草分け中

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両方を知る

  あまり自分の事を書くブログでないが、真逆のポジションのどちらも経験したことが、独特な見方や発想の源泉とも言えるし、共感を呼びにくくしてるとも言える。

 

  例えば幼児洗礼のクリスチャンの読書家なので聖書の知識や感覚は豊富だが、かといって剣道や日本史、お城、神社仏閣巡りも好きなので教会には馴染めなくなった。

 

  対立を止揚するのは哲学だと、前回記事にも書いたが一通り哲学史を修めてから進学して同好会の戸を叩いたら、そこは左翼の中でもヤバい中核派のアジトだった。

 

  昔は大学構内に過激派が潜んでいることは当たり前だったが、彼らは都内に連れ出してサングラスを掛けさせ、何かのデモに参加させた。安保反対だったと思うが、私は安保賛成なので結局最後は仲間はずれにされた。

 

  卒業後、職を転々とした中でお世話になった社長には、バリバリの右翼だった三島由紀夫の有名な楯の会の元メンバーがいた。結構可愛がってもらったが、周囲は私が生粋の右になり切れていないことを訝しみ、社長の引退とともに別れた。

 

  ちなみに仕事はブルーカラーもホワイトカラーも経験したし、転勤で関東と関西も経験した。派遣スタッフで監督の夫人に手際がいいと褒められたし、政府要人との仕事では霞ヶ関の女性リーダーに手際がいいと褒められた。議員に関しては与党系も野党系も関わった。

 

  国内旅行も海外旅行も広く行った。今の若者がそんなに旅しない人が多いのが残念に思う。そういえば若い頃は女性にたくさん裏切られて学んだが、結婚後は若者にたくさん裏切られた。目をかけてあげても、本人的には不満だったのだろう。

 

  どこからも等距離でいようとして、どこにも接近しなくなった。生活に必要な場合のみ妥協して接近するが、警戒は怠らなかった。本を読んでも作者が自分より若いとアラに気づく。ネットの投稿もそうだ。年上の公人とて、片一方しか経験していないと真逆の経験不足に気づく。

 

  最近は、岸田批判までは同意できても、そこから先が何も考えてない投稿者が多いことが残念だ。共産党? れいわ新選組立憲民主党? 参政党? 日本保守党? 野党共闘? 

 

  バラバラ過ぎて、自民党が自滅しても一緒に滅びそうだ。

 

  片方だけを絶対視せず、上下左右前後を見続ければ、異質な人材や新しい考え方とも組み合う方向に向かうはずだ。

10分で分かるドイツ観念論

  哲学は難しいと言われるが、ごく簡単にドイツ観念論を解説したい。

 

  まずカントは認識過程を全体的に見直して「物自体は分からない」と言った。 

 

 当たり前である。今だって我々は何も分かってないし、少しだけ分かった気になって生きているだけだ。

 

  次のフィヒテは、ベルリン大学の学長にもなった哲学者だが、このカントの関係を「自我と非我」とに単純に分けた。これだと「物自体は分からない」と言うセリフも見えてくる。

 

  最初匿名で発表したところ、人々はカントのものだと勘違いしたという。

 

  ちなみに後のヘーゲルフィヒテの墓の隣りに自分の墓をつくるよう望んだ。何故か? 後半で分かる。

 

  フィヒテの次に位置するシェリングは「同一哲学」を唱えた。絶対者、絶対的なものが二分されたままではという気持ちも分からないでもない。

 

  しかし、同一の仕方が強引だった。「直観」によるのである。

 

  そこを友人ヘーゲルは批判した。ヘーゲルを長年の家庭教師生活から大学の先生にしたシェリングだったが、自分の同一哲学を「全ての牛が黒くなる闇夜」と批判されては、心外だと訣別せざるを得ない。

 

  ヘーゲルによれば、直観ではなく概念による哲学が大事で、確かに著書を開けばたくさんの概念と概念、それらをつなげる線がある。ほとんど3つで1セット(例えば正ー反ー合のように)だが。

 

  とある温泉地でヘーゲルシェリングが鉢合わせした時に激しい罵り合いの喧嘩をしたという逸話もあり、かたや「ズドンとピストルで撃つような直観」と言うと、「概念の針金細工」と言い返したと言う。

 

  さて、ヘーゲルの初期著作である「精神現象学」序文には、植物が種から芽、茎が伸びて蕾から花、という例えが載っているが、歴史法則もそんな成長過程に重ねており、後のマルクス唯物史観もそうであれと重ねている。

 

  もう1つ、ヘーゲルの有名な言葉に「ミネルバの梟は暁の空に飛び立つ」がある。知恵は夜明けとともに現れると。

 

  今回特に強調したいことは、この時の夜とはシェリング哲学の夜のことなのである。

 

  正ー反ー合を繰り返しながら絶対者が顕現する近代。主観と客観の対立を止揚(アウフヘーベン)してより明るい未来をもたらす。

 

  そんな楽観的なヘーゲルベルリン大学の学長として生涯を閉じた、哲学者としては羨ましい人生である。

 

  確かに人類史は科学が広がって一見、合理的になったかに見えるが問題も多い。

 

  個々の悲喜こもごもの人生においてヘーゲルが見落としている部分を実存主義哲学は批判し、やがてサルトルの社会運動につながった。

 

  哲学は大事だ。

 

  ユダヤ教イスラエルのガザ侵攻のように敵認定すると限度なく徹底的に非人道的なことをする。まるで旧訳聖書にあるノアの洪水やソドムとゴモラの落雷による焼き討ちのように。

 

  キリスト教も、新訳聖書とは言うが処女マリアが懐妊したとか、死後3日後に復活したとか、神の化身がイエスとか、非論理的なことを信じさせようとする。信じる者は救われると。

 

  じゃあオラの御先祖様たちは救われねえのか?と論理的に攻めてザビエルをほとほと疲れさせたのが日本人。

 

  こんな頭のいい民族は他にいないと手紙に書いている。

 

  我々はもっと哲学をしていい。その一助となるべく今回まとめた。

 

  最近、故上岡龍太郎氏の「財政破綻論は嘘」なる動画が話題になっている。


https://x.com/PoppinCoco/status/1726766781602414906?t=qmBG7K_Z2ZOh5nUeyDgwLg&s=09

価値の高低について

11月に入ってもまだ暑い日が続く中、デーブ・スペクターが粋な投稿をした。

 


デーブ・スペクター on X: "これから秋葉原に冷房を買いに行きます" / X

 

  そう来るか! 

 

  うん?

 

  So coolか!

 

  返信すると、いいねはいつものヒロシさんだけ。敢えて邦訳(とても涼しい)はつけなかったが、そんなものか…

 

  やがて、英語のダジャレも得意な、これもいつもの甘口さんが高評価をつけた。


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  だから日本はダメなのだ。肩書きや知名度があればどんなに駄作な投稿でも評価がつき、どこの誰かわからない人は「上手い👍」とつくものでも1か2のみ。

 

  裏垢(学問垢)の交流もホンモノを見抜くせいか最近は少なくなった。


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  ここで引用した利休のエピソードは、説明しなくても分かる相手なので省いたがこういう事だ。

 

  あるとき利休が所蔵の茶器の数々を弟子たちの前に広げ、好きなものを1個ずつ持っていくよう言うと、最後に1個だけ真っ赤な湯呑が残った。その1個は本当に価値がないものなのか?

 

  その赤さから、利休は名前を「柿守」とつけた。当時、柿の実が成って収穫する際、来年もたくさん実りますようにと1個だけ枝に残して木を守らせる習慣があり、やがて熟すとよりいっそう赤くなるからだ。

 

  すると、最も価値が低いと思われたはずが、柿守という名がついた途端に最も価値が高い茶器に変わったという。ものの値打ちについて深く考えさせる話である。

 

  自説も現状誰からも見向きされない。

https://reigan3941.hatenadiary.com/entry/2023/10/14/012439

 

  しかし、何度読み返してもこれほど現代に重要な話はないのではないかとの思いは変わらないし、だからこそ私のところに来たのだと思う。

 

  やり方次第ではとも思う。

 

  最近、万博問題について批判者の多くが悪口を言うだけに終始してるので、あの泉元市長までそうだから、久々に投稿し「実際に中止した青島都知事は凄い」と皮肉った。

 

  青島都知事への思い入れの強さは上記前回記事参照。

 


善政党3公7民😊👍 on X: "@izumi_akashi 自らの知名度のみたった1人で知事選に立候補して、選挙スタッフゼロ、選挙カーも街頭演説もゼロで、ただ都市博中止だけをメディアで叫んで、当選確実視されていた自民側の石原信雄を破り、東京都知事となって公約を果たした青島幸男を思い出した。凄い男だった。 https://t.co/WwGYTXNNxo" / X

 

  やがて、30年前のこの出来事を引き合いにする投稿が増え、現実的な中止論議が高まるようになった。

 

 

  

 

共生を生む循環型社会とは

 何でもかんでも規制緩和と言いさえすれば通るようになったのはいつ頃からだろう?

 

 前回記事に登場したシカゴ学派の経済学者ハイエクの主張が、米英日の政府に採用されだした80年代からよく耳にするようになった。その前提には「規制は悪」、「緩和は善」という二分法があることは言うまでもない。

 

 ハイエク独特の人間観に「自生的秩序」がある。

 

 悪い規制を緩和しても、人は自生的に秩序をつくるから心配ないというものだ。そこから新自由主義につながる。

 

 一方、ケインズはもちろんそう見てなく、動画でも繰り返している通り「アニマル・スピリッツ」という言葉をよく使う。だから規制をかける。

 

 すでに結果は出ている。

 

 新自由主義は90年代後半にはタイを皮切りに世界中で貧富の格差を拡大させると問題視された。トリクルダウンという、大企業を潤せば雫が垂れるように下の人々も潤うとされた考えが実際には違ったのだ。

 

 問題視されたにも関わらず、それに代わる理論もないと言われる。

 

 私に言わせれば、あるけど無視されている。

 

 昨日、岸田総理が突如言い出した「サーキュラー・エコノミー」


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  ヨーロッパで流行しているから、「新しい資本主義」が進まない岸田が飛びついたと目されているが、実は日本でも前からあった。

 

 平成7年の東京都知事選挙青島幸男が当選して、公約通り世界都市博覧会を中止した後のことだ。ちなみにこの中止は今の大阪万博のムダ金食いも参考にするべきだ。

 

 従来の直線型経済を改めて、始点も終点もない循環型経済の特区を都市博予定地だった更地につくれば、資源枯渇や環境汚染等の問題解決につながると手紙を送ったところ、突如青島都知事「循環型社会」を提唱しだしたのだ。

 

 それを深夜ラジオで私は知った。しかし特に通知はなかった。

 

 以来「循環の青島」と言い出すようになり、都知事退任後も二科展へ「循環」と題する自作絵画を出品したりした。

 

 ただ当時のそれは資源リサイクルに限ったもので、循環というほどのものでもなかった。今のサーキュラー・エコノミーもあまり変わってない。

 

 そういえば特区という考え方も以後よく使われているが、ほとんど利権屋に利用されている。

 

 資源の循環に限らず、知財サービスも秩序を整えるサービスも全て回るようにすればフロンティアは無限化する。

 

  その理論的支柱となるものが本説である。

 

 まず、産業を「衣食住×衣食住」の9つに分ける。

 

 

 住の割合が高い産業ほど公営に近く、例えばインフラや医療、防衛などだが、新自由主義者はサービスを十把一絡げにくくるのでそんな分類を行わず、安易に何でも民営化して失敗する。

 

 普通の庶民感覚で考えても、水道の民営化なんかやれば料金高騰や安全面の手抜き、外資の参入などデメリットばかりなのだが、自民も維新も新自由主義以外の方法を知らない。

 

 逆に公営すべきでない方が衣のモードやグルメ、インテリアで、これらを公営にすれば共産主義化して地味な国柄となる。新自由主義は反共で凝り固まってるが、衣食住の区分を使えばもっと賢くやりくりできるのにと思う。

 

 食については、災害時や貿易問題など絡めて半民半公が望ましいが、自給率は高くしておくべきである。

 

 最後に、これら9つの業界が生み出す「真理、利益、秩序」が大事なことを橋本首相に提言したら、これもパクられて「文化、富、国家、福祉の4本柱の省庁再編」を突如唱えられた。

 

 今も昔も省庁は増えるだけだが、橋龍の時だけ珍しく統廃合ができて、文部科学省経済産業省国土交通省厚生労働省など1府12省庁になった。(詳しくは有料記事)

 

 それに嫉妬して小泉純一郎特殊法人の整理統合や、今の岸田首相も4本柱など言ったりするが、元々の新哲学がないため大して変わってない。

 

 過去記事の「革命期の5大英雄論」で言えば、岸田首相は時期的に3番目の創造型に該当するので、「新しい資本主義」や「サーキュラー・エコノミー」など躍起になってるが、無理である。

 

 5番目の完成型のヒントは8月に出てきた。その人物が日本の初代大統領になる。

 

 福島の海洋放水を止め、3公7民まで減税を実施し、国民にゆとりが出来るため少子化が反転する。

 

 経済は上記の通り真のサーキュラー・エコノミーで回復する。始点も終点もなく、送点と受点で成り立つため民間に適切にお金が回る。

 

 旧来の6公4民の悪政では巻き上げたカネを国の勝手な裁量で庶民が泣きを見るだけだが、こちらは国の裁量は少なく(大統領が財務省を押さえつけている)、民間の中で、例えば大工場の休日や休眠中の土地を他の民間に使わせたりも出来、その成果の知財を他の文化産業が受け、回り回って当の工場も恩恵を受ける。

 

 規制緩和は弱肉強食を生み出すだけだが、この送受循環は共生を生み出す。

 

  反自公連合の勢力こそ是非受け入れて、単なる暴動に留まらない政権交代を果たしてほしい。

 

 

 

 

 

民営化不可の線引き法

 少子化のせいか外資のせいか、それとも愚かな首長のせいか、水道民営化の弊害をよく聞く。

 

 やれ水道代が高くなった、安全性が疎かになった、延ばすべき水道管を過疎地ではつくらなくなったと。過疎地では線路や病院もなくなっていってるが。

 

 筆者も先々(だいぶ先だが)別荘を建てる予定だった田舎が、水を配給することにしたという話を耳にし、風呂やトイレをどうしようかと困ってる😖

 

 民営化すれば「バラ色の未来が広がる」とは郵政民営化でお馴染みの小泉純一郎の決まり文句だったが、安くもならないし、不便になるし、競争にさらされて一部を外資に乗っ取られたりと散々である。

 

 最近、そもそも民営化してはならない分野というものがあって、それらを訳も分からず民営化したのではないか?という声が増えてきた。

 

 この疑問に既存の経済学は答えられていないと思う。サービスを十把一絡げに扱ってカネに対応させているからだ。

 

  経済学といえば、ケインズ経済学と新自由主義経済学(ハイエク)が二大流派と言えるが、2人の論戦をラップ調に変えた動画が2つある。

 

 

 実際の論戦はケインズが勝ったものの、敗れたハイエクは渡米してシカゴ学派を率い、80年代の英米日政府に採用されて逆襲に成功した(日本では国鉄民営化)。

 しかし、今や新自由主義は世界中で失敗が明らかとなり、一部の多国籍大企業のみを潤すだけと言われている。

 

  冒頭の国営サービス民営化に伴う乗っ取りもその一例だが、地域に合わなかったり、地域の舌に合わなかったり、地元の雇用につながらなかったり、まるで外来種が在来種を脅かす形で散々である。

 

 問題は、これらに代わる経済学の有無である。ケインズ経済学が今も有効と叫ぶ声もあるが、時代は大きく変わっており、戦前とは状況が異なる。

 

  だから岸田現首相も就任当初から「新しい資本主義」と唱えているが、元々何も考えてなかったので、識者を集めて会合してはいるものの、2年経っても一向に中身が煮詰まっていない🤣

 

 まず冒頭の疑問に戻ると、こんな呟きがある。

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  だから私は「衣食住×衣食住」による9つの業界分類に基づく新しい考え方を提示した。基本的に住に関するサービスの民営化には慎重になるべきと分かる。

 
 では衣のサービスを公営にしてはならないのか? ファッションやグルメ、インテリアなどを公営にすれば共産主義国家のような地味で不自由な状況になることは間違いない。
 
 食の縦軸については半官半民でコントロールし、住の縦軸は全面的に公営とはいかないまでも、外資参入による混乱は極力禁止したいものである。
 
 さて、最後の問題はこれをどう循環させるかである。前出のツィ主も循環に言及している。

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  これを具体的に考えている呟きを紹介したい。

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  世に埋もれている新しい才能を見出して、次代の政治に取り込む流れは歴史上よく見受けられ、パターンと言える。
 
  先月から今月にかけての大河「どうする家康」にも江戸の町づくりで伊奈忠次、鉱山開発で大久保長安、法令づくりで金地院崇伝と、次々登場する。
 
  現代では前回記事の新大統領がその役割を担うことになる。
 
  最後に、うまく循環したら当然ながら国の裁量する割合は縮小する。つまり税金は少なくて済む。
 
  今の5公5民というおかしな税率を改め、3公7民で人々は娯楽や貯金ができる余裕が生まれる。深刻な少子化が初めて良くなる。
 
  まだまだ言いたい事はあるが今日はここまで🙇‍♂️
 

日本の夜明けが見えてきた!?

  前回は日本が瀕死状態と書いた。実際そんな感じであり、中国が日本の海洋汚染に怒って全面禁輸措置をとると、総理の岸田は想定外だと慌てふためいている。

 

  解決策がないまま、中国と貿易していた企業は倒産しかないのかと半ば諦め顔、まさに馬鹿な大将は敵より怖いを体現する自民党

 

  しかし、この狂気の日中対立の本質に気付けば、実は意外に夜明けが近いかもしれない?

 

 狂気の日中対立、と聞いて思い浮かぶ過去の事例には、まず豊臣秀吉の「朝鮮出兵」がある。日本中の大名が秀吉の命令に逆らえず、軍勢が渡海して無駄な3年間を過ごした。

 

  秀吉没後、秀頼を頼むと跡を託された徳川家康が真っ先に行ったことは出兵中の軍勢を全軍帰国させることだった。

 

  明治に入ると、維新の功労者である西郷隆盛が「征韓論」を唱えて再び狂気の渡海を行おうとしたが、欧米視察から帰国した大久保利通が今はそんな事するべきではないと反対して止めた。

 

  昭和に入ると、ご存知の通り軍部が暴走して満州事変を引き起こし、日中戦争となったが 連合軍に敗れて東京裁判で当事者は裁かれた。戦時中ささやかながらも抵抗していた吉田茂鳩山一郎などの政治家が戦後に活躍した。

 

  こう見てくると、ある公式が見えてくる。

 

  日本史は、時々東アジアに狂気の対立を仕掛けるものの、失敗し、その後に反対派だった人がおさめて落ち着く。

 

  徳川家康大久保利通吉田茂…、皆それなりに大物である。鳩山一郎もそうだが、長期政権の創始者となる人もいる。

 

  もっと前には、天智天皇白村江の戦いで渡海して敗れ、やがて天武天皇壬申の乱に勝って落ち着いたものだった。

 

  今回の日中対立も狂気の真っ只中にあり、マスコミも全社屈服、処理水を汚染水と言った農水大臣は直ちに陳謝撤回する有り様。

 

  この狂気がいつまで続くのか、中国は戦争も辞さない構えだが、国内経済も下降気味で、最近は単独覇権路線を諦めてBRICS参加の協調路線に切り替えている。

 

  「歴史は繰り返す」話はなかなか受け入れ難いところがあり、まだ誰も上記の真実に気付いていない。

 

  しかし断言したい。放水を中止し、この狂気の時代を終わらせる人物こそ、家康や利通らに並ぶ大政治家である。

 

  日本初の大統領となる。