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(岸田総理) 所得はホントに上がるのか??

 衆院選が終わり、岸田政権が高い支持を得た形で再スタートした。

 

 注目の政策は、やはり「令和の所得倍増(※文字通りの倍増ではないと訂正が入ったが・・)」である。平成初期から長年、日本の平均給与が上がらず、国際的に比較しても格段に上がる国もありながら日本は低いままで、今や内外から激しい批判を浴びている。

 

 スーパーや飲食店の求人の貼り紙には「時給950円」「夜1050円」、地方だとまだ「時給850円」などと貼ってあったりする。労働時間制限が厳しくなった中で、こんな額で生活しろといっても無理な話である。

 

 消費税が10%に上がって自販機の小さな缶コーヒーが130円もする。カップ麺も200円前後するが1個ではお腹が満たされない量。ポテトチップスは袋の大きさは変わらないが中身の量が減って空気の方が増えた。

 

 独身の賃貸暮らしがやっと生活できる程度の賃金レベルのため、海外からの出稼ぎ労働者も日本を避けてもっと稼げる国々を選ぶようになる。こんなに低い給料だから若者は結婚できず、少子化が進む。

 

 長い目で見れば悪循環そのものであり、このままではますます人口が減る一方だが、なぜ日本はこんな愚かな選択をして変えられないでいるのか?

 

 確かに賃金を上げない方が与える側からすれば助かる。純利益は上がって評価につながる。自分たち経営幹部だけの給料を上げるノビシロが増える。下の者とは大きな差をつけた方が上下関係がより明確になる。

 

 15年前にたまたま人材派遣会社の採用担当に異動で1年ほど務めていたことがあり、時給900円で朝9時から夕方5時までの7時間労働、つまり日に6300円しかもらえないのに、それでも募集を打てば人がまあまあ応募して来て、仕分けや梱包、検品など各作業場で派遣スタッフたちは真面目に働いていた。

 

 3年を越える前に賃上げか直採用の交渉に行くと、派遣法の説明を聞いた先方担当者の回答は「だったら新しい人に代えてください」(同じタイプの真面目な人に)。これが可哀想だと思うと契約書類の部署名を変えて、賃金を上げないまま引き続き使ってくれる所もあった。理想と現実、建前と本音、上級国民と下級国民。

 

 繰り返すが、こんなことをしていては若者は独身のままで日本の人口が減る。人口が減れば採用できず、経営が傾く。長い目で見れば決して良くないのに、低賃金を維持する。これこそ「世にも奇妙な日本」である。

 

 わざと人口を減らしていると語る陰謀論者もいるが、誰もに知恵と意志がそもそも無くなっており、少しぐらい給料を上げるには上げるが、大幅には上げられない事はもうどうしようもないという空気みたいなものに満たされている。

 

 ただし、貧乏人ばかりではない。有るところには有る。ゴルフの打ちっ放しには早朝も深夜も大勢の人が練習しているのを緑のネット越しに見かける。セダンとスポーツ車ジープと車を何台も所有している人や、ランチや買い物にタクシーを日に何回も湯水のごとく使う人もいる。夜飲み屋を手下たちと何店も渡り歩いて、奢る上にタクシーチケットまで渡す人もいるし、毎日同じ時間にサプリメントや化粧品、飲料水など1万円以上の代引きを配達させている人もいる。おカネが有り余っているのだろう。

 

 貧富の格差は開く一方で、これがトリクルダウン、つまり雫が落ちるように労働者が潤うのではなく、下は水分不足で飢え渇いたまま、上の間だけで水が回っている。下は百均や量販店を利用し、上はレジ待ちの列に長時間並ぶ忍耐を知らない。

 

 いつもより記事が長くなっているのはそれだけ憤っているからだが、易の64卦の中の賁(ひ)も、噬嗑(ぜいごう)、つまりよく噬(か)み嗑(あ)わせる次に位置して「至る」という意味で、必ずしも良いだけでなく、忄をつけると悲憤慷慨の憤となる。いろいろジカに見聞きし、お金持ちのお供で何回か海外に遊びに行ったこともあれば、超極貧のスラムのような長屋街の間の細道を通って木戸を叩くこともある中でいろいろ考えさせられ、賁の卦に至ってここに書いている。

 

 まずは根本的に、今の税金の額や月々の国民保険、年金の支払い等の設定と、所得額、諸生活費を計算し直すところから始めるべきである。ヤフコメ上に今のその設定が出鱈目、滅茶苦茶と表現して書き込むといつも多くの賛同が集まる通り、全く成り立っていない。

 

 これを成り立たせ、平均的な家庭が旅行に少しは行けたり、車検で困らない程度の設定に改めるべきである。それは消費税のような細かなものだけの話ではない。月に8万円も支払わせる国民保険と国民年金を合わせた額、年にして100万円近くなるが、これを50万円程度に落とす。

 

 あと所得税や住民税など各種税金も税率を下げる。財源は世界一と言われる議員給与の削減や議員定数の削減の着手はもちろん、会計検査院から指摘を受けた無駄な支出の多くを潰す。

 

 次に賃金については、近未来にスーパーの壁に貼ってある求人広告の額が例えば「1500円」となったり、バス運転手の給料が「35万円」だったのが「40万円」と変わるビジョンを明確に持った上で官民学でスタートする。

 

 官民だけでなく学を入れたことには理由がある。岸田政権の諮問機関「日本型新資本主義」のメンバー15人の多くが大手企業の社長や会長ばかりで、学者が1人しかいない、しかも契約理論というマクロ政策とはあまり関係ない人。これで日本型の新資本主義を掲げるとはあまりにもアカデミズムをバカにしている。

 

 サッチャー政権が採用して日本でも中曽根政権から菅政権まで続いた新自由主義を否定したいなら、創始者ハイエクのどこが間違っていてどう改めるべきか学問的に掘り下げなければ日本型新資本主義など掲げられないのではないか?

 

 私はハイエクが依拠した18世紀イギリスのヒューム哲学まで溯って新自由主義の誤りと代替案を論じてきた。詳細はメインサイト「状態の秘法」に譲るが、早い話、競争と保護という相反する2つを偏りなく重視しなければならない。道交法が安全と円滑を満たすように。イベントも安全と演出を満たさなければ事故が起きる。新自由主義は競争一辺倒、共産主義は保護一辺倒、どちらも間違っている。

 

 新しい学説を検討して採用し、その上で上記のビジョンを実現し、更に人口増加と環境保護を目指す、といったところで締め括る。