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ミネルヴァの梟は黄昏に飛び立ち、天の岩戸で夜明けを迎える

  19世紀ドイツの哲学者ヘーゲルが主著「精神現象学」の序文で述べた一節、「ミネルヴァの梟は迫り来る黄昏に飛び立つ」。

 

  ギリシャ神話に登場する知恵の女神アテナ(ローマ名ミネルヴァ)の肩にとまっている梟は、昼から夜に変わる黄昏時に飛び立つという話から、一つの時代が終わって次の時代に移る変わり目のことを指すと解説される。当時はナポレオンが活躍して民法典や政治、戦術など様々な分野で大きく変わる節目でもあった。

 

  私がこの黄昏に飛ぶ梟の諺をある政治家に送ったのも、バブル経済が崩壊して政治も宮沢から細川、羽田など小刻みに変わり、更に阪神大震災も起こった1990年代後半の頃だが、剣友とも知って大いに賛同されて動いてくれたことがある。詳細は知りたい方にだけ教えるが(@reigan_s)、循環型社会を突如言い出した青島都知事といい、トップの当事者になると新しい知恵の大切さに初めて気付くものだと思ったりした。

 

  ヘーゲルにはもう1つ、夜に関する有名な話がある。先輩哲学者のシェリングに「全ての牛が黒くなる闇夜」と激しく批判してショックを与えたというもので、哲学史の流れ的にはカントがいう「物自体は分からない」、次のフィヒテの「自我と非我」、そしてシェリングの「同一哲学」で物自体が解決したかと思いきや“味噌も糞も一緒にした”と批判して、「正ー反ー合」という経緯を繰り返しながら理性が進んでいくヘーゲル弁証法に至る。

 

  カントの前には彼にショックを与えたヒューム、ヘーゲルの後には理性の絶対者より実存する単独者を重視したキルケゴールがおり、西洋哲学史は流れで捉える方が1冊1冊本を読むより分かりやすい。

 

  真っ暗な闇夜では、どの牛がどんな模様か分からない。シェリングは精神も自然も同一哲学で分かった気になっているが黒く塗り潰されて何も見えていない。そんな夜中にミネルヴァの梟は知恵を巡らせている・・・。

 

  これと似たような状況が日本神話の「天(あま)の岩戸」伝説である。乱暴な実弟スサノオノミコトに心を痛めた姉のアマテラスオオミカミは岩戸の中に隠れてしまった。アマテラスは太陽神でもあるので高天原は真っ暗になり、神々は大いに困った。作物も育たない。そこで、知恵と思索の神オモイカネノミコト(思兼命)が発案して岩戸からアマテラスを出して再び明るい世に戻すというものである。

 

  哲学史をまとめたスライド(↓)を高く評価した教授が、小室圭について書くことは「ジャンクフードとスキャンダル」に例えて放っとけと批判したが、確かに高尚な哲学に比べたらくだらない話かもしれない。しかし、ではなぜ知恵と思索の神は皇室の始祖アマテラスの脇に仕えていたのだろうか? その知恵は自らの享楽のためだけに使うのではなく、公のため、日本人にとっては皇室も公に含まれており、特に公が闇夜になった時はなおさら、思索して知恵を出し合うものである。

 

  1993年の政変以来、またバブル崩壊以来、失われた30年と呼ばれてデフレ経済下で給料は上がらず、少子高齢化も改善せず、税制も目茶苦茶で、ずっと活気がなくなっている闇夜。

 

  その期間中長く大臣や顧問で中央に居座り続ける悪評高い(純粋悪とも呼ばれる)竹中平蔵教授兼パソナ会長は、「駄目な企業を保護するから日本は弱くなった」と弱肉強食を肯定し、外資の手先になっている。その先にあるのは日本の破壊と崩壊である。

 

  スサノオが暴れまわったことでアマテラスが引きこもった闇夜も、単細胞に(ヘーゲルはピストルに例えた)味噌も糞も一緒にして分かった気になる闇夜も、知恵を軽視している点では同じである。

 

  誰しも自分の経験や知識に基づいて生活しており、なかなか新しい大系的知識を見る気にならないものだが、闇夜を再び明るく戻すには今まで無視していた知恵と思索の神オモイカネの発案するところに耳を傾けるべきではないだろうか?

 

  するとこの神は、岩戸の脇にタヂカラオノカミを立たせ、岩戸の前に神々を集めた中でアメノウズメノミコにダンスをさせて笑いを起こさせた。「なぜ私がいないのに皆が笑っているのだろう?」と気になったアマテラスが岩戸をそっと開けて覗いた瞬間、タヂカラオが引き開けて世界は再び明るくなった。

 

  要は新しい知恵のもと皆が手を繋いで協力しあい、仲良くすれば良いのである。新型コロナも東京五輪もそうするしかない。

 

  現状ではまだお互いにいがみ合っている。戦い合い競争しあうことももちろん大事だが、それで闇夜が起きたなら、新しい知恵を探し求める。

 

  竹中平蔵のような「新しい知恵なんてない」と公言するタイプでもなければ、小室佳代と小室圭の代理人を担当している表参道のある弁護士のように皇室の権威を落としてもまだ依頼者の利益のみ拘るタイプの知恵者でもない。どちらも頭は良いとされるが、特に今の時代は絶対に必要な知恵ではない。

 

 

 

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