今年の大河は、歴史に忠実過ぎる部分と、物凄く捏造している部分との差が激しく開いている感じを受ける。
今回でいえば、いったん鎌倉に入って好感度を上げた義円が叔父の行家と墨俣川の合戦に赴いて敗れる話は、史実ではあっても尺が長いと思う一方、義円がしたためた手紙を義経がビリビリに破くシーンはどこにも記録はない捏造であると下記サイトにもある。
義円とはどんな人?本当に義経の発言で死に追いやられたの?【鎌倉殿の13人】 | ほのぼの日本史
梶原景時による告げ口も捏造ということになる。
毎回NHKは、不実な、義経ファンから見れば名誉毀損罪か侮辱罪以上のことをやってくれている。
そして次回は有名な「亀の前事件」。これは史実通りにやると非常に恐ろしく、せっかく今回の華やかな衣装で上がった政子の好感度を激しく落とす話になる。
たぶん政子を擁護して中途半端に描かれるだろう。
つまりバランスが悪い。何故そうなるかというと、大河自体に何が言いたいか芯となる部分がきちんと確立していないからだと推測している。
鎌倉時代初期の有力御家人同士のバトルロワイヤルを題材にすれば一年もつだろうという安易な発想しかないのではないか?
史実を補助する創作部分については、あまり不自然が過ぎない程度に留めてもらいたい。
最も不自然なのは善児だろう。本来、同一人物が頼朝の子も北条の長男も伊東の当主も殺すはずがない。
なのに大河では汚れ役をこの男が一手に引き受け、梶原景時が最後に雇うと決めたので、今後も暗殺者として仕事し続ける。まさに捏造の極みである。
その分、他の御家人が全員良い人に描かれる効果はある。景時と善児の2人だけが悪い人になり、次に義経が困った人扱い、逆に頼朝や義時はとことん肯定される。
現代でも、ワンマン独裁ボスの社長(あるいは会長)が全社員からリスペクトされる一方、全社員から嫌われまくる汚れ役がボス直属だったりする例がある。時に斬りにくい幹部を直報告して始末し、組織が守られる。
そんな現実を反映しての構成かもしれない。
どんなに学問が発達しても、昔と変わらない原始的な部分はなくならないままである。
特に政治。
平清盛1人が死ぬだけで平家も世の中も一変したりする。
前回記事で扱った話の場合、豊臣秀吉1人がいなくなるだけで朝鮮出兵が終わった。
ウクライナ情勢も、プーチン1人いなくなれば、それでもロシアが侵攻を続けられる感じではないし、逆にプーチン1人が健在だからウクライナでの無意味な市民殺戮が繰り広げられている。
全然進歩してない。
そんなキーマン頼りな前近代性だからこそ、本ブログでは知的進歩に貢献する話を書き続けているが、まだその重要性に気付く人は少ない。
PS. 本日アップしたサブサイトの続編を現在準備中。自分的には今回も次回も過去最高に滅茶苦茶面白い。
8匹の蛇を揃えて完成する境地とは|reigan #note https://note.com/newworld/n/n6cb35d0c633a