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(麒麟) 信長と義昭とは「水と油」。光秀は?

 昨夜の「麒麟がくる」。

 

 あの時代の混沌とした状況をわかりやすく描いており、たとえ姉川の合戦で朝倉浅井連合軍を破っても、その隙に四国から三好勢が大坂に上陸し、そこへ本願寺が加わり、東からは再び朝倉と浅井、更に東から武田信玄、そして比叡山と次々に敵が増えてきた。

 

 将軍足利義昭についても当初は織田と共闘するはずだったが金ヶ崎への出兵に同行しなかったことを皮切りに暗雲が立ち込みはじめ、対三好で渋々同行すると「あの(威張っていた)信長がワシを頼ってきおったぞ!」、対朝倉を優先してUターンすると「あの信長が尻尾をまいて逃げおった!」と徐々に気持ちが反信長に回っていき、武田をはじめ各大名へ裏から手紙を送るようになった。

 

 こう見ると、この頃の明智光秀には特に目立った活躍はない。前回の金ケ崎撤退戦と、次回の比叡山焼き討ちでは名前が残っており、その功績から坂本城をもらい、家臣の中では最も早く城持ちになったと言われているが、まだ織田直属ではなく、正妻帰蝶の従妹の土岐氏の流れを組む名家で幕臣なのだから、異例なことではないと思う。

 

 そこで今回は前半に堺の今井宗久の所に秀吉と一緒に鉄砲二百挺買い付けるお遣いの話をねじ込み、タイトルも「反撃の二百挺」としたのだろう。

 

 いずれにせよ光秀は、信長の命じるままに東奔西走する存在に過ぎない。また美濃から妻子が京都の屋敷に住むようになり、堺の商人今井宗久や大和の松永久秀や筒井、幕臣の細川など知友も増えてきた。この光秀が来年2月にずれた最終回の頃には主君信長を裏切って本能寺の変を起こす。その流れの変化がどう描かれるのかが視聴する主目的である。

 

 ところで、以前私は一部の名作にはストーリーの流れに易の八卦のような、あるいは物質の三状態のようなものが順番に並んでいると気付いたことがあった。例は下に貼り付けるが、ざっくり言うと「天(気体)→風(冷却)→水(液体)→山(凝固)→地(固体)→雷(加熱)→火(溶解)→澤(蒸発)→天(気体)」の流れである。

 

 この法則に「麒麟がくる」を当てはめると、初期の「平和な世には麒麟がくる話」を十兵衛が知って理想を掲げる天、美濃の争乱で浪人になる風、義昭を信長に合わせ(て混ぜ)る水、しかし掻き混ぜても一緒にならないのが今回の状況になるだろう。

 

 やがて織田の各方面軍は諸大名を破り天下統一が近づいていくが、これを地とすると、武田滅亡直後の有名な信長が光秀の額を欄干に打ち付ける話が摩擦の雷に当たる。そして本能寺の火、山崎の川原で秀吉に敗れる澤、最後は小栗栖(おぐるす)で竹槍に突かれ天※に帰っていく。

 

※作中帰蝶が話したり今回も義昭との対話で出てくる「幼き頃木登りをして余りに高過ぎて降りられず泣き出した」思い出話は本能寺後の“三日天下”を暗示しているので最後に天が来ることは確かである。

 

  つまり、信長にとって義昭や旧来の諸大名とは水と油で混ざり合わず、破棄する対象でしかないが、光秀とはしっくりと混ざり合う仲で前半は進む。

 

  ただ後半、互いが固体になってからがっちりと組み合わず、無理すると火花が飛び散る関係になる。お互いに固いだけでなく、加工して組み合うこともせず、要するに冷静なままではいられず、加熱して固体を溶かすしかなくなっていくのである。