経済(食)一辺倒ではなく衣食住全てに渡って広く深く追求して投資するのである。
それは浅い考えからのハコモノ行政ではない。
深い考えから出てきている。
決して難しいことではない。トランプに例えればダイヤだけに拘らず、スペードやクラブ、ハートなど、4つを公平に見ろと言いたいのだ。
少し脱線したかもしれないが、実は今回の記事で前回記事に欠けていた1980年代と2000年代以降の間の1990年代というピースが埋まる。
近々スライドにまとめたい。