鎌倉時代末期は闘犬や田楽にあけくれて政治を見ない北条高時の腐敗ぶりが際立っていた。室町幕府や江戸幕府も同様で、長期政権というのは腐りやすい。
腐敗した組織で何が困るかと言えば、ものの見方や方法がズレたまま固定を強いられることである。だから優秀な人ほどそんな組織から抜けたがる。
抜けてどこに行くかというと、新しい大きな勢力のところである。鎌倉時代末はそれが後醍醐天皇であり、室町時代末は各戦国大名であり、江戸時代末は薩長など雄藩だった。
現代では、自民党の長期政権による腐敗は外国のような二大政党制で政権交代を繰り返すことによって対処できるとする小沢一郎の考え方が1990年代からずっと続いている。彼は自民党幹事長という立場を捨てて新生党をつくり、2度の政権交代を実現させている。
一方、こうした対立軸では解決しない、旧いものは破壊するべきという人も当然出てくる。鎌倉時代末は新田義貞がそうで、鎌倉を急襲した。室町時代末は織田信長、江戸時代末は高杉晋作がそういう役回りだった。
現代では「自民党をぶっ壊す」と言いながら雇用慣行を破壊した小泉純一郎がそれに当たると思われたが、黒幕の竹中平蔵は今も菅政権と深いつながりがあり、その先には大手外資があると言われる。甚だ評判は悪いが今も竹中の破壊ぶりは健在だと思う。
前回の記事では歴史の転換期には5段階あると説いたが、ここで3,4番目は飛ばして5段階目に言及すると、現代の完成形は今問題になっている財政や税制のあり方、少子化、過疎化などが改善する目処が立って初めて5段階目に至ったと言える。
そうならない限りは対立や破壊が続く。
そうなるためには3番目の新しい創造的発想や行動の持ち主、その元に調整や統合を行う4番目の人が待望される。
5段階目は先述した通り高いカリスマ性の持ち主がつく。私の見立てでは日本に大統領制を敷いて就任する初代大統領が上記の問題を解決すると思っている。
いわゆる「首相公選制」の議論とは少し違い、明確に大統領という肩書きを持つ人が任期中に大胆な政治を実現するというものである。