草分け中

試論や試案のサブサイト。メインは「状態の秘法」合知篇(深く)鼎道篇(広く)等

(鎌倉殿の13人) 弁慶による仕業だったとは!

 「亀の前事件」が意外に詳細に描かれていて面白かった。

 

 そもそもの「後妻打ち(うわなりうち)」という慣習では門付近を少し壊す程度だったのが、何故あんなに館まるごと打ち壊し焼くまでに至ったのか?

 

 通説では、それだけ政子の嫉妬が大きかったからという。

 

 いや、政子に加えて父親の北条時政まで伊豆に帰る事態となったから、これは北条一族全体による計算、つまり鎌倉での重要性を改めて周囲に印象づけるためという説もあった。

 

 記録によれば、時政はいつの間にか復帰して政子は正室、亀の前は側室で落ち着いたとあるが、次回はいちおうそこも詳細に描くのだろう。

 

 どう描くかは期待している。

 

 何せ、館を全壊させた真犯人が義経一党(特に弁慶)という三谷氏の独自解釈は非常に新鮮で納得がいったから。

 

 その伏線として、義経の義姉への親しみがあったのか。今まで何の証拠もない無駄なディスりと思っていたが。

 

 こうなると、義経の最後も今回同様にいろいろ巻き込まれて悲劇的になるのだろうと推測される。

 

 頭の中でつながる新解釈は、たとえ科学的裏付けが難しいものでも、知っていれば知っているほど、次の発想や選択に貢献するので今後も多読や乱読は続けていきたい。

 

【本日の記事】

・生物の段階的進化と地磁気の逆転


(生物の段階的進化) 宇宙線が原因か? - 「状態の秘法」で見直す諸々

 

・対立を追究する孔子暗黒伝と自説との融合

対立を追究する漫画と自説の融合|reigan #note https://note.com/newworld/n/n07203eb8d55a

 

 

 

 

 

 

(生物の段階的進化) 宇宙線が原因か?

 生物の遺伝では、子は親と同じ姿形になるものだが、ではなぜ長い歴史で見たときネズミのような雑食性の小動物から始まって、犬や猫、象や羊、クジラなど様々な種類に枝分かれしたのか?

 

 それは哺乳類だけでなく鳥や恐竜などにも言える。

 

 どこかで大きな変化があったことは間違いない。

 

 しかし、その瞬間が分からない。

 

 化石も段階的な違いはあっても、中間の次第に少しずつな変化という訳ではない。

 

 この問題に真正面から答えた人や作品が皆無かというとそうでもなく、例えば天才漫画家、諸星大二郎氏は名作「孔子暗黒伝」の中でこんな説明を試みている。

 


f:id:reigan3941:20220327181806j:image


f:id:reigan3941:20220327181822j:image

 

 つまり、地磁気が変わる時に降り注ぐ強い宇宙線の影響で、多くの生物が亡くなったり奇形児が生まれたりする、その中で生き残る突然変異もあるのだと。

 

 これに筆者なりの説明を加えたい。

 

 感情の乱れや安定をとらえる時の「波」は、量子と同じく宇宙の最初期から在ったはずなので、そのうちの例えば「固い鎧に覆われたい」という波が強く関係して、事件(イベント)の時に突然変異を起こす。

 

 こうして、植物では固いクルミが、恐竜ではアンキロサウルス、哺乳類ではセンザンコウなどが現れる。

 

 人間の歴史の場合、武王やヤマトタケルなどの革命家の出現まで「孔子暗黒伝」では突然変異で説明しているが、そこはどうだろう? 地磁気が弱まって宇宙線が降り注いでも同時代の多くが革命家になる訳ではない。

 

 実は諸星漫画は後期になって殷周革命の主役を武王ではなく太公望に求めており、その天才軍師誕生の瞬間を描いた「太公望伝」も名作と言われている。

 

 本日noteで前回「暗黒神話」に続く「孔子暗黒伝」関連の記事を書いた。全4部構成で、「太公望伝」は最後に書く予定。

 

対立を追究する漫画と自説の融合|reigan #note https://note.com/newworld/n/n07203eb8d55a

(鎌倉殿) 今も昔もキーマン信仰

 今年の大河は、歴史に忠実過ぎる部分と、物凄く捏造している部分との差が激しく開いている感じを受ける。

 

 今回でいえば、いったん鎌倉に入って好感度を上げた義円が叔父の行家と墨俣川の合戦に赴いて敗れる話は、史実ではあっても尺が長いと思う一方、義円がしたためた手紙を義経がビリビリに破くシーンはどこにも記録はない捏造であると下記サイトにもある。

 


義円とはどんな人?本当に義経の発言で死に追いやられたの?【鎌倉殿の13人】 | ほのぼの日本史

 

 梶原景時による告げ口も捏造ということになる。

 

 毎回NHKは、不実な、義経ファンから見れば名誉毀損罪か侮辱罪以上のことをやってくれている。

 

 そして次回は有名な「亀の前事件」。これは史実通りにやると非常に恐ろしく、せっかく今回の華やかな衣装で上がった政子の好感度を激しく落とす話になる。

 

 たぶん政子を擁護して中途半端に描かれるだろう。

 

 つまりバランスが悪い。何故そうなるかというと、大河自体に何が言いたいか芯となる部分がきちんと確立していないからだと推測している。

 

 鎌倉時代初期の有力御家人同士のバトルロワイヤルを題材にすれば一年もつだろうという安易な発想しかないのではないか?

 

 史実を補助する創作部分については、あまり不自然が過ぎない程度に留めてもらいたい。

 

 最も不自然なのは善児だろう。本来、同一人物が頼朝の子も北条の長男も伊東の当主も殺すはずがない。

 

 なのに大河では汚れ役をこの男が一手に引き受け、梶原景時が最後に雇うと決めたので、今後も暗殺者として仕事し続ける。まさに捏造の極みである。

 

 その分、他の御家人が全員良い人に描かれる効果はある。景時と善児の2人だけが悪い人になり、次に義経が困った人扱い、逆に頼朝や義時はとことん肯定される。

 

 現代でも、ワンマン独裁ボスの社長(あるいは会長)が全社員からリスペクトされる一方、全社員から嫌われまくる汚れ役がボス直属だったりする例がある。時に斬りにくい幹部を直報告して始末し、組織が守られる。

 

 そんな現実を反映しての構成かもしれない。

 

 どんなに学問が発達しても、昔と変わらない原始的な部分はなくならないままである。

 

 特に政治。

 

 平清盛1人が死ぬだけで平家も世の中も一変したりする。

 

 前回記事で扱った話の場合、豊臣秀吉1人がいなくなるだけで朝鮮出兵が終わった。

 

 ウクライナ情勢も、プーチン1人いなくなれば、それでもロシアが侵攻を続けられる感じではないし、逆にプーチン1人が健在だからウクライナでの無意味な市民殺戮が繰り広げられている。

 

 全然進歩してない。

 

 そんなキーマン頼りな前近代性だからこそ、本ブログでは知的進歩に貢献する話を書き続けているが、まだその重要性に気付く人は少ない。

 

 

PS. 本日アップしたサブサイトの続編を現在準備中。自分的には今回も次回も過去最高に滅茶苦茶面白い。

 

8匹の蛇を揃えて完成する境地とは|reigan #note https://note.com/newworld/n/n6cb35d0c633a

(ウクライナ) 田岡俊次氏は朝鮮出兵と比較

 田中邦衛にそっくりな軍事ジャーナリスト、田岡俊次さんがウクライナ情勢について解説している動画があった。

 

 まだ生きてらっしゃったのか!?

 

 と、驚いて深夜にも関わらず全部視聴。

 


プーチン誤算の原因~ロシア権力者の失敗【田岡俊次の徹底解説】202203156 - YouTube

 

 戦争のたびにテレビに引っ張りだこだった昔と変わらない語り口で分かりやすかったが、その田岡さんをしてもプーチンの今回の決断が分からないという。

 

 敢えて例えるなら、晩年の豊臣秀吉朝鮮出兵ではないか? 何故そんな決断をしたのか分からない点では確かに同じ。

 

 日本の武将たちがほぼ全員同意して参戦したように、ロシア軍もプーチンに逆らうことなく(はっきり言え!と強制的に同意させられた高官の映像も見たが)ウクライナに侵攻した。

 

 そういえば徳川家康だけは関東の開拓が多忙との理由で海を渡らなかったが、賢明な判断で確かに次の天下人にふさわしい。

 

 以前ブログでは西南戦争にパターンが似ていると書いたことがあり、検索するとツイッターでも同様の内容を見つけた。


f:id:reigan3941:20220320093248j:image

 

 西郷軍が憎き明治政府がある東京に直接船で向かわず、近隣の熊本城を舐めて攻めかかったところが長期化し、やがて全国から官軍が集まり敗れる。

 

 似てなくもないが、そのとき熊本城には後の日露戦争勝利の立役者、児玉源太郎が若いながらも奮戦しており、ウクライナにもそんな人物が中心にいるかもしれない。

 

 一方でロシア側は好戦的な桐野利秋のような右腕としてパトルシェフが挙げられるが、プーチンそのものは迷える西郷よりは上述した通りボケた秀吉に近い。パーキンソン病を患っているという分析も聞く。

 

 ゆっくり解説という動画で朝鮮出兵がスペインの日本侵略対策とあったから、つい秀吉が賢いように思ってしまったところもある。

 

 確かに当時のスペインには侵略目的があったと思うが、動画で解説するような、東アジアの各所に防衛拠点を築くのは少し擁護し過ぎであり、現実には「どうしたんだプーチン?」と同じく「どうしたんだ秀吉?」という感覚が大勢だろう。

 

 いずれにせよ、最近は賢そうでそうでないものも多く、昔の名作や田岡さんなどの生き残りに会うと客観視できて気付いたりする。

 

 下記は今朝アップした有料ブログ。これもまだご存命の諸星大二郎氏の漫画からアプローチしてみた。

 

8匹の蛇を揃えて完成する境地とは|reigan|note

(鎌倉殿) 義時を高める鍵となる八重

 頼朝が鎌倉に入ってからの数年間、源平合戦ほど派手ではないからか、あまり取り扱われてこなかった空白期間を今回の「根拠なき自信」は詳細に描いていてなかなか面白かった。箇条書きにまとめると、

 

 ・源氏の兄弟が勢揃いする。

 ・京都から公家も来て作法を教える。

 ・佐竹など平家方を鎮めて坂東を固める。

 ・政子の妹と全成が結婚する。

 ・八重が義時と結ばれる。

 

 この5番目についてはウィキにも説の1つとしてある。

 

f:id:reigan3941:20220313205315j:image

 

 だから名君の誉れ高い3代執権・北条泰時の母親は八重ということになり、オープニングの名前に長澤まさみ(語り)、小栗旬(主人公)に続く3番目に新垣結衣の名前が出てくるのも納得できる。

 

 以前のブログで、ならば泰時の実の父親は源頼朝かもしれないと書いたが、ドラマではその可能性は否定しているようだ。さすがにそれでは将軍の後継問題が更に複雑化してしまう。

 

 2代将軍の頼家は性格の問題で孤立して北条家に殺され、弟の3代将軍実朝は僧になった頼家の息子公暁鶴岡八幡宮の階段で殺され、実朝に実子がないため源氏の系統は断たれ、4代将軍を京の藤原氏から迎えることになる。そんなゴタゴタを経ても泰時はブレることなく幕府を支えている。

 

 ただ、以前の大河では松山ケンイチ演じる平清盛の本当の父が白河法皇だという説を採用しており、その噂が清盛の天下取り、武士でありながら太政大臣就任にも関係していたと言われている。

 

 いずれにせよ八重は、今回の頼朝の差配で義時と結婚することになり、まだしばらくは大河に出てくるのは間違いない。

 

 それが結果的に義時の立場をますます高めるという訳だろう。

 

 PS. 義経へのディスり気味な演出(政子の膝枕、広常から小僧呼ばわり、義仲ばりな不作法、ヤケになって物を壊す)は本当に辟易する。どれも証拠がなく推測による演出だが、これでもかというぐらい菅田将暉は目を見張り声を張り上げて演じる。まさにタイトル通り制作側の“根拠なき自信”である。

 

 

 

(〜の自由) 独裁者には制限がない

 憲法の3本柱は「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」。

 

 基本的人権から「自由権」と「社会権」の2つに分かれる。

 

 自由権には言論の自由表現の自由、集会結社の自由などがあるが、「国家は国民に構うな」「自由にさせてくれ」、親子に例えると「親は子に構うな」であり、逆に社会権は「もっと構ってくれ」、教育や生活(健康で文化的な)に国家が構うよう求めたりする。

 

 ただし、「内心の自由」以外の自由権には全て「公共の福祉」という客観的制限がある。

 

 心の中で何を思おうと自由だが、言論や表現は公共的に良くないと自由をおさえなければならない。街なかの裸体彫刻にリアルな色を塗っては不快だし、映画館で上映中に大きな声で喋り合って言論の自由を過剰に行使すると、他の観客たちの見る自由を侵害するため係員が注意する。

 

 もし、内心の自由の向くままに言動を自由にする人がいれば、公共の福祉に照らして多くの人々がその自由に制限をかけようとする。

 

 いくら親が「娘のお気持ちが大事」と言っても、無職の怪しい男と結婚しようとすれば反対の声をあげたのが昨年秋の出来事である。

 

 そもそも一般人は、身分の高い家柄の相手と結婚することはいくら婚姻の自由があるからといってもいろいろ考えて躊躇するのが普通である。躊躇せず接近すること自体が普通でなく、身辺調査は当然行わなければならない。

 

 ではなぜ「お気持ち」が先走ってしまったのか?

 

 公共の福祉が分からなかったことが一つ。

 

 生まれながらに身分が高いのにきちんと帝王学を受けてこず、自由気ままに育てられた人なら「お気持ち」が優先する。

 

 たとえ祖父の喪中であっても、まだ大学に在学中で仕事をしていなくても結婚する。

 

 いわゆる独裁者もそう。心の向くままに振る舞い、周囲はひれ伏し、気に食わない者は消し、ルールがあっても無視する。

 

 もちろん、きちんと指示したり面倒を見てくれるリーダーがいると安心だから、国民は名君を待望するものだが、名君とて万能ではないから賢臣や諌臣を側近にして暴君にならないようにする。

 

 現状の日本、外国、企業はどうだろうか? 

 

 上記の話に同意する人はいるにはいるが、あまり多くない感じがするのは何故か考えたりする。

 

 言いたいことも言えないブラック企業に務めた経験があったり、心の中だけにしまってオモテの言動は公共ルールを守ったりする人には当たり前な話に聞こえると思う。

 

 ただ「権利の濫用(独裁)」には簡単に傾きやすいことも確か。憲法が触れている通り、国民は不断の努力を止めてはならない。

 

※世界情勢についてはメインサイトのブログに連載。本日ようやく更新した。

 


状態の秘法 – 可変モデルを使って状態の真実に迫る!

(プーチンと武道) なぜいつも裏をかくのか?

 もう40年近く昔の話だが、秋の中学スポーツ大会において、剣道は筆者の学校が体育館に他の4校を招いて実施する番だった。

 

 前日、準備のため皆で白テープを使い床にラインを引いたり、トーナメント表を壁に貼り付けたりしていると、自分の一回戦目の相手がなんと前回春の大会の優勝者であることが分かりびっくりした。

 

 明日は一回戦負け確定か?

 

 長身で小学生の頃から強く、市の大会で何度も優勝していたことで有名な猛者(もさ)だった。

 

 どうすればよい?

 

 夜もずっと考えた。剣道は本来先に2本とった方が勝ちだが、この大会の個人戦は2回戦目までは参加人数が多いため短時間で片付けようと1本勝負である・・・、ならば、

 

 “必勝の策”はこれしかない。

 

 試合当日、まず各々が防具を身に着け横に正座で並んで自分の番を待つ。名前を呼ばれて立ち上がった。左手に竹刀(しない)を持ち、真ん中の二本のラインまで進むと両手に持ち替え、互いに蹲踞(そんきょ)で向き合う。睨み合う両者。竹刀の先が微妙に触れ合う。まだ立ち上がらない。審判の声を待つ。

 

 「始めっ!!」

 

 ここで通常は両者が立ち上がるなり中段の構えをとって遠間に下がり、互いに掛け声をあげるものだが、

 

 その立ち上がる一瞬の隙を狙い、乾坤一擲(けんこんいってき)の小手打ちに賭けた。

 

 「こてーっ!」

 

 スパーン!

 

 「小手ありっ!」

 

 審判3人の旗が一斉に上がる。見事に決まった。

 

 前回優勝者は敢え無く一回戦で敗退。結局この日は決勝戦まで進み、自身初の2位となった。その後の快進撃と挫折はいずれ書くかもしれないが、この話をなぜ思い出したかというと、

 

 例のロシアのプーチン大統領(柔道が得意)がなぜ、誰もが「まさかやらないだろう」と思っていたクリミア併合やウクライナ侵攻をやるのか? その謎が不明なままだからだ。

 

 まさかやらないだろう、と誰もが思っている核のボタンすら押すかもしれない。

 

 そこで上記の思い出から推測すると、

 

 ロシアはもはや正攻法では西側に勝てない国に成り下がっていた。

 

 正攻法で勝てないなら、非正攻法でいくしかない。

 

 五輪でドーピングを使って国としての参加を認められなくなったこともそう。

 

 ヤクザ顔負けの脅しや暗殺を使って政敵を葬ることも容赦ない。

 

 そういえば前回記事の源義経も奇襲を得意としており、一ノ谷の合戦では「まさか背後から来ないだろう」と平家が油断していた崖の上から「鹿も四足(よつあし)、馬も四足」と駆け下りて撃破した。

 

 屋島の合戦でも「まさか悪天候の中で渡海なんてしないだろう」と平家が思っていた裏をかいた。

 

 つまり、裏をかかれる側は常に平家のように貴族化して油断しきり警戒を解いている。

 

 プーチン後進国ロシアの首領として、常に西側(NATO)が先進国に見えてしまうと同時に、貴族的だから「奇襲が通用する」と思い込んだ。ゼレンスキーも元コメディアンで武人ではない。

 

 そこで、まさかの裏をついてウクライナに侵攻。

 

 それが、上記のような一本勝負で終わるルールなら鮮やか?に侵攻したロシアの勝ちだが、

 

 今回はアテが外れた。

 

 “まさか”の裏をかいたはずなのに、簡単には屈さず、むしろ世界の多くの国々が敵を支援する始末。

 

 長期戦となると総合力が問われる。工業や農業、輸送等の兵站、知謀、大義名分の有無・・・、プーチンはますます窮地に追い込まれ、現在は暗殺やクーデターを恐れてモスクワにはいないという噂もある。山中の地下施設とか。

 

 そもそも奇襲の成功は一時的で、義経も兄頼朝と対立すると警戒が強くて裏をかけられず、奥州平泉で最期を迎えた。

 

 最後に、前々回記事関連。

 

 故橋本総理も剣道を得意とし、議員時代の初期の頃には毎年地元の市営体育館で開かれる剣道教室に参加していた。そこへ当時小さな小学生だった筆者が掛け声とともによく飛び込んでいったものでした、と添付の手紙に書くと、こんな展開になった。

 

対象療法を超える21世紀の“自浄”とは?|reigan #note https://note.com/newworld/n/nf3689fdab3ba