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(麒麟) 現時点では最もよく考えた本能寺の変

  史上最も謎とされる謀叛のためいろいろな説があるが、主な説がどれも盛り込まれていた。

 

足利義昭黒幕説→ドラマではそこまでの実力なしとした。

正親町天皇黒幕説→互いに教養が深く交際はあったかもしれないが皇室は伝統的にあまり踏み込まないと見ている。

羽柴秀吉黒幕説→反転の早さから事前に知っていたと疑われて出てきた説だが、細川藤孝からのリークもなかなかあり得る。

・四国攻め原因説→近年の関連書類発見からドラマ冒頭で触れられたが確かに大きな原因にはなり得ない。

徳川家康関係説→共謀説や明智憲三郎が唱える説(畿内で家康討伐)等があるが、当時はまだまだそんなに大きな存在ではない。また陰謀や謀略が目立つのは老年になってからの家康のイメージである。

 

  結局このドラマが言いたかった本能寺の変は、「織田様と明智様との間には隙間風が吹いている」「謀叛を起こしても仕方ない」という“空気”が家臣の間にも京のあちこちでも存在しており、だから1万3千の軍勢がまとまって動き、乱の後に京の人々が避難することもなかったのである。

 

  「今までになかった本能寺」と出演者の何人かが言っていたが、私にはそんなに違和感を覚えない及第点をつけられる構成だった。染谷将太演じる織田信長の立ち回りには99点を与えたいほど迫力があった。

 

  残り1点は「敦盛の舞」を演じなかったからで、ちょうど享年49歳なので“人間50年”が特によく似合い、“滅せぬ者のあるべきか”と言って切腹すべきではあるが、そうすると主役を食ってしまうので控えたのだろう。

 

  そしてラスト。肝心の最後の決戦である秀吉との「山崎の合戦」は省かれた。この戦は一般にあまりに早く引き返した秀吉軍の登場に驚いて光秀が敗れたと言われているが、戦術的には西から来る大軍を京都から迎え撃つに当たってわざと大軍が山と川に挟まれて細くなるこの地を選んだ知的にも面白い要素があった。すると当然、どちらが先に天王山を押さえるかが勝敗の鍵を握り、光秀も秀吉&官兵衛もその重要性から先を争った。

 

  結局先に押さえた秀吉軍が山崎の合戦を制して、この故事から以後も“天王山”が使われるようになった。ドラマ最後の解説で触れてほしい話だった。

 

  敗れた光秀は京都と宇治の間にある小栗栖(おぐるす)で領民の竹槍に刺されて亡くなった。実際その地を訪ねたり、学校で絵画にしたこともあった。(※川中島の合戦や蒙古襲来絵巻も描いたことがあるし訪ねたこともある)

 

  山崎の合戦だけでなく小栗栖のシーンも省かれたのも、光秀を逆臣にはしたくないからと思われ、更に駒のセリフから当時確かにあった光秀生存説が飛び出し、生き延びていた本人が市場の中を素顔を晒して歩いていたり、馬に乗って駆けていくシーンで締め括られた。

 

  そこまで描くなら、いっそ山中で僧侶か修験者の格好で暮らし、何度も書いた通り天海となって再び世に現れ、徳川家康とともに江戸時代を切り拓くところまで描いてほしかった。

 

  家来のうち秀満は琵琶湖を渡って逃げた伝説があり、利三の血筋からは後に春日の局となるお福が家康から直接の指示で3代将軍予定の孫、竹千代(家光)の乳母となる。逆賊の家から何故という声もあったが光秀=天海説を知れば納得がいく。

 

  ただあまり冒険もできないから匂わせる程度にしたのだろう。

 

  光秀はあくまで補佐役に徹する忠臣であり、だから有名な愛宕山での歌、「時は今 雨がしたしる五月かな」も土岐氏の血筋である明智氏が天下を治めると解釈されるからドラマでは省いた。お御籤を引いたら2回大凶が出て3回目でやっと吉が出て本能寺に向かった話も計算高い光秀とは程遠いから省いた。

 

  伊呂波太夫に言った「ワシは必ず麒麟を連れてくる」が光秀最後のセリフだった。

 

  丸顔の染谷将太を信長役に選んだキャスティングも、確かな演技力だけでなく、最初の海の沖から小舟に乗って現れるシーンから朝日が出てくる瞬間を視聴者に植え付けるためだった。桶狭間で勝った後も太陽とともに描かれた。それがここ数回、「月」や「夜」「闇」といったキーワードが登場し、信長が太陽ではなくなった描き方に変わった。このままでは麒麟が来ない。

 

  まずは第六天魔王とも自称した信長を倒し、恐怖の闇夜を終わらせる。6月2日早朝の成功で夜から朝に変わった。そして明るい昼間の疾走。覇王信長への謀叛成功とは絶望ではなく希望だとしたいドラマだった。

 


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(既述)天海の冑の前立ては麒麟