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(麒麟がくる) 現代もいる「~の器にあらず」

  先日の大河ドラマ麒麟がくる」では、明智光秀について旧来の"親足利義昭"ではなく、斬新な"親足利義輝"という見方を披露した。

 

  剣豪塚原卜伝から教わった剣技で大勢の敵兵をたった1人で斬りまくった義輝の最期のシーンを、なぜ前回「義輝最後の夏」のエンディングではなく、今回「将軍の器」のオープニングに持ってきたのか? それは後半から登場する弟足利義昭の凡人ぶりを視聴者に際立たせようと対比のため兄の非凡さをまず印象づけたのだ。思いのほか余りに強すぎるので三好勢は障子を3枚はずして義輝を三方から押さえつけ、槍で突き刺してやっと仕止めた。制作側は言い伝え通り畳を使うと義輝が倒れた時に畳の下で無様になるので障子に変えて"儚さ"を演出したという。

 

  義輝は確かに殺されたが、この最後の大活躍で逆に世間には「さすが武士の棟梁」「やるじゃないか」と大いに見直させたに違いなく、それが多くの記録で証拠となっている。三好勢には裏目になったことだろう。そして主人公明智光秀足利義昭に近づく動機も、義輝に特別目をかけられたという大河オリジナルな演出でくっきりとよく分かるようになる。

 

  「武家社会の頂点である将軍がしっかりすると平和が訪れる」

→「強く格好いい足利義輝から特に目をかけられる美濃の明智光秀

→「義輝が殺され、朝倉義景細川藤孝らは弟というだけで6歳から僧となった(覚慶)足利義昭を担いで光秀に協力を迫った」

 

  戸惑いが消えない光秀の顔。義昭はあまりに義輝と違う。刀は使えないし、臆病で愚かさも感じる。義景から問われた光秀は「正直なところを申し上げると、その任にあらずと思います」と答える。将軍の器にあらずと。

 

  それでも協力を迫られ、次回から光秀は織田信長足利義昭の将軍擁立を頼るようになる。最初は乗り気だった信長だが、やがて義昭を京都から追放して自ら武士の頂点に立とうとするも、華美な安土城や裏切り者への残酷な処罰などを見るにつけ光秀の中に疑問が沸いてくる。松永久秀役に吉田剛太郎を演じさせ光秀と旧知という設定にするのもそのためだろう。

 

  いよいよ本能寺の変を起こすキッカケとは、未来の江戸幕府創設者、徳川家康安土城で接待して「この方こそ将軍の器」と直観し、暗殺好きな信長(この大河では家康の父広忠も信長の手による)から堺に宿泊中の家康一行を襲うよう指示を受けるも、「敵は本能寺にあり!」となるのだろう。

 

  もちろん本当のところは分からない。しかし数十年後、関東を拠点とした家康の前に現れた謎の高僧天海は、まるで家康とは旧知のように笑い合い、政治に参画する。そして美濃出身のお福が孫の竹千代の乳母になり、光秀の光からとったのか元服して三代将軍家光になる。天海=光秀説である。

 

  最後にもう一度タイトル「将軍の器」に戻るが、現代でも「その任にあらず」な人が職場の長となる例は多い。大して学も教養もなく、つまり原理原則も知らず、最新の知恵も借りず、優しさもない小人物が上に立てば、周りは阿諛追従(あゆついしょう)の徒、巧言令色なお世辞ばかりの人が揃い、実力ある優秀な人は遠ざけられる。ブログ前回の魏徴とは真逆な現象が起こる。

 

  そんな小人物な職場リーダーは日々の変事に正確な対応ができないため、以前とは異なる対応となっても誰も何も言わなければそのまま押し通して悪化を招いたり、誰かが声をあげればそちらだけ是正するのでバランスが崩れまた悪化する。そもそも「不良はケーキを均等に切れない」ので最初からアンバランスなのだが、時間の経過とともにケーキは原型をとどめなくなるくらいに崩れる。つまり退職者が続出する。

 

  こうしてブラック企業は常時求人を出すようになる。カネをつかえば人は確かに応募するが、あまい面接で今度は人が溢れ、限られたパイを奪い合うことになるので、ブラック研修やブラック社風で追い詰めて自らやめるようにする。その一例が最近の追手門大学のブラック研修である。

 

  グーグルでその原因を検索しても何も出てこないのはまだメカニズムが分からないからである。今それに関連するスライドを作っているが、1つは「その任にあらず」な小人物を担当責任者に据えたことによる本人や周囲の錯覚が関係していると思う。