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「たまにしたくなる」と「二度としたくない」

  誰しも「たまに~したくなる」ものがある。ヤフー知恵袋の質問には、"ちょっと高価な買い物"や"釣り"、"大掃除"、"一人ドライブ"など、人によって様々な回答が寄せられている。

 

  "ちょっと高価な"という補足がミソで、凄く高価だと「たまに~したくなるもの」には入らない。逆に安価な買い物の方がたくさん入る。

 

  例えば"ジャンクフード"は「たまに食べたくなるもの」だし、"カップラーメン"や"カップ焼きそば"もたまに食べたくなる人をよく聞く。朝昼晩、毎日食べると体に良くないので「たまに」だろう。

 

  また、病院のロビーの待合室に週刊ポスト週刊女性自身などの雑誌があると、たまに読みたくなって手に取ることがある。コンビニに並んでいるのも売れるからだろう。他人のスキャンダルを四六時中聞きたい訳ではないが、たまに知りたくなるし、これら週刊誌も安価で手にいれやすい。ジャンクフードと同様に微量の毒性があるとしても。

 

  ところで、「たまに~たくなる」の頻度はどんなものだろうか? たまに通販で買い物したくなる人がいるが、頻度が高くて短い期間で何度も送信する人もいれば、逆に長期間に一度という頻度の人もいる。

 

  分布図的には地域によってその割合がだいたいあり、だからだろうか? 配達する車の中の荷物量は日々あまり変わらなかったりする。個々人の自由意志で通販を利用しているはずだが、「たまに~たくなる」ライフサイクルの長短の割合が作用していると思われる。

 

  これは「たまに電車を利用したくなる」場合にも相当し、通勤通学の固定客に加えて自由意志のはずの買い物する乗客の数量も年間を通したデータで見ると毎年そう大きな変化はなく、地域間の違いも同じで、上位や下位が極端に入れ代わったりはない。

 

  更に、道路の車両の数、それに伴う事故の数、死傷者数も同じことが言え、ゼロになる年はなく、必ず起こり得る数人の中に自分が入るか入らないかは安全への気配りの違いでその出くわす確率は幾らか減る。

 

  以上のようなことを過去に誰かが言ったかいちおう検索して調べたが分からない。統計学は発達してもその背景や原因となると不思議でオカルトの領域に入ると思われるからだろうか?

 

  「たまに~したくなる」のは、その時その場のシチュエーションに特に関係なく自分の中で発生する。

 

  「たまに~したくなる」頻度が多いものは経済を活性化し得る。ただその多くは安価だが。

 

  多くの人がお金持ちで、「たまに高級車を買い替えたくなる」国がドバイやモナコとかどこかにあるかもしれないが、資源問題的には非常に環境に悪い。

 

  経済学の「限界効用逓減の法則」を真実と思っているから、各企業は新商品を企画し、売り、窮し、また苦肉の新商品を出そうとする、ボブ・マーリィ曰く"バビロンシステム"の奴隷となるのだが、「たまにカップ焼きそば(という分野、商品ではなく)を食べたくなる」原因や、その長短差の話はこの逓減法則とは違う。

 

  例えば、最近は「どん兵衛」と「UFO」を互いに入れ換えて「うどんだしのUFO」や「ソース味のどん兵衛」が出たりしたが、これも限界効用逓減の法則に従えばいずれ緩やかに売れなくなってゆく。しかし、カップ焼きそばという「分野」に目を移せば、繰り返しまた食べたくなるのだ。

 

  本ブログの題名「ループ」とようやく結び付いてきた。

 

  若い頃にジャンクフードを食べて、コカ・コーラを飲んで美味しく思った、脳内の快楽ホルモンが分泌された、そういった体験を再び味わいたい、再体験したくて「たまに~したくなる」は起きる。

 

  逆に言えば、高価なのに激マズで、「お店に騙された!」「金返せチクショー!」と体験したことは、たまに~したくなるどころか、「二度と~したくない」、快楽ホルモンとは逆の怒りと悲しみの脳内物質が多量に分泌されて体全体の調子を悪くしてしまい、その飲食店を話題にすることすらも嫌になる。

 

  「二度と~したくない」ものは個々で学習して防止に努め、「たまに~したくなる」ものをたまにできるよう働いて金を貯め、余暇をつくる。国や企業はその環境をつくる。自由をある程度認め、一方で行き過ぎがないよう規律を高める。

 

  一部の独裁国家では、それができないため我々は違和感を覚える。また国内でも違和感を覚える場所は多々あるが、それらの改善にこの「たまに~したくなる」サイクルの研究がもし役立つならもっと進めてみたい。