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補ヒューム勉強会のお知らせ

現代は様々な面で価値観の見直しが求められています。

 

コンビニの24時間経営は全店必要なのか? 保育士の給料は安過ぎないか? 少子化は進む一方。AIで今の仕事は将来もあるのか?

 

個々に見直すだけでは一向に改善されない中、もっと高い視点から広く深く見直す方法として、哲学というものがあります。

 

しかし、ただ哲学を行おうとしても、その考え方がすでに過去にあったものか、批判されたことがあるものか知る必要があり、だからこそギリシャ哲学から近代まで続く哲学史を先ず知らなければなりません。

 

長い哲学史を知るには市販の入門書でも十分ですが、必ず突き当たるところこそ、哲学史のターニングポイントとして有名な18世紀イギリスの哲学者、ディビッド・ヒュームの「観念連合の三法則」です。

 

発見した当初こそ誰も見向きもしませんでしたが、遠くドイツではあのカントの目を覚まさせて哲学に進ませ、後輩のアダム・スミスは経済学を始め、宗教界は激しく激震して彼を無神論者と罵りました。逆に実験科学が発展するきっかけとなったと後にホワイトヘッドはヒュームを評価しています。さらに科学者のマッハやアインシュタインも早いうちに参考にするなど、影響は計り知れないほどです。

 

ただし、ヒュームを支持する中には前世紀半ばから猛威を振るった新自由主義もあり、現代もまだこれに代わる哲学がないようですが、利潤と効率を求めることを更に強め、多国籍企業に有利な環境をつくり冒頭のような問題が起きても解決できないままでいます。

 

この状況に疑問を持った一人が故橋本元首相で、日本の政治の在り方を省庁再編で変えようとしました。これは、「国家、富、文化、福祉の4本柱」に基づいて雑多だった省庁を統廃合するものですが、新自由主義に染まった内外の政治家、役人、マスメディアは敏感にも気付いて、「省庁再編は能率的、効率的でないから始まったのであって、能率性や効率性の視点で行うべき」と批判しました。しかし、本当に社会に重要なことは徳目の実現、すなわち真実と富と秩序の実現にあることに自信を持つ橋本氏は聞く耳を持たず、結果21世紀は、文部省と科学技術庁を合わせた文部科学省や、経済産業省や、国土交通省などの名称となる省庁再編で始まりました。大蔵省はなくなって財務省に代わり、さらに防衛相が遅れて発足しました。つまり、新自由主義とは異なる新しい価値観による政治がこの時行われたのです。もちろん反対派の反動はあり、それが次の政権での堺屋太一氏や竹中平蔵氏の入閣ですが、うまくいかずいったん下野しました。今の安倍内閣新自由主義ですが経済面では数字をごまかしたことがバレ、景気の下方修正を迫られ、限界が露呈しています。

 

私はヒュームの哲学が好きですが、好きだからこそ限界を知り、補うべきことに気付き、そして政治に助言したりもしました。ヒュームの哲学が何が良くて何が問題なのか? そろそろ本題に入りましょう。

 

簡単に言うと、皆さんを取り巻く様々な「因果律」、つまり「Aが原因でBという結果が導かれる」ものの多くは、実験科学以外は全て信用するに足りないこと、つまり「単純観念Aと単純観念Bとが連合した複合観念」に過ぎないとヒュームは看破し、だからこそ宗教のような「神が原因、悪魔が原因」といったものも複合観念の束に過ぎなくなるのです。これは、宗教に限らず伝統文化や企業の社風など様々な物事に適用されます。

 

ヒューム哲学を知れば、宗教が求めるおとなしい羊の群れの中の1匹におさまることもなく、近代人としての自立が進みます。ただ一方で、人間は1人だけで生きることはできないので誰かと連携しなければなりませんが、それでも歯車の1つではなく自立した者同士の連携が可能になります。現実には少ない事例かもしれませんが、それはヒューム哲学が広まっていないからでしょう。

 

かようにヒューム哲学は重要ではあれど広がりは持たないところがあります。また、新自由主義が冒頭の問題を解決できないようにどこか見直すべきものでもあります。

 

ではそれは何でしょうか?

 

ヒュームは、観念連合は類似、近接、因果の三法則で連合すると説きました。本人と肖像画、本人とキセル、煙と火のように。ここまでは広く知られている話です。

 

しかし、観念連合が成立すると、同時に、連合しなくなるものもあります。例えば煙の原因が火なので、他の火やドライアイスや他のタバコとは連合しません。言わば「観念が連合しない、分断」も同時にあるのです。

 

同じ理屈で、本人と肖像画の類似の連合と同時に、他の人とこの肖像画との分断、本人とキセルの近接の連合と同時に、他の人とこのキセルとの分断があります。これは極めて重要な事実ですが、今まで誰も気付いたり指摘していません。

 

観念連合とは逆の観念分断。類似、近接、因果とは逆の相違、遠隔、意外の分断。この哲学をヒュームを補う意味で「補ヒューム」と名付けることにします。

 

この補ヒュームで何が言えるのか? 例えばイギリスで始まった近代民主政治はより良い観念連合に導くために王制の独断より議会政治を重視しました。同じくイギリスで始まった市場経済も競争によってより良い観念連合を導くためのものです。しかし補ヒュームに気付くと、これらを全てとはせず、冒頭のような問題点を見つめ改めるきっかけにもなります。

 

以上、長くなりましたが、補ヒュームの重要性を認め、真剣に話し合い、新しい時代にふさわしい新しい哲学、価値観を進めたい方は是非こちらまでご連絡ください。

 

reigan3941@gmail.com