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(試論) 恐竜絶滅と現代の絶滅

 先日、国際会議で恐竜がマイクの前に立ち、人類に演説したニュース記事を見た。

 

 
「絶滅を選ぶな」COP26前に恐竜が国連に 地球温暖化防止訴える | COP26 | NHKニュース

 

 そこで考えているうちにふと思った。

 

 大昔に恐竜が絶滅したように、現代も何かが絶滅したような気がしてならない。

 

 それは何か?  

 

 学校の教科書で誰もが習った“おおもの”の学者たち。例えばソクラテスプラトンアリストテレスデカルトやカント、ヘーゲルなどの哲学者の系譜は、サルトルを最後に途絶えた。

 

 サルトルと同時代のレヴィ・ストロースから次のデリダまでの現代思想家を加えても、デリダを最後に途絶えた。もう“おおもの”の哲学者も思想家もいない。寂しい限りである。

 

 経済学者の場合も、教科書に載っているアダム・スミスから始まってリカードマルクスケインズ、そしてハイエクを最後に途絶えた。

 

 デリダハイエクも1990年代初頭に亡くなった。他の分野の学者、例えば心理学や社会学も、昔はフロイトマックス・ウェーバーなど華やかな“おおもの”がいたが、1990年代からは全くいなくなっている。

 

 つまり、“おおもの”は絶滅したのである。

 

 なぜ恐竜が絶滅したか? 隕石が落ちたからという説をよく聞くが、海のシーラカンスが生き残ってフタバスズキリュウがいなくなった理由の説明がつかず自分の中ではあまり納得していない。

 

 ただ、現代に自分のすぐ目の前で“おおもの”の学者が絶滅してしまったことを振り返ると、恐竜が絶滅後に1匹も復活しなかったことと同様に、“おおもの”の学者も、ケインズサルトルのような巨人はもう1人も出てこないことは確信している。

 

 地球の場合、恐竜絶滅後に哺乳類が広がった。サーベルタイガーやマンモスなどが現れ、やがてアウストラロピテクスから人類に進化し、現代に至っている。

 

 しかし、恐竜の方が魅力的で、マンモスより大きい種類もある。“おおもの”の学者もそうだ。

 

 芸術家もピカソを最後に“おおもの”は途絶えた。現代は“こもの”が多い。音楽家も“こもの”が多い。

 

 1990年代中頃にウィンドウズ95が登場し、ネットワーク社会が始まると、それまでメディアで放言していた“おおものモドキ”、例えば竹村健一上岡龍太郎も沈黙し始め、堺屋太一渡部昇一は亡くなり、西部邁多摩川に飛び込み、今や“こもの”ばかりになった。

 

 恐竜はなぜ絶滅したか? その答えは保留しておくが、“おおもの”はなぜ絶滅したか? 隕石のせいではない。ただ現れなくなったのである。   

 

 “こもの”たちの学界、芸術界、音楽界。政治も1990年代から“おおもの”が亡くなっていき、今や“こもの”ばかりになった。「今太閤」と呼ばれた田中角栄みたいの人ももういないし出てこない。王侯貴族も昭和天皇を最後に“おおもの”は途絶えた。平成天皇以降は“こもの”である。

 

 絶滅してしまったことは仕方ないし受け入れるしかない。待望しても無理だ。これからどうなるんだろう?

 

 カーラジオからは“こもの”の歌が流れる。現代芸術展も北斎ゴッホほど衝撃を与えない。衆院選各候補者のサイトを今日投票所に行く前に何度見直しても、当たり障りのない無難な記述に終始していて“こもの”ぶりが目立つ。

 

 最近は小室圭というどう見ても“こもの”な男を特にワイドショーや女性誌が挙(こぞ)って“おおもの”に見せようと躍起になっていたが、皇室の娘との入籍直後の不合格発表で無理な箔付けは剥がれ落ち(易の64卦の中にもそういえば剥があった)、来週からテレビや宮内庁がどう取り繕うのかイタさぶりが注目されている。

 

 “こもの”だけでは学問も芸術も政治も段階的な進化はしない。“おおもの”の役割はそこにある。

 

 世界のどこかに実は全く新しいタイプの“おおもの”が隠れていて、その“おおもの”同士が連携、連動していくと良くならないものも良くなると信じたいが、まだその兆しすら見えない。

 


7.西洋哲学史の総合