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大決戦で転換期は終わる

  責任者という立場にありながら何もせず享楽的で、しかも周囲の誰も諌めない。そんな人物の代表例が鎌倉時代末期の幕府14代執権、闘犬と田楽好きな北条高時である。

 

  また、責任者という立場にありながら何もできず趣味の剣術に没頭していた人物が室町時代末期の13代将軍足利義輝であり、最期は代わりに仕切っていた三好や松永の襲撃を受けた。何本もの刀を部屋の各場所に用意して孤軍奮闘したものの、大河で描かれた通り三方から板で封じ込められて長槍に刺された。

 

  現代の国家責任者である自民党政権もコロナ禍なのに密になって飲み食いしたり、幹事長に仕切られて首相が弱々しかったりと、上記の末期的症状はよく似ている。

 

  鎌倉幕府が続く限り全国の窮乏が解決されないと見なされると、対抗軸として後醍醐天皇が立ち上がり、日野資朝楠木正成新田義貞足利高氏、赤松、児島、菊池など優秀な人物が続々と味方して幕府を倒した。

 

  室町幕府の末期にはよく知られている通り戦国大名が群雄割拠し、分国法を定め、相争う中で織田信長が台頭して、15代将軍足利義昭を追放した。

 

  平安時代から鎌倉時代への転換期や江戸時代から明治時代への転換期、戦前から戦後への転換期は今回割愛するが、日本史は総じて円環状に回転しながら腐敗を刷新するようになっている。

 

  その第一段階は旧政権とは別に大きな勢力が独立して対立する。後醍醐天皇後白河法王、戦国大名、雄藩などのように。

 

  次の第二段階は旧いものを破壊し逆転する。新田義貞が鎌倉を襲撃したり、織田信長高杉晋作マッカーサー平清盛中大兄皇子などのように。

 

  1990年前後の享楽的だったバブルとその後の崩壊、大蔵官僚次官が受けた"ノーパンしゃぶしゃぶ接待"など、末期的症状を呈した自民党政権に対して、当時の小沢一郎元幹事長は「日本改造計画」を著して二大政党政治のビジョンを打ち出し、自ら自民党を飛び出して野党各党と組み、政権交代を果たした。上記の例で言うと対立段階が始まったと言える。

 

  2021年現在も与党が駄目なら選挙で倒そうという小沢一郎的考え方を持つ人が多い。しかし、麻生から細川、安倍(第一次)から鳩山、と二度政権交代を果たしても特に良くはならず、かえって悪くなっている。

 

  一方、旧いものを破壊する第二段階も現代にはあり、例えばライオンヘアの変わり者、小泉純一郎は悪名高い御用学者の竹中平蔵と組んで"ぶっ壊す"と意気込んだ。低賃金の派遣労働者が増えて第二次ベビーブーマーの多くが独身のまま生涯を終えそうだし、多額の郵便貯金外資に献上された。今もまだ竹中は健在で、今度は菅総理のもとで大企業化を唱えるアトキンソンとともに中小企業を潰そうとしている。

 

  歴史の転換期は対立と破壊の段階だけでは刷新されず、この後に創造的段階、調整や統合する段階、完成する段階がきてやっと終わる。初代将軍の誕生である。

 

 転換期の後は制度期があり、鎌倉時代の場合は御成敗式目、江戸時代は武家諸法渡、帝国憲法日本国憲法律令などがそれに当たる。

 

  制度期の次は文化期で、戦後もテレビや冷蔵庫、洗濯機のいわゆる"三種の神器"、自動車、電話、ラジカセなどが普及した。

 

  文化期が爛熟すると反乱や内乱が起きる。一揆学生運動など。

 

  そこから改革期が始まる。江戸の三大改革や墾田永年資材法、院政、徳政令行政改革など。ただ小手先の部分的な対症療法なのでたいてい失敗して衰退し、転換期を迎えるようになる。

 

  現代の転換期の第一と第二までは小沢や竹中で約30年間続いているが、この次の第三はいったいいつ始まるのだろうか?

 

  身分の低い楠木正成豊臣秀吉勝海舟などが重んじられるような現象、海外からの文化を導入したり、新しい思想哲学が打ち立てられたり、そういった創造的移行がなければと思うが、第三の人は寄りそう所を誤れば途中で脱落する。義経や正成、海舟などのように。

 

  逆に失脚せず頂点に立つと、秀吉や吉田茂のように長く続いたりもする。

 

  そして第五にあたる徳川家康を補佐する第四の本多正信足利尊氏には弟直義、源頼朝には北条時政鳩山一郎(自民党初代総裁)には三木武吉というように調整役が統合する。

 

  その転換期の最後にはたいてい「一大決戦」がある。関ヶ原の戦い西南戦争壬申の乱などのように。戦後も日本に社会党共産党などの左翼が拡大してきたから参謀三木武吉緒方竹虎党首に呼び掛けて保守合同自由民主党が誕生した。

 

  日本史を円で表すと、大決戦が右上なら左下には先述した内乱がくる。

 

  現代の決戦が何で、最後の勝利者が誰なのか?  前回記事では初代大統領だと書いたが、その後に調べてみると維新の会は既に首相公選制を公約の1つに入れていた。自民党は検討したことはあるが今は掲げておらず、ネットの書き込みも進次郎や小池みたいな人を馬鹿な国民がマスコミに騙されて選ぶ恐れがあると否定的である。

 

  しかし、先の千葉での知事選や大阪、北海道の首長など結構マトモな人が選ばれる例も見られる。

 

  転換期が進まず歴史の円環が成り立たなければ、枯れ果てて財政や税制、少子化も未解決なままになるだろう。江戸時代末も徳川の世が未来永劫ずっと続くと諦める風潮が占めていた。

 

  水戸光國が編纂した大日本史の直線的歴史観とは別に、頼山陽が「日本外史」を著して徳川氏を新田氏や織田氏などと同列に扱ったことで相対化され、幕府は絶対ではないから倒幕しようと全国の志士が立ち上がった。

 

  現代も円環史観はまだ少数派で、転換期は停滞したままなのでこうして何度も書いたり、送ったりしている。

 

 

 

  

 

 

 

 

  

(晴天を衝け) 慶喜が誰かに見えてきた

  大河では時々、2つの人生を平行して描く手法がとられる。

 

  一昨年の大河「いだてん」ではマラソン金栗四三と進行役を担当した名落語家の古今亭志ん生の2人の人生が代わる代わる描かれたが、最後まで相まみえることが(実際にも)なかったので、視聴者からはコロコロ場面が変わるし演出的におかしいと大不評だった。

 

  昨年の大河「麒麟がくる」でも謎多き光秀だけでは時間が埋まらないこともあり、架空の町医者東庵と駒の駿府や京都での出番が多くなってその演出も不評だった。「まるで駒がくるになっている!」と。

 

  両ドラマに比べると今年の大河は後の将軍徳川慶喜と主人公の商人渋澤栄一とがいずれ合流することになるので、身分違いな生活が平行して描かれても十分に見応えがある。

 

  3月に入り年齢的にも異性とのもつれが増えてきたが、徳川慶喜に嫁いだ美賀君の義母への嫉妬といい、栄一の千代に対する"胸がぐるぐるする"といい、そこは女性脚本家ならではの違和感を覚えた。いかに嫉妬に燃えようともあれでは公家出身ではなく田舎者のアクションだし、栄一ぐらいの年齢ならあんな感じで戸惑わないことは男なら分かる。まあ仕方ない。

 

※立ちションのシーンはおそらく秀吉と家康のエピソードから使ったと思われるが、これも男の心理からすれば得体の知れない庶民の隣に立って急所をさらすなどあり得ず、女性脚本家ならではの無駄な演出と思う。

 

  これらのくだらない各演出はともかく、なるべく史実のみを取り出して栄一の変化を追うことにしている。

 

  そういう視点で見れば、当時の「一橋慶喜様を次の将軍に」という熱はもっともっと高かったはずだったし、このドラマではどうも熱量が物足りない。

 

  たとえ先祖が偉大でも子孫の多くは凡人ばかりのなものだが、この若い慶喜は名家の血筋に加え文武ともに秀でてカリスマ性まである。日本が非常に困難な状況下で有力なカードの1枚であることは間違いない。「一橋様こそ」「一橋様こそ」とその期待が広がり、高まっており、こちらこそ川栄李奈の美賀君のように激しいアクションで高すぎる期待感を演出すべきだった。

 

  この様子を考えると、なんとなく現代にも似た構図があることに気がついた。大阪の吉村洋文知事である。若くて顔がよく、九州大卒の元弁護士、対コロナで他の知事よりも抜きん出た対応を行い、全国的な人気者となった。

 

  いわゆる「大阪都構想」の住民投票では僅差で敗れたものの、源頼朝だって石橋山の合戦で敗れたし、徳川家康三方原の合戦で敗れたため、一度や二度の敗戦は気にしなくていい。

 

  多くの国民が「いずれは国政を担ってほしい」との期待が高まっているが、当の本人は今のところその気はないし、任期が終われば政治の表舞台から退くような話もしている。確かに地方自治体の維新の会に所属している限りは全国的に組織がある自民党なしでは総理になれない。

 

  しかし、このブログの前回記事の通り日本に大統領制を敷けば、吉村氏なら当選する可能性は高いと思う。もちろん吉村氏だけで何でも解決する訳ではなく、大統領のスタッフに先輩筋の橋下徹松井一郎などが加われば、断然期待できる。

 

  橋下氏は国会議員が領収書を整理しない点を指摘していたので、当然手をつけるし議員定数削減も行うだろう。松井一郎も無駄をなくすことにかけては持ち前の暴れん坊ぶりを発揮する。

 

  と、いつの間にか大河からかなり脱線してしまったが、幕末は紆余曲折の末にようやく慶喜が将軍に就任する。それは徳川幕府にとっては終わりを迎えたため必ずしも良いとはいえなかったが、日本の近代化にとっては正解だった。

 

  維新メンバーによる大統領も、財政や税制、少子化や過疎化、デフレ、環境などにとってはかなり有効な道だと思う。何より対中国でクアッド包囲網を迅速に柔軟に狭めていく上でも、今の議員内閣制の老自民党のままでは鈍くて不安極まりない。

 

  東京五輪大阪万博の後は特段ムーブメントもなく、経済が下がるばかりとも言われる。初代大統領誕生に向けて全国的に準備を進めれば様々に効果は広がるだろう。

 

  ググると鈴木しんじという方も日本に大統領制と唱えており、論拠も幾つか挙げていたのでいちおうこちらの記事も紹介した。おそらく初代大統領には吉村氏とは違う人をイメージしているように思われる。

 

  後の経済王になる渋澤栄一徳川幕府のままではなり得ず、世の中が明治に変わったから力を発揮できた。日本も大統領制に変えて「失われた30年」を強制終了させれば、様々な新しい人や産業が芽生えてくることになる。

 

日本は大統領制で刷新される?

  鎌倉時代末期は闘犬や田楽にあけくれて政治を見ない北条高時の腐敗ぶりが際立っていた。室町幕府江戸幕府も同様で、長期政権というのは腐りやすい。

 

  腐敗した組織で何が困るかと言えば、ものの見方や方法がズレたまま固定を強いられることである。だから優秀な人ほどそんな組織から抜けたがる。

 

  抜けてどこに行くかというと、新しい大きな勢力のところである。鎌倉時代末はそれが後醍醐天皇であり、室町時代末は各戦国大名であり、江戸時代末は薩長など雄藩だった。

 

  現代では、自民党の長期政権による腐敗は外国のような二大政党制で政権交代を繰り返すことによって対処できるとする小沢一郎の考え方が1990年代からずっと続いている。彼は自民党幹事長という立場を捨てて新生党をつくり、2度の政権交代を実現させている。

 

  一方、こうした対立軸では解決しない、旧いものは破壊するべきという人も当然出てくる。鎌倉時代末は新田義貞がそうで、鎌倉を急襲した。室町時代末は織田信長、江戸時代末は高杉晋作がそういう役回りだった。

 

  現代では「自民党をぶっ壊す」と言いながら雇用慣行を破壊した小泉純一郎がそれに当たると思われたが、黒幕の竹中平蔵は今も菅政権と深いつながりがあり、その先には大手外資があると言われる。甚だ評判は悪いが今も竹中の破壊ぶりは健在だと思う。

 

  前回の記事では歴史の転換期には5段階あると説いたが、ここで3,4番目は飛ばして5段階目に言及すると、現代の完成形は今問題になっている財政や税制のあり方、少子化、過疎化などが改善する目処が立って初めて5段階目に至ったと言える。

 

  そうならない限りは対立や破壊が続く。

 

  そうなるためには3番目の新しい創造的発想や行動の持ち主、その元に調整や統合を行う4番目の人が待望される。

 

  5段階目は先述した通り高いカリスマ性の持ち主がつく。私の見立てでは日本に大統領制を敷いて就任する初代大統領が上記の問題を解決すると思っている。

 

  いわゆる「首相公選制」の議論とは少し違い、明確に大統領という肩書きを持つ人が任期中に大胆な政治を実現するというものである。

 

 

 

逆転段階はこれから

  歴史の転換期には一定のパターンがある。

 

  逆に言えばこのパターンに沿わなければ歴史は転換せず停滞する。

 

  今がまさにそうである。「失われた10年」が20年になり、30年になっている。

 

  パターンを理解するには、昭和のベストセラー「ものぐさ精神分析」シリーズの中で著者・岸田秀氏が紹介した4段階が分かりやすい。

 

  「対立→逆転→移行→統合」である。

 

  似たようなものには「序→破→急」や「守→破→離」などがある。

 

  この4段階にもう1つ最終段階を付け加えて5段階にしてみる。

 

  「対立→逆転→移行→統合→完成」。

 

  例えば戦国時代の場合、末期的な室町幕府を尻目に各地に戦国大名が群雄割拠して分国法を作ったり相争った段階が対立、織田信長による旧習打破が逆転(織田がつき)、(羽柴がこねる天下餅)が移行、(うまうま食うは徳川)か完成、その間に本多正信のような参謀が統合作業を進めた。

 

  平安時代末期の場合は藤原摂関政治と対立した後白河法王の院政、貴族の世を終わらせた平清盛が逆転、源義経の一ノ谷や壇之浦での活躍が移行、源頼朝が完成で、頼朝を支えた初代執権の北条時政鎌倉幕府への統合を進めた。

 

  同様の考え方で並列していくとこうなる。

 

  大和時代から奈良時代への転換期には、「蘇我入鹿中大兄皇子(大化の改新)→高向玄麿→中臣鎌足天武天皇」。

 

  次は奈良から平安・・・いや、大事なのは現代である。戦前から戦後の転換期の場合、

 

  「東條英機ら軍部が台頭した対立段階→マッカーサーGHQ財閥解体や農地改革を行った逆転段階→吉田茂による経済中心への移行段階→三木武吉自由党民主党を合体させた統合段階→自民党初代総裁になった鳩山一郎の完成段階」となる。

 

  その自民党鎌倉幕府の執権や足利将軍、徳川将軍と同様に15代の宮澤喜一で一旦終わり、細川日本新党が短期間政権をとった。ここに暗躍した小沢一郎は今も政権交代や二大政党制を呼び掛けているので対立段階とは言える。

 

  では逆転段階は誰なのか? 小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す」とは言ったが特に何もなく、今も腐敗した自民党は続いている。

 

  その前の橋本龍太郎は省庁再編で大蔵省を財務省に改名した張本人だが、破壊より創造的に近く、逆転段階ではない。

 

  現代の安倍~菅政権では腐敗政治ここに極まれりと言えるぐらい末期的で、人材も枯渇している。だからといって蓮舫たち野党ももう真っ平御免と言われている。まだ小沢一郎は健在だが。

 

  ということは、現状の「腐敗自民と弱々野党」という絶望的な対立段階を打開するどこかの誰かの何かがもしどうにかすると、これこそが逆転段階と言える。

 

  第一候補は菅首相からも壊し屋と期待された河野太郎行政改革大臣だが、印鑑廃止を唱えると全国の印鑑屋から突き上げられておとなしくなるなど、壊し方がセコくてマッカーサーに比べると小さい。

 

  それでは維新の会を立ち上げた口達者の橋下徹か? 大阪の暴れん坊、松井一郎か? 人気者の吉村洋文か? 彼らも大阪都構想で破壊を試みたが2度の住民投票で否決されて敗北宣言した。

 

  ちなみに過去の逆転型には、鎌倉を急襲して滅ぼした新田義貞や、功山寺挙兵後に電光石火で長州の各要所を押さえた高杉晋作などスピードが特徴的で、中大兄皇子の入鹿暗殺や織田信長桶狭間の合戦、平清盛も保元平治の乱では素早く決着をつけていた。

 

  外国に目を転じると、三國志では幼少の皇帝を傀儡にして漢と対立した董卓を破り、官渡では素早く勝利した曹操が逆転、古代ローマでも「賽は投げられた」と叫んでルビコン川を渡ったシーザーも逆転、養子のアウグストゥスは初代ローマ皇帝になったので完成型といえる。

 

  また、ソビエトの最後に書記長となってグラスノスチ(情報公開)とペレストロイカ(改革)を断行したゴルバチョフが対立段階、戦車の上に立ってソビエトを素早く倒しロシアに変えたエリツィンが逆転段階、そして元KGBの優秀なスパイで長期間君臨している現プーチン大統領が移行段階と思われる。

 

  4段階目と5段階目が誰になるかは、ロシアをどんな国にするか、それともどこかと合体したものになるかで見えてくるが、まだよく分からない。

 

  同様な例で日本の思想家集団の場合、既存の学界とは一線を画してメディアにもよく出ていた西部グループの総帥・西部邁が対立段階、西部との共著が多い右腕的な佐伯啓思がただ否定ばかりで新しいものを生み出さないので逆転段階、西部の教え子の中では顔回サーリプッタヨハネ的な感じで今は現代貨幣理論(MMT)を広めようとしている中野剛志が移行段階と思われる。ただこちらも4段階目と5段階目が見えない。

 

  4段階目の人は統合を進める補佐型なので、中臣鎌足北条時政足利直義本多正信薩長連合を進めた坂本龍馬、社会共産の拡大に対して保守合同を行った先述の三木武吉などまあまあな人物が多い。

 

  逆に5段階目の人は完成型としてのお飾りであればよく、源頼朝足利尊氏徳川家康大久保利通など高いカリスマ性が明晰さや破壊性・創造性よりも最も求められる。

 

  3番目の移行型(創造豊かな才あり)はたとえ身分が低くても5段階目の人につけば成功率は高いが、つかなければ源義経楠木正成、秀吉(の豊臣家)や海舟のように途中退場する。

 

  まして1番目の対立型は、後白河法王や後醍醐天皇武田信玄西郷隆盛のように最後の勝利者とはならない。1980年代末から活躍して小選挙区制や二大政党制など対立段階を築いた小沢一郎もそうである。

 

  だから現代は対立の話はもういい。選挙で自民を倒そうなんてのももういい。

 

  病根となる患部を素早く急襲して一気に破壊することが望ましい。新田義貞高杉晋作織田信長のように。

 

  戦前も軍部政権が長引いてなかなかそれが現れず、つまり晋作を最後に日本には出てこず、結局敗戦で東條英機を処刑して対立型の時代が終わった。フィリピン敗戦後にいったんオーストラリアへ撤退し、反転して日本海軍の隙間を縫うように飛び石作戦で各小島に飛行場を作りながら接近してついに厚木に降り立った「アイシャルリターン」のマッカーサーが外国人ながら逆転段階となった。

 

  今度はアメリカ人でも◯国人でも、まして中国人でもない人がいいのだが・・。

 

  そして3~5段階目はどうなるのか? 気長に待つとしよう。

 

※後日追加

小沢一郎宅への東京地検特捜部の急襲は上記のようなスピーディさはあった。

・では小泉竹中は逆転段階だったのか? 確かに日本の雇用習慣を破壊して評判は悪い。

竹中平蔵は今も菅政権のブレーン。菅総理とは郵政民営化という破壊で共闘した。

・菅&竹中&河野で破壊はまだ進むのかもしれず、3~5段階目が待望される。

 

 

 

 

  

 

  

 

 

  

 

  

薬をやめたら健康になった話

  ヤフコメに書いたら意外にいいねが多かったので、期限がきたら消える所よりこちらにも書いておく。

 

  一時期、人手不足から早朝出勤になり、帰宅も遅いので日々の睡眠時間が4~5時間ほどになったことがあった。

 

  日中の疲れをドリンク剤でカバーしていたものの、アラフィフにもなると筋肉の疲労が膀胱辺りにもくるようになる。

 

  さすがにまずいと思い、ある錠剤を思い出した。凄くよく効くのだが、CMで宣伝してないからかあまり店で見かけない。ドリンクの方が有名だ。

 

  見つけ出して夜寝る前と朝起きた時に1錠ずつ飲むようにすると、睡眠が短時間でも疲れず仕事できるようになった。

 

  1瓶なくなりそうになった頃、高いけどまた買って頑張ろうかと思っていたところ・・、

 

  心臓に痛みを感じた。

 

  痛い時があるではなく、ずっと痛い。何が原因かは分かる。体が睡眠を求めて悲鳴をあげているのに睡眠をとらず、薬を飲んで元気なつもりでいたからだ。その間に密かに進行していたことが心臓への過度な負担だった。

 

  病院に行くことも考えたが、休む訳にいかず、ネットで調べて心臓に効くツボを押さえてみたり、愚かにも胸の上にロキソニン湿布を貼ってみたりしていたが、効かないのでやめた。もしかして死ぬのか?

 

  そういえばシングルマザーが昼は工場、夜は接客業で夜遅くまで働き、ドリンクも飲んで何とか子供のために無理をしていると入院してしまい早死にする話がよくある。こういうことだったのかと実感した。

 

  ちょうど人手不足が解消し通常の睡眠時間に戻ったので、薬を飲むのをパッタリとやめた。ドリンク剤も飲まない。ググるリポビタンDと心臓とがセットで出てきたりする。何か飲むとしても野菜ジュースとかニンニクをすりおろしたものをスープか何かに入れるぐらい。

 

  半月ほどすると心臓の痛みは自然治癒ですっかりなくなり、今はもう何も違和感がない。そもそも副作用のない薬なんてないとも聞く。これを勧めた人も確か言いにくそうに毎日飲んでる訳ではなく、疲れが酷い時にたまに飲むと言い、毎日とは言ってなかった。こんなことがあったからかもしれない。

 

裏の法則は自由意志とは無関係

  人には自由意志がある前提が通じない事が時々気になったりする。

 

  統計で毎年の出荷量や事件事故の数、人の出入り(交通量)、来場者数などがだいたい似ていると、個人個人ベースでは昨年行ったから今年は行かないとかあるはずなのに、なぜ全体ではあまり変わらないのだろうと思う。

 

  ただ最近はコロナの蔓延もあって若干変わるかもしれないが、それは後述するとして、まず自由意志とは無関係に統計数値がほぼ同じになる話の理由から推測したい。

 

  というのは誰も言及しないからだが、確かに今までの学問では説明がつかない。私は自説の考え方から、それは個人個人に大きさの違う歯車のようなサイクルがあり、例えば頻繁に通販を利用する人もいれば長期間の間隔があく人もおり、その人数のバランスがエリアごとでだいたい決まっている。だから県別の各数値が毎年一定になると思っている。

 

  この購入サイクル(事件事故や来場者数含む)は、いわゆるライフサイクルと近いが、既存の経済学の限界効用逓減説や眩示的消費とも違う、サイクルがくれば出費したくなるものである。自由意志とは関係なく。

 

   どんなサイクルかは自説「状態と機能の話」参照。

 

  さて、自由意志とは関係ない話のもう1つが周期説である。何年か経てば何かが起こるというものや、ある段階が順番に巡るというものがあるが、特に最近は「東京30年周期説」が気になる。パソコン画面の右側上にある、ブログ1回目の記事である。

 

  2020年は東京オリンピックに絡む変化だと以前書いていたが、どうもそれがコロナかなと思えてきた。飲食店は潰れ、銀座など夜の街は議員叩きもあって静かになり(雀荘検事総長叩きがあったが)、竹下通りも静かになって地方の娘が憧れなくなり、リモートで拠点が散らばり、電通やエイベックスなど本社が売りに出され、明らかに前の30年とは異なってきた。

 

  これからどんな30年になるかはしばらく後にならないと分からないらしい。

 

  ただ自由意志とは無関係な裏の法則を気にして行動すれば、例えば部分改革ではなく全面的な見直しを行い、大胆な連合が行われたりすると思う。

 

 

 

 

 

 

求められる新哲学とは

   なぜか軽視されがちな哲学だが、歴史を振り返れば時に停滞を打破する凄いカギになり得る。

 

  例えば17世紀にフランスの哲学者が理性を発見してから近代が始まったし(デカルト)、遡ればギリシャの黄金期も哲学が隆盛だった(ソクラテスプラトンなど)。

 

  最近の中国は香港の選挙制度を見直して民主主義を除こうとしているが、これは世界の哲学史的な流れとはまったく逆行しており、逆進すればするほどその差は開く。至るところは前近代的な昔懐かしい時代の再現であり、そんな最も世界で遅れた国に諸国はソッポを向き始めた。経済も貿易相手が減れば内部循環型と嘯(うそぶ)いても傾くだろう。

 

  ところで、市販の哲学史本はサルトルデリダで区切りをつけてもう30年以上になる。インターネットやスマホ、ユーチューブの普及で新しいスタイルの哲学があっても良いはずだが、特にオオモノは出てこない。

 

  経済学でマルクスケインズの「大きな政府」に対して「小さな政府」を唱えたハイエク新自由主義が、経済分野の垣根を越えて、サッチャーレーガン、中曽根をはじめ、小泉竹中などの哲学信条にもなっている。

 

  今の菅総理や麻生副総理も「自助」を説いているからこの哲学に属する。というか、他にないので仕方なくそうしているように見える。コロナで大変だからと公助を使おうにも自助という拘(こだわ)りが邪魔して出来ないでいる。

 

  要は哲学関係者が30年間ずっと怠けている。もっと新しい哲学の開発や探索、評価と採用に力を入れるべきなのに、結果として何も出てこない。従来の発想を全て網羅した上でないと新哲学の価値は分からないから、ここはもっともっと哲学界が働くべきと思う。

 

  私自身は、これからの哲学は新自由主義のような反ケインズ(マルクス)のための一点突破では汎用的な有効性はないと考えている。

 

  汎用のため視点を広くとってみれば、6つの“極”が大事だと至った。

 

・「幻想」と「現実」

・「財産」と「資本」

・「権利」と「義務」 である。

 

  まず分かりやすいところから、「現実」とは身長や体重、出身地や現住所、所属先など。これに「財産」を加えたり、「資本金」を加えても自己紹介時の自己といえる。自己は自我と違ってもっと広い自分である。

 

  「権利」と「義務」は法的なもの以外にも、家庭や地域、職場のもの、慣習やマイルールまで様々ある。

 

  「幻想」というと分かりにくいが、夢や理想、方向性、掲げる信条などと言えば自己紹介でも使う。これら6つの“極”を個人に限らず物事を見極める基準として活用し、整えていく。

 

  メインサイト「状態と機能の話」ではこの6つを記号化している。

 

・「幻想」をY、「現実」をW

・「財産」をY'、「資本」をW'

・「権利」をY"、「義務」をW"

 

  そして、停滞中の幾つかの課題にこの6つを記号で整理する。例えば少子化の場合、

 

・Y:結婚願望の割合、昨今の結婚観

・W:適齢独身者の数や既婚者、離婚率等

・Y':本人の年収や条件

・W':資金や式場

・Y":婚姻の自由度

・W":養育の義務や勤労の義務、不貞の罰則

 

  など挙げられるが、多くの人が金銭的窮乏を挙げているので自治体によっては補助金を増したり出会いの場を設けたりしている。

 

  しかし、ヤフコメにも増えているが多様な生き方を理由に独身でも良いという見方が広がっており、Yも整ってはいない。

 

  生物学的には他の遺伝子と組み合わせることによって環境変化にも耐えられる強い個体をつくり、生き残るために雌雄がある。雌雄がないのはウィルスと同じで、変異しなければアルコールぐらいで死滅する。

 

 他にも国際問題や東京オリンピックの是非、コロナ対策など、一点突破や破壊などではなく総合的建設的に進めるなら6つの極は非常に有効になると思う。