悪名高い新制度「教員免許更新制」が廃止されるらしい。
https://news.yahoo.co.jp/articles/804b5e8c936b44a19f7634c8aff682f284aefa6f
本来、問題ある教員をどうするかだけが重要なはずが、何故か再発防止のためにその他大勢の問題ない教員まで巻き込んで、民主党がこの制度をつくった。
すると、更新料3万円の自己負担(2回受けた人は6万円の負担)、受けても意味のない講習内容、受けていない元教員の失効、産休や育休で欠員が出たときの臨時の補充ができない、等のデメリットばかりか目立つようになり、文部科学省が廃止の方向で検討を始めたという。
実に愚かな制度だが、では何故こんなことになったのか?振り返ると、教育界に限らず民間企業でもたくさん見掛ける愚かさにつながってくる。
1つのミスや事故などの事案が起きた時、原因分析を真面目に行わず、ただ再発防止と称して全体の関係のない人たちを巻き込んで余計な新ルールを作って負担を増やす傾向があちこちにある。
現場の人たちは新しいルールができるたびに強制的に従わされ、守らないと怒られたり点数をつけられたり給料に直結したりして戦々恐々となる。
しかし、以前からあるルールも守らなければならず、どれも守っていると時間的にも効率的にも厳しくなり、結局どのルールを優先して守るか個々でルール破りが横行する。
つまり、現場知らずの上の人たちが簡単に新ルールを作っては"ええカッコしい"で一時的に自己満足し、やがてまた事案が起きると慌てて新ルールを作って現場の負担を増やす負の連鎖になっているのだ。
こんな無能な事態は現代だけでなく、法家思想にカブれた始皇帝の秦の時代からあり、次の漢の皇帝になる劉邦は簡素化して"法三章"を掲げた逸話もある。
イメージとしては、中世の騎士や武士が、弓矢を防ぐ、刀を防ぐ、槍を防ぐ、と次々に重い甲冑を身にまとっていき、更には馬にも金属製の馬具をまとわせて身動きがとれなくなった感じに似ている。
そんな全身の騎士たちで構成されたヨーロッパ連合に対して、遥か東方から西進してきた当時最強のモンゴル軍は、革製の鎧と小さな弓で身軽に馬を操り、ワールシュタットで撃破した。(ヨーロッパの近代化=合理化の始まりについてはプロテスタントの禁欲精神由来を唱えたウェーバーや理性を発見したデカルト、弁証法のヘーゲル、コペルニクスやルネサンスなど諸説あるが、この時の圧倒的な敗戦のショックと恐怖が一番大きいと思う)
日本の幕末、つまり明治維新直前でも似たような事例があり、例えば幕府軍に属する山陰の各藩の軍勢は重い甲冑に旧式の火縄銃を片膝ついて撃つ武士で構成されていたが、対する長州は大村益次郎指導のもと庶民たちが全員黒服に大きな陣傘を頭につけ、うつ伏せになって新式のゲベール銃を撃つ方法で圧勝した。
それらの話に基づけば、周りに人がいないのに運転中もマスクをつけたり、ジョギング時にもマスクをする現象も不思議に見えたりする。感染防止に必要な時だけマスクをして、適時外すようにする方法や習慣をとっている人の方が合理的なのだが、何故かそんな方向に向かわない。
更に困ったことに、それでも自分たちは賢い、頭がいいと思い込んでいる。
最近「コングvsゴジラ」という映画が公開されたが、実際のゴリラはあんなに狂暴ではなく、むしろ余計な争い事を避けておとなしくするという。頭が良いからいろいろと思いを巡らして心配になるかららしい。
すると、職場やグループラインで、好戦的にやたらカチンとくる言葉で訓示を垂れる上官や、長文を書き込む上司はゴリラほど頭が良くなく、逆に何も言わず聞くだけで余計な波風を立てない姿勢や「了解しました」としか書き込まない大勢の人たちの方がゴリラのように賢いということになる。
そして、この大勢の人たちの中にこそ希望が隠れており、もし本格的なビルドに向かったのなら、破壊と絶望しかない現代にようやく光がさすことになる。
この引用は前回記事にも書いた火坂雅志著「虎の城」の一節だが、こうして若き藤堂高虎は諸国を転々として、やがて豊臣秀長に仕えることになる。
百姓出身で兄が秀吉というだけの木下秀長に仕える武士なんてほとんどいない。出世を望むならもっと他にたくさんの武将がいたはずで、小一郎秀長に仕える高虎はよほど切羽詰まって他に選択肢がなかったのかと思う。
しかし、武芸しかない上司だと有能な部下をすぐ潰しにかかったりするところが、秀長は兵站や算勘、鉱山開発、築城技術など様々な能力に長け、若い高虎は様々なことを学び吸収する。そして働きを正当に評価して石高も地位も上がるので、ついに秀長の副将格となり、四国九州征伐で総大将となった秀長とともに秀吉の天下統一に貢献する。
秀長没後は家康が取り立て、参謀正信や天海、崇伝たちの中枢に外様ながら加わり、全国各地の城や東照宮の建築も任され、資金や人手に困ることなく名城をたくさん築いた。
少し話が脱線したが、今後の日本がもっとビルドに進むべき時に藤堂高虎や豊臣秀長、徳川家康やそのブレーンたちの話は非常に参考になる。
だから次は、同じ著者による「金地院崇伝」を読む予定。