今回の「焼討ちの代償」内に、16日のブログタイトル「信長と義昭とは水と油」という言葉が入っていた。解釈はほぼ同じだが、私は独自の易理論からそれを導いた。
易といえば、今回の松永久秀が光秀や順慶と会談に臨む前に易を立てるシーンから始まったことが印象的だった。易を始めたきっかけは、勝手気ままな振る舞いが多く叱ってくれる人がいない息子を案じた母親が勧めたかららしい。
少し補足すると、信長が家康に久秀を紹介する際に「この老人は常人では成せないことを3つもしておる。主家(三好家)を乗っ取り、将軍(足利義輝)を誅殺し、そして奈良の大仏を焼いた。全く油断がならぬ」という有名な話がある。
それはともかく、ここで明智光秀は易でどんな結果が出たのか笑みを浮かべて聞こうとする。私も興味がありますと順慶も応じたが、久秀は敵に教えられるかと言い、光秀のみ室外に招き、結局は順慶との一時的な和議に応じる。
おそらく易では、思い通りにやって勝つとは出てなかったのだろう。実際の様々な織田と幕府、大和の状況を鑑みてもこの易の結果が合っていたのかもしれない。ただ光秀の表情が会話の中とはいえ易と聞いて少し馬鹿にしたような笑みを浮かべたので、視聴者の多くは非現実的な占いだと思い込んだと思う。
まだ実験科学が進んでいなかった当時は、東洋の五行思想(木火土金水)こそが科学であり、易も孔子が頼ったように知的にも結構奥深いものだった。
戦後の日本が焼け野原から奇跡的な猛スピードの復興を遂げたのも、歴代自民党総理が“影の指南役”に頭(こうべ)を垂れて教えを乞うたからだった。その人こそ「安岡正篤」という。あまりにオオモノ過ぎて、あの細木数子が若い頃に強引に妻になろうとしたほどだった。
私も自説完成後は多くの本を手放してしまったが、彼の代表作「易と人生哲学(竹井出版)」はまだ手元に置いており、時々その中の64卦を確認している。他の易経関連の本よりも安岡氏なりの解釈や順番で再整理してあるところがいい。
例を挙げれば、同人誌という言葉でも使われる「天火同人」という卦は“社会生活が進んで似た者が集まる”とあり、しばらく後にくる「山風蟲(こ)」という卦は成功してゆとりができた後にまるで「木皿に虫がくって」くる感じを表し、“易の配列は憎らしいほど機微に通じ、勘どころを押さえた、いたれり尽くせりのもの”と述べている。
そのような易を久秀に母親が勧めたのであって、決していい加減な占いではないのである。ただ64卦の全てを修め活用することは困難なため、私は八卦を物質の三状態と結び付けて並べ変え(下記スライド参照)、冒頭の話に戻るが「信長:義昭=水:油」という大河の作者と同じ見方に至った。
次回はますますこの対立が激化する。水と油を掻き混ぜても一緒にならず違いが明らかになるだけであり、久秀や本ブログが述べる通り信長と光秀とはしっくりくる。それもあと数年間ではあるが。
天→風→水→山(麒麟の理想→浪人生活→織田家→叡山)ときて、次はいよいよ地の卦だが、安岡氏は「乾坤一擲(けんこんいってき)」の中の乾と坤こそ天と地の本質だと述べ、64卦の最初に持ってきている。天が理想を掲げることであれば、地はそれがある程度実現したことだと思う。ならば天下がおさまってきて安土城を築城する頃だろう。光秀もナンバー2として重きをなす。
その上で、摩擦の雷から本能寺の火へと展開する。