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(青天) 日本資本主義の祖父は慶喜かも?

  小学校6年の社会科は日本史だが、授業の時に担任が私に尋ねた。

 

  「徳川将軍15代の中で一番頭が良かった人は誰ですか?」

 

  少し考えると、初代将軍の家康は当然非凡だが、2代将軍秀忠から凡人が続き、8代吉宗で少し良くなる。あとは5代綱吉と15代慶喜ぐらいか?

 

  担任は「慶喜です!」と断言した。なぜ幕府を潰した最後の将軍が一番賢いのか? その理由は徐々に分かっていったが、筆者にだけは中高時もこうした変化球の質問が授業中によく飛んできた。

 

  「神道と書いてどう読みますか!?」(しんとう)

  「春は何色ですか!?」(青色)

 

  たぶん日頃から受験勉強とは関係ない様々な本を乱読しまくっていたことを知っていたからだろう。

 

  ある理科の時間に「磁力がN極からS極に流れるなら地球では南極がN極で北極がS極でないと方位磁針の赤い針が北に向きません」と言うと、教師が「その通りです」とあっさり認め、評価が5になった。電子が実はマイナスからプラスに流れている蛍光灯の話の時も同様で、なぜ最初の電池の時にプラスからマイナスと教えるのか不満で理系を嫌いになった。ジカに自身で確認することは少なく、多くは約束事を覚えている、だったら哲学の方がまだ実際的だ。観念論ではない哲学の研鑽(けんさん)に努めようと。

 

  話が脱線したが、慶喜は徳川家に生まれなければ確かにそれなりに成功した賢さがある。周囲に頑迷な愚か者が多い徳川家に生まれたからこそ苦労し、全く真逆な円四郎や栄一との出会いを大事にしたのだろう。

 

  栄一もいかに優秀でも、理解者がいなければただの下層民で終わる。円四郎に引き立てられ、慶喜が藩札を認めて勘定奉行に抜擢したからこそ、やがては日本資本主義が世界でも異例な成功を収める。そう考えると慶喜の優秀さに異議はない。

 

  次回以降は将軍となった慶喜鳥羽伏見の戦いに敗れたり、江戸に向かって船で撤退してり、大政奉還してしまったりと、一般的には残念な場面が続くが、主人公からはどう映るのか興味深い。

 

  多少の戦争はあったものの、近代化に向けて比較的ソフトランディングできたからこそ、後の日清日露戦争では野津道貫(みちつら)や大山巌など各地の優秀な元武将を総結集して勝利できたと思う。

 

  来たる対外戦争に備えて慶喜の深謀遠慮があったとしか思えない。もし泥沼の消耗戦を国内で続けたらその後の発展はなかっただろう。