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(晴天) 井伊直弼は現代にもいる

  大河で何回も起用される俳優の中には、時代が違ってもキャラが同じパターンが多い。

 

  例えば片岡鶴太郎は、闘犬と田楽に興じた鎌倉幕府14代執権北条高時や、黒田官兵衛を窮地に追い込んだ小寺政職、昨年は室町幕府摂津晴門など伝統側の旧い悪役をよく演じる。

 

  今回井伊直弼を演じている岸谷五朗は、「江(ごう)」では豊臣秀吉役にも起用されており、共通点がある。どちらも最初から悪役ではなく、むしろ善人だったはずが途中からダークサイドに切り替わる。上司信長の妹お市の娘だった江の姉の茶々を側室にした時の黒く変わっていく演技もまだ覚えている。

 

  今回の井伊直弼も14男に生まれて趣味に暮らしていたはずが、兄の急死で家を継ぎ、さらに幕府内の派閥争いの中から大老になり、悪名高い安政の大獄を始めることになる。その切り替わり方も制作側の期待を裏切らないものだった。

 

  何が言いたいかというと、表題の通り歴史は繰り返すからこそ似たようなキャラが何回も登場し、同じ俳優が演じるのである。歌舞伎俳優の片岡孝夫や板東玉三郎天皇役を演じるのも同様。

 

  そして現代に安政の大獄のようなことはないのかと言うと思い当たるものはある。吉田松陰橋本左内のような優秀な人物が粛清され、正論を唱え、諫言を厭わない目の上のコブのような水戸斉昭や松平春嶽一橋慶喜を謹慎させる。ブラック企業の中ではよく見られる光景である。

 

  生き残った人たちは決して優秀な訳ではなく、同族企業のボンボンに気に入られたり、狡猾だったり、無慈悲なリストラができたり。

 

  小泉時代から現菅内閣まで長年政府内に居座っている竹中平蔵も、テレビで自分のゼミ生に厳しく恥をかかせたり、JALや農業など弱い企業を保護したらから日本はダメになったとか、派遣会社の会長になって世に独身貧乏を増やして怨嗟の声を浴び、今や「#竹中平蔵つまみ出せ」というハッシュタグがついてもニヤニヤし続けている。

 

  何故そんなに竹中は強いのか、悪運が強いのかと思っていたが、次回大河の予告を見てふと思い当たることがあった。結局井伊直弼水戸藩の浪士を中心とする集団によって雪の桜田門外で暗殺されたが、竹中も最後にはたぶんそうなるからこそ、その時が来るまで何者かに生かされているのだろう。

 

  既に竹中平蔵を槍玉にあげるデモが起きたり、数々の悪事を暴き立てる本が刊行されたりしているが、もっとエポックメーキングなことが起きるだろう。そうならないよう、竹中も自民党だけでなく維新の会や豊田、もちろん外資にも手を入れてその庇護を受けてはいる。

 

  しかし、国内数ヶ所で竹中主導によるTPPのタウンミーティングを開催しかけていた途中で突然、東日本大震災が起きてそれどころではないと中止になった時、日本の地下にいる国常立神のような何かが怒りに震えたような感覚を覚えた。

 

  その後アメリカ抜きのTPPになったが。あのまま突き進んでいれば現場感覚より外資の都合を優先され郵政民営化以上に富が外資に奪われるところだったと思う。

 

  今は日本経済を支える多数の中小企業について、これを大企業に組み込めと唱えるアトキンソン菅総理のブレーンとなって基本方針を示し、恐らく破壊者の竹中も中小企業潰しに加わっている。コロナ禍で時短営業をさせられる飲食店は、客離れを防ぐため毎日シャッターは開けているものの(閉じたら二度と客は戻ってこない)売上は激減、それでも何故か銀行はまだ金を貸してくれるという。

 

  膨らんだ借金の返済が大変なことになるというが、その時は公助しない国に代わって、外資の大企業の傘下に入ることを(自助だからと)銀行が勧めて思惑通りになるのだろう。

 

  それでもうまくいかない元経営者の浪人たちが思い余り悪の根幹に対して桜田門外の変を起こすことになるかもしれない。

 

 

  

日本に初の大統領は実現するか?

  東京五輪は準備でゴタゴタが相次ぎ、本番も規模を縮小して盛り上がり的には物足りない仕上がりになりそうに見える。

 

  個々の選手の中には感動を与える人もいるかもしれないが、成功か失敗かとなると残念ながら当初イメージしていた大会とはほど遠いものになる。何より国民の支持が今もそうだが非常に少ない。

 

  一方、開催を2年後に控えた大阪万博。こちらは大阪維新の会所属の吉村知事をはじめ、関西の政治経済の関係者たちが何とか成功させたいという意気込みを感じる。

 

  万博の開催期間は通常通りだと半年で、これも毎回そうらしいが開始後5ヶ月間よりも最後の1ヶ月間が異常に盛り上がる。愛地球博も来場者数が28万人を超えて入場規制する日があった。

 

  コロナで日本に行きたくても行けなかった外国人も、京都大阪観光を兼ねて殺到するだろう。知人の飲食店関係者は先日の時短要請で半べその泣き顔になってしまっているが、インドの天才少年予言者による今年の11月にはコロナが収まる話や大阪万博の話をして光明が見えるよう努めた。

 

  こうした「東京=敗北」/「大阪=勝利」という図式が見えてきたためか、またも吉村知事に勝負を挑む動きが出てきた。しかし、ラサール石井枝野幸男も簡単に返り討ちに合っている。批判だけするお気楽なご身分と指摘した途端にネット民が賛同して流れが決まるからである。

 

  すると枝野は昨日、菅内閣政権担当能力がないので暫定的に自分に内閣を任せてほしいと発言し、クーデターを気取ってるのかよ!とまたネット民による批判が増えてしまった。吉村知事も決して賛同ばかりではないが、大阪自民党西村康稔を含む愚かな批判者を成敗することで株が上昇している。

 

  東京五輪の失敗と大阪万博の成功が顕著になれば、維新の会による令和の維新ももしかしたらあり得るかもしれない。そして、党の公約通り首相公選制を実施し、初の大統領が誕生する。

 

  日本は天皇がいるのでイギリスと同様に国家元首は2人もいらず首相にしているのだと聞いている。しかし、大日本帝国を拡大させた昭和天皇の頃とは違い、平成令和も天皇のカリスマ性は小さくなっており、次が愛子天皇悠仁天皇かになっても国の代表を担うほどではない。ならば民意で選ぶ大統領を昔の将軍(征夷大将軍)なみに高めてはどうかと本当に思う。

 

 

(晴天) 暗君が招く大獄

  今日のポイントは2つ。

 

  渋澤栄一とドラマタイトルの「晴天を衝け」との関連が分かったことが1つ。青年時代に藍玉を売るために高い山々を登って峠を越えた時に詠んだ漢詩の中にあるという。

 

  超働き者だった筆者の曾祖父もこんな感じで重い荷物を背負って山々を歩いたらしいが、そのせいで両肩にまで毛がフサフサと生えていたという話を祖父母から聞いたことがある。

 

  後にたくさんの産業を興した栄一だが、決してお高くとまったホワイトカラーではなく、元は自身の足を存分に使って遠くまで歩き、額に汗を流しながら空や山などの大自然と親しんだ男だとわかる。

 

  もし幼い時からタワマンの高層階に住んで成長したら、土や草木を手にとって足で踏んで手応えを知ることができないから非常に愚かになってしまうという。

 

  そんな話とも関連あるのが2つめのポイント、13代将軍徳川家定である。ハリスとの謁見シーンは残念ながらなかったが、記録によるといきなり立ち上がって足踏みしたという。昔の大河「篤姫」では堺雅人によってそれは演技だという感じで描かれたが、今回の家定はガチの暗君で徹底されている。

 

  そして国家の非常時だからこそ賢い慶喜のような人物を次期将軍にと推すマトモな声に腹を立てて反発する。挙げ句の果てラストシーンのように思い付きで井伊直弼大老に選んでしまう。後に日本中を恐怖に陥れた安政の大獄を引き起こした張本人である。

 

  また現代の話に戻るが、民主主義や資本主義になったとはいえ、ボンボンが得をして高い立場になり、周囲もそれを当たり前と思っている。先日は小泉進次郎環境大臣が「プラスチックの原料って石油なんですよね。意外にこれ知られてない」と言った話に話題が集まった。大丈夫か?日本は・・と。

 

  暗君は賢臣を遠ざけ、佞臣を近づける。そして悪い事態を引き起こす。現代にも安政の大獄が起こらないとは限らない。いや、お隣りの中国では無数の監視カメラを使って信号無視すらも暴露台の大画面に氏名住所まで付けて大衆の面前に晒すという。詳しく確認もせずすぐに公開処刑する恐怖で皆いちおうおとなしくなったが、決して良い社会とは言えない。

 

  そんな監視ばかりせずとも、個々の資質を高めて、有能な人が治め、公正な社会を実現するべきである。

 

茹で麺のレンチン②

  先日テレビでマツコが「私カップ麺にワンタン入れるの。ワンタン麺大好き」と言っていたので、コンビニの中を探したものの、ワンタンは見当たらなかった。

 

  100円ローソンは餃子もシュウマイも100円で手頃なのだが、ここはやはりワンタンを入れたい。そこでどうしたかというと、

 

  まずカップのワンタンスープを選び、次に30円の茹で麺を取ることにした。家でこれをレンチンして入れると、ワンタン麺になるからである。

 

  茹で麺にはウドンやソバ、焼そばもあるので、今度はこの方法でカップスープに入れて独自のアレンジ麺を食してみたい。

 

※①


ゆで麺のレンチン - 円環を成す世界観

 

大決戦で転換期は終わる

  責任者という立場にありながら何もせず享楽的で、しかも周囲の誰も諌めない。そんな人物の代表例が鎌倉時代末期の幕府14代執権、闘犬と田楽好きな北条高時である。

 

  また、責任者という立場にありながら何もできず趣味の剣術に没頭していた人物が室町時代末期の13代将軍足利義輝であり、最期は代わりに仕切っていた三好や松永の襲撃を受けた。何本もの刀を部屋の各場所に用意して孤軍奮闘したものの、大河で描かれた通り三方から板で封じ込められて長槍に刺された。

 

  現代の国家責任者である自民党政権もコロナ禍なのに密になって飲み食いしたり、幹事長に仕切られて首相が弱々しかったりと、上記の末期的症状はよく似ている。

 

  鎌倉幕府が続く限り全国の窮乏が解決されないと見なされると、対抗軸として後醍醐天皇が立ち上がり、日野資朝楠木正成新田義貞足利高氏、赤松、児島、菊池など優秀な人物が続々と味方して幕府を倒した。

 

  室町幕府の末期にはよく知られている通り戦国大名が群雄割拠し、分国法を定め、相争う中で織田信長が台頭して、15代将軍足利義昭を追放した。

 

  平安時代から鎌倉時代への転換期や江戸時代から明治時代への転換期、戦前から戦後への転換期は今回割愛するが、日本史は総じて円環状に回転しながら腐敗を刷新するようになっている。

 

  その第一段階は旧政権とは別に大きな勢力が独立して対立する。後醍醐天皇後白河法王、戦国大名、雄藩などのように。

 

  次の第二段階は旧いものを破壊し逆転する。新田義貞が鎌倉を襲撃したり、織田信長高杉晋作マッカーサー平清盛中大兄皇子などのように。

 

  1990年前後の享楽的だったバブルとその後の崩壊、大蔵官僚次官が受けた"ノーパンしゃぶしゃぶ接待"など、末期的症状を呈した自民党政権に対して、当時の小沢一郎元幹事長は「日本改造計画」を著して二大政党政治のビジョンを打ち出し、自ら自民党を飛び出して野党各党と組み、政権交代を果たした。上記の例で言うと対立段階が始まったと言える。

 

  2021年現在も与党が駄目なら選挙で倒そうという小沢一郎的考え方を持つ人が多い。しかし、麻生から細川、安倍(第一次)から鳩山、と二度政権交代を果たしても特に良くはならず、かえって悪くなっている。

 

  一方、旧いものを破壊する第二段階も現代にはあり、例えばライオンヘアの変わり者、小泉純一郎は悪名高い御用学者の竹中平蔵と組んで"ぶっ壊す"と意気込んだ。低賃金の派遣労働者が増えて第二次ベビーブーマーの多くが独身のまま生涯を終えそうだし、多額の郵便貯金外資に献上された。今もまだ竹中は健在で、今度は菅総理のもとで大企業化を唱えるアトキンソンとともに中小企業を潰そうとしている。

 

  歴史の転換期は対立と破壊の段階だけでは刷新されず、この後に創造的段階、調整や統合する段階、完成する段階がきてやっと終わる。初代将軍の誕生である。

 

 転換期の後は制度期があり、鎌倉時代の場合は御成敗式目、江戸時代は武家諸法渡、帝国憲法日本国憲法律令などがそれに当たる。

 

  制度期の次は文化期で、戦後もテレビや冷蔵庫、洗濯機のいわゆる"三種の神器"、自動車、電話、ラジカセなどが普及した。

 

  文化期が爛熟すると反乱や内乱が起きる。一揆学生運動など。

 

  そこから改革期が始まる。江戸の三大改革や墾田永年資材法、院政、徳政令行政改革など。ただ小手先の部分的な対症療法なのでたいてい失敗して衰退し、転換期を迎えるようになる。

 

  現代の転換期の第一と第二までは小沢や竹中で約30年間続いているが、この次の第三はいったいいつ始まるのだろうか?

 

  身分の低い楠木正成豊臣秀吉勝海舟などが重んじられるような現象、海外からの文化を導入したり、新しい思想哲学が打ち立てられたり、そういった創造的移行がなければと思うが、第三の人は寄りそう所を誤れば途中で脱落する。義経や正成、海舟などのように。

 

  逆に失脚せず頂点に立つと、秀吉や吉田茂のように長く続いたりもする。

 

  そして第五にあたる徳川家康を補佐する第四の本多正信足利尊氏には弟直義、源頼朝には北条時政鳩山一郎(自民党初代総裁)には三木武吉というように調整役が統合する。

 

  その転換期の最後にはたいてい「一大決戦」がある。関ヶ原の戦い西南戦争壬申の乱などのように。戦後も日本に社会党共産党などの左翼が拡大してきたから参謀三木武吉緒方竹虎党首に呼び掛けて保守合同自由民主党が誕生した。

 

  日本史を円で表すと、大決戦が右上なら左下には先述した内乱がくる。

 

  現代の決戦が何で、最後の勝利者が誰なのか?  前回記事では初代大統領だと書いたが、その後に調べてみると維新の会は既に首相公選制を公約の1つに入れていた。自民党は検討したことはあるが今は掲げておらず、ネットの書き込みも進次郎や小池みたいな人を馬鹿な国民がマスコミに騙されて選ぶ恐れがあると否定的である。

 

  しかし、先の千葉での知事選や大阪、北海道の首長など結構マトモな人が選ばれる例も見られる。

 

  転換期が進まず歴史の円環が成り立たなければ、枯れ果てて財政や税制、少子化も未解決なままになるだろう。江戸時代末も徳川の世が未来永劫ずっと続くと諦める風潮が占めていた。

 

  水戸光國が編纂した大日本史の直線的歴史観とは別に、頼山陽が「日本外史」を著して徳川氏を新田氏や織田氏などと同列に扱ったことで相対化され、幕府は絶対ではないから倒幕しようと全国の志士が立ち上がった。

 

  現代も円環史観はまだ少数派で、転換期は停滞したままなのでこうして何度も書いたり、送ったりしている。

 

 

 

  

 

 

 

 

  

(晴天を衝け) 慶喜が誰かに見えてきた

  大河では時々、2つの人生を平行して描く手法がとられる。

 

  一昨年の大河「いだてん」ではマラソン金栗四三と進行役を担当した名落語家の古今亭志ん生の2人の人生が代わる代わる描かれたが、最後まで相まみえることが(実際にも)なかったので、視聴者からはコロコロ場面が変わるし演出的におかしいと大不評だった。

 

  昨年の大河「麒麟がくる」でも謎多き光秀だけでは時間が埋まらないこともあり、架空の町医者東庵と駒の駿府や京都での出番が多くなってその演出も不評だった。「まるで駒がくるになっている!」と。

 

  両ドラマに比べると今年の大河は後の将軍徳川慶喜と主人公の商人渋澤栄一とがいずれ合流することになるので、身分違いな生活が平行して描かれても十分に見応えがある。

 

  3月に入り年齢的にも異性とのもつれが増えてきたが、徳川慶喜に嫁いだ美賀君の義母への嫉妬といい、栄一の千代に対する"胸がぐるぐるする"といい、そこは女性脚本家ならではの違和感を覚えた。いかに嫉妬に燃えようともあれでは公家出身ではなく田舎者のアクションだし、栄一ぐらいの年齢ならあんな感じで戸惑わないことは男なら分かる。まあ仕方ない。

 

※立ちションのシーンはおそらく秀吉と家康のエピソードから使ったと思われるが、これも男の心理からすれば得体の知れない庶民の隣に立って急所をさらすなどあり得ず、女性脚本家ならではの無駄な演出と思う。

 

  これらのくだらない各演出はともかく、なるべく史実のみを取り出して栄一の変化を追うことにしている。

 

  そういう視点で見れば、当時の「一橋慶喜様を次の将軍に」という熱はもっともっと高かったはずだったし、このドラマではどうも熱量が物足りない。

 

  たとえ先祖が偉大でも子孫の多くは凡人ばかりのなものだが、この若い慶喜は名家の血筋に加え文武ともに秀でてカリスマ性まである。日本が非常に困難な状況下で有力なカードの1枚であることは間違いない。「一橋様こそ」「一橋様こそ」とその期待が広がり、高まっており、こちらこそ川栄李奈の美賀君のように激しいアクションで高すぎる期待感を演出すべきだった。

 

  この様子を考えると、なんとなく現代にも似た構図があることに気がついた。大阪の吉村洋文知事である。若くて顔がよく、九州大卒の元弁護士、対コロナで他の知事よりも抜きん出た対応を行い、全国的な人気者となった。

 

  いわゆる「大阪都構想」の住民投票では僅差で敗れたものの、源頼朝だって石橋山の合戦で敗れたし、徳川家康三方原の合戦で敗れたため、一度や二度の敗戦は気にしなくていい。

 

  多くの国民が「いずれは国政を担ってほしい」との期待が高まっているが、当の本人は今のところその気はないし、任期が終われば政治の表舞台から退くような話もしている。確かに地方自治体の維新の会に所属している限りは全国的に組織がある自民党なしでは総理になれない。

 

  しかし、このブログの前回記事の通り日本に大統領制を敷けば、吉村氏なら当選する可能性は高いと思う。もちろん吉村氏だけで何でも解決する訳ではなく、大統領のスタッフに先輩筋の橋下徹松井一郎などが加われば、断然期待できる。

 

  橋下氏は国会議員が領収書を整理しない点を指摘していたので、当然手をつけるし議員定数削減も行うだろう。松井一郎も無駄をなくすことにかけては持ち前の暴れん坊ぶりを発揮する。

 

  と、いつの間にか大河からかなり脱線してしまったが、幕末は紆余曲折の末にようやく慶喜が将軍に就任する。それは徳川幕府にとっては終わりを迎えたため必ずしも良いとはいえなかったが、日本の近代化にとっては正解だった。

 

  維新メンバーによる大統領も、財政や税制、少子化や過疎化、デフレ、環境などにとってはかなり有効な道だと思う。何より対中国でクアッド包囲網を迅速に柔軟に狭めていく上でも、今の議員内閣制の老自民党のままでは鈍くて不安極まりない。

 

  東京五輪大阪万博の後は特段ムーブメントもなく、経済が下がるばかりとも言われる。初代大統領誕生に向けて全国的に準備を進めれば様々に効果は広がるだろう。

 

  ググると鈴木しんじという方も日本に大統領制と唱えており、論拠も幾つか挙げていたのでいちおうこちらの記事も紹介した。おそらく初代大統領には吉村氏とは違う人をイメージしているように思われる。

 

  後の経済王になる渋澤栄一徳川幕府のままではなり得ず、世の中が明治に変わったから力を発揮できた。日本も大統領制に変えて「失われた30年」を強制終了させれば、様々な新しい人や産業が芽生えてくることになる。

 

日本は大統領制で刷新される?

  鎌倉時代末期は闘犬や田楽にあけくれて政治を見ない北条高時の腐敗ぶりが際立っていた。室町幕府江戸幕府も同様で、長期政権というのは腐りやすい。

 

  腐敗した組織で何が困るかと言えば、ものの見方や方法がズレたまま固定を強いられることである。だから優秀な人ほどそんな組織から抜けたがる。

 

  抜けてどこに行くかというと、新しい大きな勢力のところである。鎌倉時代末はそれが後醍醐天皇であり、室町時代末は各戦国大名であり、江戸時代末は薩長など雄藩だった。

 

  現代では、自民党の長期政権による腐敗は外国のような二大政党制で政権交代を繰り返すことによって対処できるとする小沢一郎の考え方が1990年代からずっと続いている。彼は自民党幹事長という立場を捨てて新生党をつくり、2度の政権交代を実現させている。

 

  一方、こうした対立軸では解決しない、旧いものは破壊するべきという人も当然出てくる。鎌倉時代末は新田義貞がそうで、鎌倉を急襲した。室町時代末は織田信長、江戸時代末は高杉晋作がそういう役回りだった。

 

  現代では「自民党をぶっ壊す」と言いながら雇用慣行を破壊した小泉純一郎がそれに当たると思われたが、黒幕の竹中平蔵は今も菅政権と深いつながりがあり、その先には大手外資があると言われる。甚だ評判は悪いが今も竹中の破壊ぶりは健在だと思う。

 

  前回の記事では歴史の転換期には5段階あると説いたが、ここで3,4番目は飛ばして5段階目に言及すると、現代の完成形は今問題になっている財政や税制のあり方、少子化、過疎化などが改善する目処が立って初めて5段階目に至ったと言える。

 

  そうならない限りは対立や破壊が続く。

 

  そうなるためには3番目の新しい創造的発想や行動の持ち主、その元に調整や統合を行う4番目の人が待望される。

 

  5段階目は先述した通り高いカリスマ性の持ち主がつく。私の見立てでは日本に大統領制を敷いて就任する初代大統領が上記の問題を解決すると思っている。

 

  いわゆる「首相公選制」の議論とは少し違い、明確に大統領という肩書きを持つ人が任期中に大胆な政治を実現するというものである。