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(デカルト前編) 近代哲学の父は呪縛とも言われる

 哲学を学ぶ上で、自分が良い本と出会ったなぁと思えるオススメがこれである。f:id:reigan3941:20220126231101j:image

 大学時代の後輩も、これを読んで今では北海道で倫理の高校教師をやっており、わざわざ関西まで礼を言いに来たことがある。

 

 各哲学者ごとに簡潔に要点をまとめつつも、各章の間には系統図を設けているところが大きな特色だが、何より筆者にとっては序文のインパクトが大きかった。

 

 特に冒頭部分

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 「我々は未だに近代の呪縛から逃れ出ていない」?? 本当なのか??

 

 今でも「デカルト 呪縛」で検索するとサイトが幾つか出てくる。“精神と物質”、“二元論”、“主体と客体”。

 

 デカルトといえば「近代哲学の父」という呼称があり、17世紀フランスの彼が著した口語体による哲学書(※それまでは本といえばラテン語で書かれるものであり、一般人にはまったく読めなかった)で、初めて人類は長い中世(暗い中世、伝統、キリスト教プラトンアリストテレス)から脱して近代が始まったと。

 

 称賛すべき人物ではあっても、“呪縛”というマイナスな言い方で非難する謂れはないはずでは?と思ったものだった。

 

 実際、「方法序説」や「省察」を読んでも、好意を持つ箇所が多い。例えば、「書物の学問をまったく捨てて〜」の辺りは凄く共感する。

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 現地確認や直接の観察、そして思考。

 

 その思考では、何度も疑いを繰り返す。下記のくだりもその深さが伺い知れる。f:id:reigan3941:20220126233714j:image

 いやもう、そういうことにした方がラクなのではないか? 科学者の話を聞くと遥か未来には太陽が膨張して爆発するらしいが、その頃の自分たちの子孫はどうなってんだろうと悲観してしまうより、全ては上記のようになっているから過去も未来もない、今があるだけ!浮世だ!幻だ!と考えると特に心配しなくなる。デカルトありがとう!と?

 

 そして、いろいろ疑いまくった挙げ句、疑っている自分、主体、考えるコギト(自我)は疑い得ない、という結論に至り、有名な「我思う、ゆえに我あり(コギト エルゴ スム)」を哲学の第一原理とするのである。

 

 そこから理性が重んじられるようになり、伝統や宗教が上から目線で教える話よりも勝ることとなった。

 

 x線とy線を十字に結んだ座標上の図形が数式で表されると気付いたデカルト。素晴らしいではないか!

 

 そんなデカルトだからこそ、呪縛という呼称に不満を覚えるのだが、それでも心身二元論の問題を筆者なりに解決する道はすぐに見えた。

 

(後編に続く)