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(鎌倉殿の13人) 義時はダースベイダーか?

  義時が“ ダークサイド”に堕ちたと話題だ。

 

https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/7d4881a5fb81209d8825a345ea0d9f384d0df636&preview=auto

 

  主君頼朝から試されるかのように次々と難しいミッションを下される今回の義時。

 

  まずは義仲の遺児義高の始末。義高は頼朝の長女大姫と仲が良く、姉政子が激怒したため義時は密かに逃がす作戦を選択。

 

 しかし、いざ実行に移す段になって二転三転するうち義高は武蔵国で果てる。

 

  すると頼朝は次に、関与した甲斐武田氏の一条忠頼や藤内光澄を始末せよと義時に命じる。

 

  さすがにそれはと狼狽える義時。

 

  「恐ろしい所だな、鎌倉は」

 

  何度も出てくるこの言葉の通り、義時は鎌倉の中心で結局忠実にミッションをクリアする。険しくなる顔つき。

 

  はじめは善側のヒーローだった。

  しかし冷酷な主君の下で次第に変わる。

  やがて強大なナンバー2となる。

  そして息子は善側のスーパーヒーロー。

 

  この構図、どこかで見たことある。

 

  映画「スターウォーズ」のダースベイダーでは・・・


【解説】最強の悪役ダース・ベイダーの知られざる素顔と正体に迫る!【スターウォーズ】 - YouTube

 

  3代目執権となる北条泰時は「御成敗式目」を制定して幕府を安定させ、優しい性格で知られる。戦も強い(承久の乱)。まるでルーク・スカイウォーカーのようだ。

 

  しかし父のアナキン・スカイウォーカーは、若きジェダイの騎士で将来を期待されながらシスの帝王に見出されてダークサイドに堕ちる。それが“ エピソード1~3”の話だった。

 

  ちなみにジェダイの騎士とは黒澤映画ファンだったジョージ・ルーカス監督が“ 時代劇の武士”から名付けたという。

 

  三谷幸喜氏にその自覚があるか分からないが、「鎌倉殿の13人」とは、映画スターウォーズで12人のメンバーからなる「ジェダイ評議会」に近いタイトル名かもしれない。


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  どちらも崩壊する。

 

  しかし、ルークスカイウォーカーや北条泰時が一筋の光となる。

 

 

  

 

  

(鎌倉殿検証) 敵陣内に突如現れた70騎の恐怖

  前回放送された「鎌倉殿の13人」

 

 源義経が駆け下りた崖を 、合戦名となった西側の“一ノ谷”でもなく、有力な“鵯越”でもなく、あまり聞かない、ネットでも特に見当たらない「鉢伏山」とする新説(珍説?)を検証するために本日現地確認に行った。

 

   過去にどちらも行ったが、下の絵のような感じではなかった。
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  戦国時代の武将、黒田長政(官兵衛の息子)はこの合戦を模した兜をかぶっていたというのに。


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  左手に海を観ながら西へ進んでいくが、好天に恵まれて上下線とも渋滞でなかなか前へ進まない。そうこうするうちに須磨区に入った。

 

  スマホ画面上に一ノ谷の古戦場に関する石碑のようなポイントを認めたが、路肩がなく車を停められないのでそのままゆっくり過ぎて行った。

 

  やがて、前方に鉢伏山らしき山が見えた。その名の通り、鉢を伏せたような形に見えなくもない。ロープウェイで山頂にも行けそうだ。

 

  しかし、

 

  右折して山の麓(ふもと)に入ることが難しい。この先でUターンして左折すれば入れないこともないが、どうもこの辺りは以前来たことがある。

 

  思い出した。毎年11月に行われる「六甲全山縦走大会」のスタート地点に当たる須磨浦公園駅である。ここを起点に宝塚まで1日で走破(山登りだからほとんど徒歩)する。

 


六甲全山縦走路(20-01)|登山・トレッキング|兵庫県|エリア紹介|ジャパンエコトラック公式サイト|JAPAN ECO TRACK

 

  参加者を車に乗せて早朝ここで降ろしたことがあるが、ゴールの宝塚まではかなり遠く思われた。それでも老若男女様々な参加者が色とりどりの格好で準備していた。

 

  途中はこんな感じらしい。
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  上の写真がどこなのか分からないが、確かに崖のような所はあるようだ。

 

  しかし、鉢伏山だという決定的な証拠はなく、この大河は三谷幸喜がほぼやりたい放題で義経を描いている。

 

  急に振り返って至近距離から狩人を射ったり、政子の膝枕で寝ようとしたり、亀の前の屋敷を弁慶と派手に壊したり、どれも証拠はなく、三谷の捏造である。

 

  今回も、平家の背後を衝く戦法を梶原景時からまず語らせ、義経が即座に否定して北の三草山の敵を撃って戦線を広げた上で戦況の中から好機を掴むと上回るように仕向けた。

 

  「思いつかなかった自分が悔しい」と嘆く景時。そう思うだけでも上等である。たぶん他の御家人はそこまで悔しがってないし分かってない。義時も。

 

  たぶん三谷周辺の制作者の間がこんなではないかと思う。

 

  私も過去にイベントの準備を国家官僚と打ち合わせた時に、計画書は作成するが、それより大事なのは正しく人選して配置し、当日状況に応じてやっていくだけと述べたところ「そうではない」と言われ、厚さ10センチにも及ぶ小さな文字ばかりの資料を用意しろとサンプルを見せられ辟易したことがある。安いカネと短い時間に何をアホな要求してくるのか。

 

  そんな形式的な合戦なら東の生田口の源範頼でいい。ただそれでは山上の猛将、平教経(八艘飛びの話に出てくる)に挟撃されて源氏は負ける。

 

  この合戦の名前が、源平の大軍同士がぶつかった生田口の戦いではなく、西端の搦手(からめて)にあたる所の一ノ谷の戦いと呼ばれたのは、天才義経が突然70騎で現れて火をつけ暴れ回ったからである。

 

  貴族のような平家が、大量の動物に驚くのは倶利伽羅峠の戦い源義仲が頭に松明をつけた大量の牛で実証した。

 

 今回は多くの馬が現れて歩兵ばかりの敵軍を心理的に動揺させ、更に高い機動力で蹴散らした。こんなに多くの馬を乗りこなすのは世界史的にはチンギスハンが最初と言われるが、それより前の義経は騎兵戦術の要諦を分かりきっていたといえる。

 

  だから総大将の平宗盛はすぐに安徳天皇を船に乗せて海上に逃れた。

 

 

 

  

 

 

 

(鎌倉殿) 墨俣 宇治川 景時 鉢伏山 芭蕉

 感想5点  

 

【墨俣の地】

義経率いる先発隊が範頼の本軍をここで待っていた。

・多少の戦もあったという。

・過去には義経の兄義円が墨俣の合戦で平家と戦って散った。

・戦国時代には木下秀吉が一夜城を築いたことで有名。

・近くの関ヶ原壬申の乱南北朝時代北畠顕家など度々合戦が行われた所だったように、因縁の地というのはあるものだ。

 

【幻の宇治川合戦】

・軍議で次々と義経のアイデアが飛び出す。

・「兄者は勢多へ」(勢多の唐橋も因縁深い)

・「私の宇治の軍勢は1千と噂を流せ」

・「渡河中に派手な先陣争いをさせよ」(佐々木高綱梶原景季)「敵の目をそちらに引き付けて(陽動)畠山は別に渡河せよ」

・・・と期待を高めながら合戦シーンは全スルー。いきなり義仲が京都に現れ、それが敗戦後のことだと理解するのに少し時間がかかった。ちゃんと見直して編集したのか? 雑な作りだ。

 

【景時の心情描写】

・頼朝への報告書が御家人の中で一番細かで現実的だと言われた梶原景時

・その景時が軍議で作戦立案するも、義経の天才的アイデアが悉く上回る。

・悔しがる景時。たぶん「神よ、何故に私はあの男と同じ時代に生まれた!」という心情だろう。

・「まるで八幡大菩薩の化身じゃ」とのセリフがあるが、源氏の祖先には八幡太郎との異名を持つ天才、源義家がおり、家康も松平元康から改名した。

 

鉢伏山

・現代残る「一ノ谷」と「鵯越」とはかなり離れており、どちらも現地に行ったことがあるが挿絵のような地ではなかった。

・今回出てきた「鉢伏山」もすぐにネットで調べたが、諸説あるうちの1つらしい。

黒田長政の兜のような急な崖(義経をリスペクトしたらしい)なのか? GWに見に行きたい。

 


学芸員コラム れきはく講座

 

芭蕉墓所

・史上最も義仲を好いていた松尾芭蕉

・解説にあった通り自身の墓所を義仲の墓の隣に遺言したほど。

・次に義仲を好いたのは芥川龍之介だろう。

・中国にも、三国志曹操が昔の政治家(というより土地持ちではないからむしろ官僚)西門豹を尊敬する余り、自分の墓を豹の隣にするよう言い残した。

・確かに曹操の鮮やかさは西門豹の鮮やかさに匹敵する。現代にそんな鮮やかでカッコイィ政治家はいない。

・同様の例がないか先日書き込んだが返事はない。あっても現代人はスルーしているのだろう。

 

 

(鎌倉殿の13人) “ オオモノ”広常を成敗

 ドラマチックに仕上げたものだ。

 

 かつて石橋山で惨敗して命からがら安房に逃れた頼朝のもとへ2万もの軍勢を率いて参陣した上総介広常

 

  彼の殺害についてここまで詳しく描いたものは読んだことがなく、「漫画日本の歴史」でも単に日頃から奢り昂っていたから(ムカついて)始末したかのように頼朝が回想していた。

 

 しかし今回は、前々回の最後、新たに京都から加わった知恵者の大江広元が「1人気になっている者がございます」と視聴者には不明なまま伏線を張って翌々週まで長い尺をとり、誅殺後に鎌倉御家人が一同「まいりました」とひれ伏す場面で締め括った。

 

 ちなみに広常が書いた文を死後に読んだ頼朝が後悔する話は確かに残っているものの、この大河ではあくまで「あいつは謀反人だ」と言わせてその心情を察するようにした。

 

  そして泰時誕生で未来に一筋の光明を与える。

 

  仁義ある第3代執権であり、法制史上も御成敗式目式目を定めた重要人物、そして承久の乱では京都へ攻め上って後鳥羽上皇に勝つも細かな気配りが行き届いた采配を見せるカッコよさ。演じるのは坂口健太郎らしい。

 

 今回の広常誅殺は、 1年を通して御家人同士の凄惨なバトルロイヤルを描く今大河の第1ラウンドに当たると思われるが、12月には泰時の代で漸く落ち着くという話で終わるのではないかと、そんな気がした。

 

(鎌倉殿) 面白いが軽い

  ドラマ制作者に軌道修正があったのか知らないが、違和感を覚え本ブログでも紹介した数々、例えば「善児が1人で何人も殺し過ぎ」「義経を証拠もなくディスり過ぎ」などの演出(捏造?)していたシーンが今回はなかった。

 

  逆に弓場(ゆんば)での頼朝と義経のシーンは好印象を与え、次に2人の再会はなく敵味方となる伏線とは言えど、今までの亀の前事件での義経謹慎や頼朝激怒の流れからすると若干唐突な談笑に見えた。

 

  源義仲の扱いも同じで、前回の義時への話しぶりや息子を人質にする判断力などがあまりにカッコよく好評だったから、今回CGでも倶利伽羅峠の火牛の計を再現するかと思ったらナレのみでまさかのスルーだった。ラストの解説で補ってはくれたがハイライトを逃したも同然である。

 

  この分では次回の宇治川の合戦でもキモとなる佐々木高綱梶原景季の先陣争いにあまり尺を設けないかもしれない。

 

  誰かがどこかに書き込んでいたが、視聴者を北条好きに誘導するために頼朝の女好きや義経の幼稚さを過剰に膨らませている。ヤフー記事のタイトルに釣られていいねをかせぐことだけに躍起なヤフコメ民はそれで騙せても、偏向が大きければ構成がギクシャクする。

 

  テンポよく面白い大河であることは認めるが、名作にはならない軽さや粗雑さをいつも感じる。

 

  あと、無理かもしれないが鎌倉幕府創設に絡む新しい考え方がどうやって誰から生まれ実現したか、特に大江広元と北条氏を中心に描いてほしく思う。

 

思考停止のタテ組織と反乱の仕組み|reigan #note https://note.com/newworld/n/n2c14b15bd8a2

(直近4年間) 共通点と今後の見通し

 ○○イヤーという言葉がある。

 

 その年はこの話題一色だったという時に使う。

 

 例えば去年は何イヤーだったか?

 

 思い返せばちょうど1年前の春・・、

 

 小室圭氏が400万円は借金ではなく贈与である旨の28頁に及ぶ長文を唐突に発表し、西村宮内庁長官眞子内親王だけが評価したが、世間から「早く返すべきだ!」との猛バッシングが巻き起こってすぐに撤回、解決金という形で支払う展開になることがあった。

 

 8月頃から、秋に結婚するのではという話が女性週刊誌を中心に広がり始め、9月1日に読売新聞が10月結婚とスクープ。批判の声が高まる中で儀式なしのまま10月26日の入籍を強行、直後に小室圭氏の弁護士試験不合格が明るみになり、「やっぱりな」と見なされるも渡米した・・、まさに「マコムロイヤー」と言える年だった。

 

 その前年は何イヤーか?

 

 2月に中国武漢で新型コロナ騒ぎ、3月には寄港したフェリーへの対応で騒がれ、4月にはマスク不足が顕在化し、更に休校や飲食店の時間制限が話題になるなど、「コロナイヤー」だった。

 

 更に前年は、

 

 隣国韓国からのレーダー照射問題、日本からの批判に対抗した稚拙な動画公開、5月にはフッ化水素の輸出規制に端を発した経済摩擦、G−ソミアへの不参加をめぐる問題など、年中「韓国イヤー」だった。

 

 そして今年だが、

 

 2月末から始まったロシアのウクライナ侵攻が長期化しつつあるので、「ロシアイヤー」となるのだろう。

 

 4つに共通して言えることとして、「前年末から兆候があるにも関わらず、誰も来年がそんな1年になるとは予想できない」「年の半ば頃にピークがあって尻すぼみしていく」「かといって文もコロナもマコムロもプーチンも完全に退場はしない」などがある。

 

 更に考察を進めて、なぜこれらにヒートアップするのか?となると、

 

・お隣り(の国)が余りに変だと困るから。

・新しいウィルスだから。

・日本の象徴である皇室の一員だから。

・核を持った国が実際に武力行使したから。

 

 とまとめられ、結局、

 

・隣国の変な部分に眼が慣れてきた。

・ウィルスの特徴がほぼ分かってきた。

・小室圭氏の4月末の合否に関わらず弁護士の適性はないと分かった。

 

 等々から、今後そういう環境下、つまり変な隣国や変異ウィルス、敬えない一部宮家、非道な大国がある中でも我々は生きていかざるを得ない。そして、一昔前の常識や価値観全体をも根本的に見直さざるを得なくなる。

 

 

 

 

 

 

(鎌倉殿) 大江広元が気になったことが分からず気になる

 前回の最後に大江広元が話した「気になること」は何だったのか?  

 

 ヤフー記事にも取り上げられて、「義経か広常か」と話題になったが、今回その答えが出てきてない。

 

 視聴後ネットで探すと同様の疑問を持ったツイッターも散見した。

 

 いちおう推測すると、放送前になって削除したのではないだろうか? その空いた時間を埋めるために、特に必要もないシーンを加えたとか。

 

 それが読経合戦か寝転んでまったりか、八重へのストーカーかはわからない。

 

 ただ多くの視聴者はあまり気にせず読経合戦に笑ったり、夫婦まったりを羨んだり、義仲かっこいい!と評価したりしていた。

 

 義時と八重の馴れ初めも、政子と亀の対面も証拠となる記録はない。義経のシーンもほとんど証拠がないのにディスってばかりだが、比企の女性とは事実である。

 

 本日アップした別サイト記事

 

 

思考停止のタテ組織と反乱の仕組み|reigan #note https://note.com/newworld/n/n2c14b15bd8a2