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スライドギャラリー本館1 悪い各から良い各へ変える

 どんな国の政府にも依拠しているたった1つの信条があり、例えば徳川幕府なら朱子学ソビエト連邦ならマルクス経済学、そして今のアメリカ共和党政権と日本の自民党政権はまだ新自由主義を信じて政治を行っている。

 

  新型コロナウィルスで緊急事態宣言を出していながら困窮する国民に対してケチケチしているのも、新自由主義が唱える「低福祉国家」(経済成長が先になければ福祉は無理)の建前が崩れるからだが、日本がとっくの昔に制度化した国民皆保険がないアメリカは医療費がバカ高いため、一般国民は治療にも行けず疾病が広がる結果になったという面では、新自由主義にはやはり重大な欠陥がある。

 

 ならばこれを問題視して他の考え方に換えるべきだが、それがなかなか出来ないのは何故だろうか? 竹中平蔵ははっきりと「新しい考え方なんてない」と言い切っていたが、これは「あってたまるか」「あったら潰す」という本音の裏返しである。

 

  スライドギャラリー本館1を公開するに当たってまず上記の話から書いたのは、私は1988年8月の時点ですでに新自由主義がどんな考え方かを教える哲学思想的な本を読んでおり、その根幹部分については理解しこれから1990年代以降も世界的に大きくなっていく予感はしつつ、たぶん問題の方も大きくなっていくだろうと思い、別の考え方を模索した面もあったからである。

 

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    その読んだ本とは、シカゴ学派ハイエクフリードマンの教えを学んで帰国した立命館大学西山千明氏が著した「第4の選択」(PHP)である。表題は、SF作品の「第3の選択」が宇宙で生活することになる内容だったので、地球で生活する最終方法として名付けたという。ちなみに「格差社会の真犯人」として悪名高い経済学者、竹中平蔵パソナ顧問もシカゴ帰りの1人で小泉政権に入ってきた。

 

   実はスライドギャラリー旧館9までを見た人には特に、この本を簡単に解説することができる。まず下の図をご覧頂きたい。

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 テニスでも料理でも何でも良いが、自分の得意分野の場合は系全体は安定している。しかし、自分の苦手な分野や苦痛を感じるブラックな仕事の場合は、系の下半分に対する上半分の接続に無理がある。悪い社風や校則の押し付け、過重労働、イジメ、等々の諸問題への対策は必要性があるにも関わらず改善が進んでいない。

 

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  この上半分と下半分の組み合わせを一言で言い表す言葉を長い間模索していたが、最近「各」で良いのではないか?と思えてきた。漢字の由来は図の通りで、確かに上の精神面と下の物質面とが組み合わさっている。「各自」「各人」「各々」と言う場合、上下の組み合わせの違いで分かれている。だから良い各を「良各」、悪い各を「悪各」とすることもできる。各という字を最後尾に持ってくる例は今まで無かったが、適切な各である適各を目指して悪各、つまり上記の悪い社風を問題視する契機にはなる。

 

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  そしてハイエクが登場する。彼は、マルクス経済学とケインズ経済学の2つをどちらも、「計画経済だから駄目」と廃した。なぜなら人間の頭で計画を立てても現実は計画通りにコトは運ばないからである。計画通りに運ばないはずの計画を掲げて経済を行おうとするソビエトは悪各といえ、同じくケインズ経済学を掲げてアメリカ経済を進める政権も悪各であり、良各にするには国家による規制を撤廃して民間活力を刺激するのが一番であると。上図でいえば、客我の段階から主我の段階に切り替えて積極的になれと薦めたのである。

 

  そこで1980年代よりアメリカのレーガン政権、イギリスのサッチャー政権、日本の中曽根政権では本格的に新自由主義を採用して「小さな政府」を目指した。日本では国鉄民営化が実現した。しかしアメリカでは大企業優遇のための法人税減税や軍需産業のための軍事費増大などにより有名な「双子の赤字(財政赤字貿易赤字)」を引き起こした。また、日本でもそうだが弱肉強食社会に切り替えて貧富の格差は拡大した。それでも多国籍企業への優遇がトリクルダウン(雫が垂れる)で下々の中小産業を潤すとして一時は世界中に新自由主義が広がった。しかし現在、問題が様々上がり見直しが求められている。竹中平蔵もテレビで「トリクルダウンなんてないない」と言っていたが、これは重大な発言である。

 

  真相は、上図の通りにただ客我を主我に切り替えて経済学が重要視する「アニマルスピリッツ」の状態になっただけでは何も良くならないのだ。ハイエクが言う「自生的秩序」はただの野良猫の間では成り立たず無秩序になるだけなのである。

 

 ではどうするべきか? 話を整理すると、

1、悪各(悪い物心の組み合わせ)の固定は何故起こるか?

2、悪各例での計画経済(マルクスケインズ)は確かに駄目だが、ただ主我に切り替えるだけの新自由主義も駄目。

 

 回答を述べると、

・1に対しては、下記スライドの「組織の法則」を参照。組織のトップと幹部、上官、成員の4者の系がガチガチに固定されて、悪い社風や方法を行う日常となることがよく分かる。

・2に対しては「可能性の法則(Eの法則)」を参照。一方で科学的因果関係を追及する系と、他方で現場で実際に取り組む系とが、体系観念の共有で科学的にも現場主義的にも解決に導く。また、より受け手の人々が求めるサービスに向けて投資するようになる。これで、適切な各(良各)を導くことができる。

・さらに次回予定の「循環型社会」を敷く。

 

 

 新自由主義では哲学者のヒュームの「観念連合の法則」を引用、依拠して「競争社会にすればより良い観念連合を導くことができる」(上記第4の選択にも掲載)と言うが、アイデアを生む人と受け取る人とをきちんと設定するだけで良い話である。(地方の各所は保守的でそんな人がいないから柔軟な若者は都市部へ去っていく) 
 ヒュームは述べ忘れているが、観念は連合もあれば分断もある。因果、近接、類似の連合とは逆の、意外、遠隔、相違の分断もある。ただ競争させればいいという話ではない。