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“近代化=合理化”ではなくなった時代

 一昔前までは、合理的な判断なら全て良かった。高度成長経済を推進する立役者たちは、戦国時代に鉄砲を駆使して西洋風の甲冑を着こなした織田信長の合理的なところと被らせ、反伝統こそ合理的(※)とばかりイケイケドンドンだった。

 

マックス・ウェーバーも自身の父子葛藤から伝統と合理の対立図式を作り上げたが、その経緯は見ずに世の社会科学はウェーバーの「近代化=合理化」だけを持ち上げていた。

 

 流れが変わったのはやはり1985年のプラザ合意で1ドル=360円の固定相場制から変動相場制になった時である。もはや自国の輸出だけを押し付けられなくなり、合理的判断とは他者(各国)の都合を鑑みた意味合いに変わった。

 

 1990年代以降、グローバル化という名の国際化が進む中で他国と仲良く共存していくためには当然ではある。

 

 しかし、最近はまた合理的判断が揺らいでいる。GoToの是非、皇女の是非、アメリカでも先の選挙結果を尊重するか、それとも不正疑惑の解明を優先すべきか。そもそも哲学者カントも理性の行き着く先は二律背反に陥るとしていた。

 

 そんな中、中国は全人会議でも堂々と反欧米を掲げている。近代理性発祥の地の英国が理不尽なアヘン戦争を仕掛け、欧州で二度の大戦を起こし、今また新型コロナを抑えられずにいると。では代替案は何かというと膨大な数の監視カメラとAIによる管理国家だが、実態は大半の国民が不自由と生活苦に喘ぎ、少数民族は言語も文化も絶滅しかけている。中華風共産主義も問題が多い。

 

 最後にダボス会議創始者が提唱するグレートリセットに触れなければならないが、多くのレビューにある通りポストコロナとして言っていることは特に間違っていない。ただこのリセットという言葉の使い方に希望よりは絶望を感じる。まるで全てを灰にしてしまうかのようだ。

 

 一昔前の合理的に匹敵するほどの強力なキーワードにリセットはあり得ない。他に何か有るように思うが、それはツイッターやユーチューブから出てくるものなのか、マスコミが広めるものなのか、いずれにせよこれだけ悪化が進んでいるなら良いものだと浮上すると思う。