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(ウクライナ) 田岡俊次氏は朝鮮出兵と比較

 田中邦衛にそっくりな軍事ジャーナリスト、田岡俊次さんがウクライナ情勢について解説している動画があった。

 

 まだ生きてらっしゃったのか!?

 

 と、驚いて深夜にも関わらず全部視聴。

 


プーチン誤算の原因~ロシア権力者の失敗【田岡俊次の徹底解説】202203156 - YouTube

 

 戦争のたびにテレビに引っ張りだこだった昔と変わらない語り口で分かりやすかったが、その田岡さんをしてもプーチンの今回の決断が分からないという。

 

 敢えて例えるなら、晩年の豊臣秀吉朝鮮出兵ではないか? 何故そんな決断をしたのか分からない点では確かに同じ。

 

 日本の武将たちがほぼ全員同意して参戦したように、ロシア軍もプーチンに逆らうことなく(はっきり言え!と強制的に同意させられた高官の映像も見たが)ウクライナに侵攻した。

 

 そういえば徳川家康だけは関東の開拓が多忙との理由で海を渡らなかったが、賢明な判断で確かに次の天下人にふさわしい。

 

 以前ブログでは西南戦争にパターンが似ていると書いたことがあり、検索するとツイッターでも同様の内容を見つけた。


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 西郷軍が憎き明治政府がある東京に直接船で向かわず、近隣の熊本城を舐めて攻めかかったところが長期化し、やがて全国から官軍が集まり敗れる。

 

 似てなくもないが、そのとき熊本城には後の日露戦争勝利の立役者、児玉源太郎が若いながらも奮戦しており、ウクライナにもそんな人物が中心にいるかもしれない。

 

 一方でロシア側は好戦的な桐野利秋のような右腕としてパトルシェフが挙げられるが、プーチンそのものは迷える西郷よりは上述した通りボケた秀吉に近い。パーキンソン病を患っているという分析も聞く。

 

 ゆっくり解説という動画で朝鮮出兵がスペインの日本侵略対策とあったから、つい秀吉が賢いように思ってしまったところもある。

 

 確かに当時のスペインには侵略目的があったと思うが、動画で解説するような、東アジアの各所に防衛拠点を築くのは少し擁護し過ぎであり、現実には「どうしたんだプーチン?」と同じく「どうしたんだ秀吉?」という感覚が大勢だろう。

 

 いずれにせよ、最近は賢そうでそうでないものも多く、昔の名作や田岡さんなどの生き残りに会うと客観視できて気付いたりする。

 

 下記は今朝アップした有料ブログ。これもまだご存命の諸星大二郎氏の漫画からアプローチしてみた。

 

8匹の蛇を揃えて完成する境地とは|reigan|note

(鎌倉殿) 義時を高める鍵となる八重

 頼朝が鎌倉に入ってからの数年間、源平合戦ほど派手ではないからか、あまり取り扱われてこなかった空白期間を今回の「根拠なき自信」は詳細に描いていてなかなか面白かった。箇条書きにまとめると、

 

 ・源氏の兄弟が勢揃いする。

 ・京都から公家も来て作法を教える。

 ・佐竹など平家方を鎮めて坂東を固める。

 ・政子の妹と全成が結婚する。

 ・八重が義時と結ばれる。

 

 この5番目についてはウィキにも説の1つとしてある。

 

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 だから名君の誉れ高い3代執権・北条泰時の母親は八重ということになり、オープニングの名前に長澤まさみ(語り)、小栗旬(主人公)に続く3番目に新垣結衣の名前が出てくるのも納得できる。

 

 以前のブログで、ならば泰時の実の父親は源頼朝かもしれないと書いたが、ドラマではその可能性は否定しているようだ。さすがにそれでは将軍の後継問題が更に複雑化してしまう。

 

 2代将軍の頼家は性格の問題で孤立して北条家に殺され、弟の3代将軍実朝は僧になった頼家の息子公暁鶴岡八幡宮の階段で殺され、実朝に実子がないため源氏の系統は断たれ、4代将軍を京の藤原氏から迎えることになる。そんなゴタゴタを経ても泰時はブレることなく幕府を支えている。

 

 ただ、以前の大河では松山ケンイチ演じる平清盛の本当の父が白河法皇だという説を採用しており、その噂が清盛の天下取り、武士でありながら太政大臣就任にも関係していたと言われている。

 

 いずれにせよ八重は、今回の頼朝の差配で義時と結婚することになり、まだしばらくは大河に出てくるのは間違いない。

 

 それが結果的に義時の立場をますます高めるという訳だろう。

 

 PS. 義経へのディスり気味な演出(政子の膝枕、広常から小僧呼ばわり、義仲ばりな不作法、ヤケになって物を壊す)は本当に辟易する。どれも証拠がなく推測による演出だが、これでもかというぐらい菅田将暉は目を見張り声を張り上げて演じる。まさにタイトル通り制作側の“根拠なき自信”である。

 

 

 

(〜の自由) 独裁者には制限がない

 憲法の3本柱は「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」。

 

 基本的人権から「自由権」と「社会権」の2つに分かれる。

 

 自由権には言論の自由表現の自由、集会結社の自由などがあるが、「国家は国民に構うな」「自由にさせてくれ」、親子に例えると「親は子に構うな」であり、逆に社会権は「もっと構ってくれ」、教育や生活(健康で文化的な)に国家が構うよう求めたりする。

 

 ただし、「内心の自由」以外の自由権には全て「公共の福祉」という客観的制限がある。

 

 心の中で何を思おうと自由だが、言論や表現は公共的に良くないと自由をおさえなければならない。街なかの裸体彫刻にリアルな色を塗っては不快だし、映画館で上映中に大きな声で喋り合って言論の自由を過剰に行使すると、他の観客たちの見る自由を侵害するため係員が注意する。

 

 もし、内心の自由の向くままに言動を自由にする人がいれば、公共の福祉に照らして多くの人々がその自由に制限をかけようとする。

 

 いくら親が「娘のお気持ちが大事」と言っても、無職の怪しい男と結婚しようとすれば反対の声をあげたのが昨年秋の出来事である。

 

 そもそも一般人は、身分の高い家柄の相手と結婚することはいくら婚姻の自由があるからといってもいろいろ考えて躊躇するのが普通である。躊躇せず接近すること自体が普通でなく、身辺調査は当然行わなければならない。

 

 ではなぜ「お気持ち」が先走ってしまったのか?

 

 公共の福祉が分からなかったことが一つ。

 

 生まれながらに身分が高いのにきちんと帝王学を受けてこず、自由気ままに育てられた人なら「お気持ち」が優先する。

 

 たとえ祖父の喪中であっても、まだ大学に在学中で仕事をしていなくても結婚する。

 

 いわゆる独裁者もそう。心の向くままに振る舞い、周囲はひれ伏し、気に食わない者は消し、ルールがあっても無視する。

 

 もちろん、きちんと指示したり面倒を見てくれるリーダーがいると安心だから、国民は名君を待望するものだが、名君とて万能ではないから賢臣や諌臣を側近にして暴君にならないようにする。

 

 現状の日本、外国、企業はどうだろうか? 

 

 上記の話に同意する人はいるにはいるが、あまり多くない感じがするのは何故か考えたりする。

 

 言いたいことも言えないブラック企業に務めた経験があったり、心の中だけにしまってオモテの言動は公共ルールを守ったりする人には当たり前な話に聞こえると思う。

 

 ただ「権利の濫用(独裁)」には簡単に傾きやすいことも確か。憲法が触れている通り、国民は不断の努力を止めてはならない。

 

※世界情勢についてはメインサイトのブログに連載。本日ようやく更新した。

 


状態の秘法 – 可変モデルを使って状態の真実に迫る!

(プーチンと武道) なぜいつも裏をかくのか?

 もう40年近く昔の話だが、秋の中学スポーツ大会において、剣道は筆者の学校が体育館に他の4校を招いて実施する番だった。

 

 前日、準備のため皆で白テープを使い床にラインを引いたり、トーナメント表を壁に貼り付けたりしていると、自分の一回戦目の相手がなんと前回春の大会の優勝者であることが分かりびっくりした。

 

 明日は一回戦負け確定か?

 

 長身で小学生の頃から強く、市の大会で何度も優勝していたことで有名な猛者(もさ)だった。

 

 どうすればよい?

 

 夜もずっと考えた。剣道は本来先に2本とった方が勝ちだが、この大会の個人戦は2回戦目までは参加人数が多いため短時間で片付けようと1本勝負である・・・、ならば、

 

 “必勝の策”はこれしかない。

 

 試合当日、まず各々が防具を身に着け横に正座で並んで自分の番を待つ。名前を呼ばれて立ち上がった。左手に竹刀(しない)を持ち、真ん中の二本のラインまで進むと両手に持ち替え、互いに蹲踞(そんきょ)で向き合う。睨み合う両者。竹刀の先が微妙に触れ合う。まだ立ち上がらない。審判の声を待つ。

 

 「始めっ!!」

 

 ここで通常は両者が立ち上がるなり中段の構えをとって遠間に下がり、互いに掛け声をあげるものだが、

 

 その立ち上がる一瞬の隙を狙い、乾坤一擲(けんこんいってき)の小手打ちに賭けた。

 

 「こてーっ!」

 

 スパーン!

 

 「小手ありっ!」

 

 審判3人の旗が一斉に上がる。見事に決まった。

 

 前回優勝者は敢え無く一回戦で敗退。結局この日は決勝戦まで進み、自身初の2位となった。その後の快進撃と挫折はいずれ書くかもしれないが、この話をなぜ思い出したかというと、

 

 例のロシアのプーチン大統領(柔道が得意)がなぜ、誰もが「まさかやらないだろう」と思っていたクリミア併合やウクライナ侵攻をやるのか? その謎が不明なままだからだ。

 

 まさかやらないだろう、と誰もが思っている核のボタンすら押すかもしれない。

 

 そこで上記の思い出から推測すると、

 

 ロシアはもはや正攻法では西側に勝てない国に成り下がっていた。

 

 正攻法で勝てないなら、非正攻法でいくしかない。

 

 五輪でドーピングを使って国としての参加を認められなくなったこともそう。

 

 ヤクザ顔負けの脅しや暗殺を使って政敵を葬ることも容赦ない。

 

 そういえば前回記事の源義経も奇襲を得意としており、一ノ谷の合戦では「まさか背後から来ないだろう」と平家が油断していた崖の上から「鹿も四足(よつあし)、馬も四足」と駆け下りて撃破した。

 

 屋島の合戦でも「まさか悪天候の中で渡海なんてしないだろう」と平家が思っていた裏をかいた。

 

 つまり、裏をかかれる側は常に平家のように貴族化して油断しきり警戒を解いている。

 

 プーチン後進国ロシアの首領として、常に西側(NATO)が先進国に見えてしまうと同時に、貴族的だから「奇襲が通用する」と思い込んだ。ゼレンスキーも元コメディアンで武人ではない。

 

 そこで、まさかの裏をついてウクライナに侵攻。

 

 それが、上記のような一本勝負で終わるルールなら鮮やか?に侵攻したロシアの勝ちだが、

 

 今回はアテが外れた。

 

 “まさか”の裏をかいたはずなのに、簡単には屈さず、むしろ世界の多くの国々が敵を支援する始末。

 

 長期戦となると総合力が問われる。工業や農業、輸送等の兵站、知謀、大義名分の有無・・・、プーチンはますます窮地に追い込まれ、現在は暗殺やクーデターを恐れてモスクワにはいないという噂もある。山中の地下施設とか。

 

 そもそも奇襲の成功は一時的で、義経も兄頼朝と対立すると警戒が強くて裏をかけられず、奥州平泉で最期を迎えた。

 

 最後に、前々回記事関連。

 

 故橋本総理も剣道を得意とし、議員時代の初期の頃には毎年地元の市営体育館で開かれる剣道教室に参加していた。そこへ当時小さな小学生だった筆者が掛け声とともによく飛び込んでいったものでした、と添付の手紙に書くと、こんな展開になった。

 

対象療法を超える21世紀の“自浄”とは?|reigan #note https://note.com/newworld/n/nf3689fdab3ba

(鎌倉殿) とてもリアルな不協和音

 今回の義経はまあまあ良かった。

 

 「富士川の合戦」で水鳥を羽ばたかせたのは先陣の武田軍によるミスが定説だが、

 

 この大河では武田とはまったく関係ない誰かによるミスということにしたのも良い。

 

 その後の武田が勝利を過剰に自慢しなかったことからもあり得るし、おっちょこちょいの時政にしたのも許容範囲である。

 

 そして追い打ちを命じる頼朝に、坂東武者がこぞって反対して所領に引き上げるのもリアルだった。「兵糧がもたない」「佐竹の動きが気になる」

 

 まさに一生懸命ならぬ一所懸命。

 

 孤立した頼朝。

 

 思わず心情を義時に吐露したところへ、

 

 末弟と名乗る九郎義経が駆け付けた。

 

 頼朝の心の中の声が聞こえた。

 

 「ワシにも身内がいた!」

 

 今度は演技ではない本音からの抱擁。

 

 互いに強く抱きしめ合う。

 

 だから頼朝の代わりに若過ぎる義経が大将となって行ったのか。

 

 その流れがよく理解できる脚本。

 

 しかし脇で見ている義時の心は複雑だ。

 

 強力なライバル出現・・・。

 

 その視線に気付かぬ義経

 

 そこは天然かもしれない。

 

前回記事「対症療法を超える21世紀の“自浄”とは」

(記事紹介) 対症療法を超える21世紀の“自浄”とは

   先々月から企画してはいたものの、ある画像の扱いから当ブログへの公開を止めていた記事「対症療法を超える21世紀の“自浄”とは」に限り、別サイトへ載せることにした。価格設定は少し迷ったが、相場通り500円とした。

 

 現代ほど“自浄能力”が問われる時代はない。

 

 事故事件を再発防止するための対症療法も大事だが、もっと深いところから掘り下げて根本的なことを行う自浄も必要である。

 

 安易で浅い国や企業は、独裁者を長く居座らせて偽りの安定を得ようとする。だから汚職や腐敗がますます進む。

 

 そんな国に核のボタンを持たせてはならない。

 

 

 

 

 

 

(鎌倉殿の13人) 義経ってあんなんか?

 いくら義時が主役だからってそれはないだろう!と思った今回。

 

 源義経の描き方だ。

 

 奥州から弁慶や佐藤兄弟などの家来とともに真っ直ぐ鎌倉に向かったと思いきや、「富士の山に登ろうぞ!」と寄り道する。

 

 しかもその際、卑怯なやり方で猟師らしき男を至近距離で射抜く。

 

 なんという勝手、なんという横暴。

 

 対照的に兄の頼朝は徐々に人望を高める演出で3万の軍勢に膨れ上がった。

 

 確かにカリスマ性があるからこそ転換期の最終勝利者になったと思うが、義経とて天才的戦術家としてキーマンとなった男だ。粗略に扱っていい訳ない。

 

 現代でこそ“戦に強かっただけの男”やら“政治に疎い若僧”、“容姿も美男子ではなかった”等、散々な言われようだが、少し前までは美形の模範的武将という位置付けだった。

 

 しかも決して庶民的人気だけではない。

 

 戦国時代でも、戦国大名の代表的存在だった武田信玄がリスペクトしていた証拠もある。


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 風巻紘一著「武田信玄のリーダー学」(三笠書房)より

 

 この本が主に引用する「甲陽軍鑑」は信玄の側近である高坂弾正が著し、その信憑性の高さはNHK(確かヒストリア)も保証済みである。

 

 つまり勉強家の信玄は、源義経の戦術記録だけでなく、あまり着目されない和歌までも参考にして、自身の考え方に活かしている。

 

 「かけひきに 独りばかりをたのみなば ただ闇の夜の つぶてなるべし」

 

 おそらく、兄範頼とともに率いた平家追討の大軍も、今回のドラマのように寄せ集めで各将がいがみあっていただろう。その統率の難しさに義経はこんな和歌を読みつつも、なんとか進軍して各地を転戦し、そして勝利した。

 

 有名な一ノ谷や壇ノ浦だけではなく、水島(岡山)や屋島(四国)、あと義仲と戦った宇治もある。詳しくはこんな漫画で知った。

※設定には賛否あり


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 義経だけの話で15年、合計51巻(上22下29)にもなることに驚く。それだけ資料も多いようで、途中ネットで確認しながら読むと作者の思い入れの強さに感心する。

 

 信玄にリスペクトされるだけの男であることは間違いない。

 

 と、文句たれながら今後も大河を見続ける。