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(晴天) 外国人に勝った日本人あれこれ

 今回、印象に残った場面は第一国立銀行発足時に「筆算VS 算盤」の対決が行われたシーンだ。ググッたところ、これは事実だったらしい。


佐々木勇之助氏の出身 | デジタル版「実験論語処世談」 / 渋沢栄一 | 公益財団法人渋沢栄一記念財団

 

  ただ、筆者の算盤塾に通った経験を思い出すと、佐々木勇之助の弾く音はいささか遅いように思われた。算盤がデキる人はもっと電光石火の早業でパチパチパチッと弾くし、更なる達人は頭の中に算盤をイメージして暗算で瞬時に正答を弾き出す。

 

 かように日本人の中には超人と呼ぶべき人が実在しており、例えば米粒に「南無阿弥陀仏」とお経を書いたり、居合の町田先生のように銃弾を真っ二つに斬ったりもできる。ヒヨコの雌雄を即座に判別することも日本人ならではと聞いたことがある。

 

 振り返れば、日米和親条約締結のため黒船4隻を率いてきたペリーも、部下の海兵隊員を当時の大関力士と勝負させたことがあった。

 

>その後、船内にいる大力大兵の者が小柳に試しに相撲を取りたいと願い出て対戦。小柳は一人を脇へ掻き込み、一人を押し伏せ、一人差し上げた。艦隊員みな喝采を送った。

通詞(=通訳)の森山榮之助を通じて、『どうやってこんなに強くなったのか?』と質問あり、小柳は『日本のおいしいご飯(米)を食べ、うまい酒を飲んでいるからだよ』と答えたという」

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 ・・筆者が聞いた話では、ペリーはこの敗戦に立腹して公的な記録に残さなかったとか、日本恐るべしと警戒し、侮らなくなったらしい。

 

 もう1つ、時代は下って昭和の話だが、合気道の達人・塩田師範が当時のロバート・ケネディ(ケネディ大統領の弟)のボディガードをいとも簡単にねじ伏せた話も添えておく。