近代、理性、合理的・・・。
17世紀フランスの哲学者、ルネ・デカルトが明らかにした「考えるコギト(自我)」は、
人類を長きに渡って縛り続けていた宗教や伝統から“解放”した。
それを着想した瞬間は、合理主義者には少し似つかわしくない、“神秘的”ですらある。
「1619年11月10日夜、霊感に満たされて、驚くべき学問の基礎を見いだした」
場所はドイツ、ウルム近くの村宿の炉部屋。デカルトのそばの暖炉では火が燃え続けていた。
ここで、“解放”や“火”などをキーワードとすると、昔のある人物が思い出される。
旧約聖書“出エジプト記”の主人公、モーセである。80歳になった羊飼いの彼は、柴の間で燃えている“火”に気が付き、近づくとその火はアブラハムの神と名乗り、イスラエルの民をエジプトから“解放”するよう命じるのである。
驚いて尻込みするモーセ。
「わたしはある。わたしはあるというものだ」・・・このセリフからデカルトの、
「我思う。故に我あり」を比較したサイトがあった。
理性を重んじて、後世の無神論者のきっかけを与えることにもなるデカルトだが、彼自身は17世紀という狭間で敬虔に神を思う信者としての一面もあった。ということは、
モーセを意識しつつ思索を進めていたとも言える。自分が人々を解放するのだと。
神は「わたしはある」と名乗った。それだけでは宗教に縛られる。モーセもずっと縛られていた。イスラエルの人々が約束の地に落ち着くには何十年もかかった。
しかし、デカルトは人間の側の「わたしはある」を確立した。理性を使えば効率よく最短距離、最短時間で移動できる。
これ以後、理性の発見は近代の啓蒙思想家をはじめ多くの人々に支持され、イギリス名誉革命やフランス革命など王政を倒して民主主義を樹立させた。
モーセの場合も、エジプトでの過酷な奴隷扱いに反感を抱く多くの人々に支持され、担ぎ上げられた。
放送中の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に出てくる源義経も、(この場面はおそらく出て来ないが)平家の世に反感を抱く源氏の残党たちが天狗に扮して鞍馬山(※1)の牛若丸を教え導き、鍛えたものだった。
そう考えると、脱エジプトを目論むイスラエル人の何人かが、自分たちをまとめるリーダーについてモーセに白羽の矢を立てたとも考えられる。
確か、前のファラオが追っていた男、赤ん坊のとき川で拾われて王女に育てられた男、正義感にあふれている男、奴隷を虐げるエジプト人を殺して逃亡した男、まだミディアンの地で羊飼いとして生きているらしい。彼こそリーダーに立てようと。
そしてミディアンに行き、ホアブの山で羊の群れを飼うモーセがいたので、柴に火を灯す・・・当然“火”だから目が向く。
そして牛若丸の前の天狗同様に立ち上がって人々を導けと命じる。
モーセの出来事を現実的(※2)に見直せばそんなところだろうか。
一方、デカルトの場合は前述した通り聖書の記述が先にあって重なったと思う。
最後にもう1つ共通点。
モーセの親は、エジプト王によるイスラエル人の男児は全て殺せという命令を守らず生後3ヶ月のその赤ん坊をパピルスのカゴに入れて川に流すと、水浴び中の王女が見つけて拾いあげた。「イスラエル人の子です」と侍女が言ったが、「可愛いので自分が育てよう」と言うと葦の陰に隠れていたモーセの姉が「乳母を紹介します」と生母を推薦したという。
一方、デカルトは最晩年、20歳のスウェーデン女王に熱烈に気に入られて招かれたが、寒さで肺炎にかかり亡くなった。
※1 鞍馬寺は京都の観光名所。最初は建物だけ見て帰ったが、そういえば牛若丸と天狗がいた裏山はどんな所なのだろう?と再度訪ねると雪。そこで夏にも再々訪し「3回も行ったよ」と言うと、「鞍馬寺には地下室がある」と言われ結局4回も行った。
※2 モーセが実在の人物かどうかについては諸説あり、実在を疑う声もあるが、エジプトから大勢の奴隷(聖書には60万人)が出て行った事件はあり、それをまとめるリーダーがいたことも確からしい。また、モーセという名前もエジプト語の“マーシャー(水から引き上げる)”から名付けられた通りユダヤ的ではないと言われる。
P.S.上記引用サイトの結論部分について、私なりの答えはメインサイト(状態の秘法)の通り。デカルトもその大きなものの中の一部として他の哲学者とともに含まれる。
7.西洋哲学史の総合