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(鎌倉殿の13人) 八重姫、石橋山の敗戦etc.

 今回は源頼朝が敗れた「石橋山の合戦」を中心に描かれた。

 

 あいにくの雨で三浦軍の合流が遅れ、まだ兵力が整わないところを大庭景親軍と伊藤祐親軍に挟み撃ちにされ、挙兵のキーマンだった北条宗時もラストで亡くなった。

 

 八重姫に関する話が2つあり、1つは頼朝が初戦の勝利は山木の情報を伝えたそなたのお陰と家に上がって礼を言おうとした件、夫が帰宅したので慌てて立ち去った。

 

 もう1つは伊藤軍に挟撃される情報を伝えようと急いだが間に合わなかった件。

 

 いったい、いつまで八重姫は出てくるのだろう? 

 

 そう思ってネットを見ていると、こんな話があった。北条氏の中ではイチオシ(※1)の北条泰時ウィキペディアの下の方である。

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 泰時の母である阿波局の生没年や出自は不詳だが、どうも八重姫と同一人物ではないかという説があるのだ。とすると、父親は実は頼朝で、怖い政子に知られないよう、義時の子にしたのではないだろうか? すると源氏の血筋が鎌倉幕府執権職を継いでいくことになる。まだドラマではどう描くか不明だが、新垣結衣をキャスティングしたのもいろいろワケがありそうである。

 

 さて、石橋山の敗戦そのものは頼朝にとって苦い経験となったが、この後、勢力が縮小するどころか一気に膨れ上がることになる。

 

 本ブログは時々「歴史の転換期」に触れているが、その最終勝利者たちは、途中の戦に負けることがあっても最後には勝つようにうまく進んでいる。

 

 足利尊氏も朝敵とされて敗れたことがあったが、南朝とは別に北朝を立てて九州で盛り返し、東上して新田楠木軍を破った。

 

 徳川家康は三方ヶ原の敗戦が有名だが、その後すぐ信玄が亡くなると武田の所領や家臣、戦法まで吸収していった。

 

 大久保利通安政の大獄で親友の西郷を島流しで一時失ってしまったが、うまく主君久光のフトコロに潜り込んで右腕となり、西郷を復帰させて維新を成功させた。

 

 戦後では自民党初代総裁となった鳩山一郎とその軍師、三木武吉が該当するが、双葉社「池田隼人」巻末に漫画家の大和田秀樹が三木に触れているので紹介したい。

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 辣腕軍師と評される三木武吉だが、実は敗戦続きで、それでも最終勝利者となったから後世から高く評価された。

 

 では現代はどうか? 本ブログは初代大統領の出現に度々言及しているが、その人は決してマスコミウケする常勝タイプではない。むしろ今は敗者の1人かもしれない。苦労しているからこそ名君になり得る。

 

※1 北条泰時ウィキペディアより

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