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なぜタカミムスビは知恵の神の親なのか?

  今回は、天地開闢(かいびゃく)の時に現れた造化三神のうちの2番目、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)について書く。ウィキペディアにはこうある。

 

>『古事記』によれば、天地開闢の時、最初に天之御中主神(あめのみなかぬし)が現れ、その次に神産巣日神(かみむすび)と共に高天原に出現したとされるのが高御産巣日神(たかみむすび)という神である。

 

天之御中主神高御産巣日神神産巣日神は、共に造化の三神とされ、いずれも性別のない神、かつ人間界から姿を隠している「独神(ひとりがみ)」とされている。

 

  この「高」という字から、高次の、高次元の産巣(むすび)生産、生成を成すと考えられる。天地開闢の時の「混沌」が物質的な泥々としたものでないことは、物質が後から出来た、すなわち科学で言うところの各普遍定数が先に決まった上で出来なければこんなに調和された宇宙にはならないことから分かる。では、普遍定数が決まる前が混沌ということになる。

 

  例えば音楽は楽器を通じて音を奏でるが、楽譜上のものは観念的である。1、2、3・・などの数も目の前にはなく観念的なものである。意味や区分、技法なども観念的であり、頭の中で分かる、思念や波動のようなものと言える。

 

  この波動こそ高次元のものであり、最初の混沌は波動的な泥々と混濁したものだと思う。そこに先ず、主体たるアメノミナカヌシが現れ、1つの位置が定められた。2番目にタカミムスビが現れ、この神が高次の観念の始原でもある。

 

  さて、上記ウィキペディア引用の後半には造化3神が男でも女でもないとあるが、それなのにタカミムスビには子供がおり、その子の名を思兼神(オモイカネノカミ)という。思いを兼ねる、つまり知恵と思索の神であり、例えば天岩戸の中にアマテラスが引きこもった時にアイデアを出したりした。タカミムスビという観念的な波動の化身が親だからこそ知恵と思索の神になったと思われる。

 

  最後に前回同様、哲学的な分析を試みるが、アメノミナカヌシがデカルトのコギトやキルケゴールの単独者と言えるのなら、このタカミムスビは18世紀イギリスの哲学者、ディビッド・ヒュームが唱えた「観念連合」の哲学と考えられる。

 

  ヒュームはこう言う。まず対象を見て印象ができ、次に単純観念ができ、そして類似、近接、因果の複合観念ができると。肖像画と本人が類似の観念連合、キセルと本人が近接の観念連合、煙と火が因果の観念連合である。

 

  人間とは極論すると観念連合の束であり、伝統や宗教が言う因果律も全て絶対ではなく「かもしれない」(蓋然的)としかいえない。そこからヒュームは無神論者になったが、一方で実験科学を行う契機になったと後にホワイトヘッドが指摘した。政治的には絶対王政よりも議会制民主主義が観念連合的には良く、経済的には市場競争でより良い観念連合のサービスを競い合うことから資本主義が良しとされ、アダム・スミス国富論が生まれた。その他、影響を与えた人にはカント、マッハ、ケインズアインシュタインハイエク、パースなど多数いる。