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(デカルト後編) 二元論解決を誤り危機を招いた現代

 1980年代のある哲学入門書では、序文にてデカルト哲学のことを“呪縛”と呼んだ。

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 なぜそんなマイナスな呼び方をするのか?と前編では疑問視した。

 

 答えは、他に導きたい所があるからだ。80年代当時は特に脱近代、脱ヨーロッパが叫ばれた。じゃあどこへ?

 

 同じくデカルトを呪縛と呼ぶこのサイトでは、西洋のカウンターパンチとして東洋、特に老荘哲学を位置づけている(緑線の部分)。

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 青い線の部分は、先日の記事でも紹介した、新自由主義老子無為自然を市場競争と強引に結び付けた発想と同じだ。もちろん老子は経済のことを想定して言ってはなく、新自由主義者が自分たちの格付けに利用しただけである。

 

 こうした東洋への安直な礼賛が、後々の西洋各国による中国支援から急激な経済膨張、そして現代の中国政府による悪名高い“一帯一路”、“香港併合”、更に“台湾侵攻計画”へとつながる。何せ「一つの中国」だから。デカルト式の切ったり分けたりができない。イチから深く考えて基礎や原理の研究を固められないまま、軍事や政治、経済、文化の上辺(うわべ)を取り繕う。

 

 ところで、上述の「哲学思想コーパス事典」にも東洋哲学が10人ほど西洋哲学の後に載っている。龍樹や富永仲基、シャンカラなど確かに優れた哲学者もいるが、もし近代哲学の父デカルトへの対抗策が大昔の老荘を使って反合理主義を説くだけなら、これは呪縛を解く鍵にはならない。逆に反デカルトが反知性となって現代の第三次世界大戦前夜を招いてきている。

 

 二元論の解決には、両者の関係にもっと接近した方がよい。例えば「サイバネティックス」で代表的な制御回路のモデルは非常に参考になる。


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 体温を一定に保つホメオスタシスや、エアコン、調速機、経済政策などはこの「プログラム」「制御装置」「制御対象」「環境」の4つから成る制御モデルで捉える。

 

 次に「思考回路のモデル」でデカルトの方法的懐疑を考えてみると、主体と客体との関係がよく分かる。プログラムが何度も練り直されるのだ。


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 それに加えて、プラグマティズム創始者、パースの哲学、「真理は道具のように使えるべき」を加えると、観念論から脱して実用的になる。

 

 今回はここで止めておく。もし二元論とこのモデルから誰かが何か閃くことがあれば、それに期待したい。

 

 筆者の場合はメインサイトの通り進み、完成後に上京して序文執筆者と会い、しばらく行動を共にし、ある学会を準備したり発表したりした。

 

 そういえば80年代も米ソ世界大戦前夜の状況であり、先日紹介した歌手のスティングはグラミー賞の中で大作「ラシアンズ」を歌い上げて平和を呼び掛けた。

 

 

 

   もう1人、ボブ・マーリイの方は今晩の「鎌倉殿」の挙兵に絡めて名曲「get up stand up」で使う予定。