深く広く新しく

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(晴天) 遡ると確かな人物眼がつながっていた

 一橋慶喜が馬に乗って走っている途中、突然栄一と喜作が姿を現して「渋澤栄一でございます!」と大声で名乗りをあげる。

 

  これと似たような話が過去にもあった。

 

  確か「太閤記」と思うが、馬に乗って若き織田信長が走っている途中、木の上から突然、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が飛び降りてきて、「上は天文、下は地理!」と大見栄を切った場面である。

 

  仲介した平岡円四郎の役回りは、後の加賀百万石の祖となった前田利家で、この後に同じボロ長屋で秀吉夫婦と利家夫婦は仲良く暮らすことになる。

 

  オススメの史跡、安土城の巨石による大階段の途中にも、秀吉と利家の屋敷は隣同士という案内看板があり、友情が長く続いていたことが分かる。

 

  栄一が一橋家に入れたのも、まず平岡円四郎が見込んだから慶喜が許可したと思われる。その円四郎も最初はご飯の盛り方も知らないほどだったが、水戸斉昭が見込んだ男だから慶喜は受け入れた。

 

  そう遡って考えてゆくと、斉昭の人物眼から始まった訳である。斉昭は早くから国難を理解し、それに備えて西洋的な備えに努め、広く人物を集めた。最善を尽くすなら身分は問わず、だから長屋住まいの円四郎を抜擢した。

 

  円四郎は斉昭の期待以上の働きをして慶喜の信任が篤くなり、人選にかけては更に上をいって一介の百姓だった栄一と喜作を家来にした。この英断がなかったら後の日本に資本主義経済が根付いたかどうかすら怪しい。

 

  信長も戦国乱世を乗り切るために身分関係なく家来を集め、派手な歌舞伎ぶりで前田家の厄介者だった犬千代(利家)を近臣にし、その友達の藤吉郎も草履取りにした。

 

  決して栄一の建白や藤吉郎の大見栄に感心した訳ではない。ただ、こうして身分を問わない採用をしていくと、主君自身も何が正解かどうするべきか分かっていき、旧来のやり方から離れていく。それが今回後半の久光との決別の展開につながってゆく。西郷も久光に対してははじめから人物ではないと見限っていた。慶喜も薩摩と決別したと言うより、兄斉彬と比べて余りにも凡人に過ぎない久光個人と決別したのである。

 

  現代はどうなんだろう? 似たような抜擢がどこかにあるのかもしれないが、あまり聞かない。

 

  筆者も若いときに関東や関西で試みたことはあったが、じかに会うと人間性に失望してしまったりした。浪人龍馬が海舟に心服して塾頭になったり、西郷が斉彬の御庭番になったようにはならなかった。

 

  東京のとある会社で秘書のような業務に携わったことはあるが、離れて海辺に住んで10年以上になる。

 

  今も政財界や学界にこれはという人はいない。失政によるコロナワクチンの遅れや経済の衰退はまだまだ進んでいる。人物不在という点では現代は本当に不幸であり、栄一が羨ましいと思う。