元記事は忘れたが、確か大正時代のある共産党員が、「渋沢栄一という資本家だけは悪く言えねえ」と言った話を思い出した。先程も探したがすぐには出て来ない。
利を追い求めるだけの経済人で終わらず、反対の声が多くても養育院の継続にこだわる栄一。
現代もそうだが、金メダリストや賞金女王など、ニーチェが言うところの「超人」ばかりを優先する傾向を栄一はどこか嫌っている節がある。確か剣術もそんなに強くなかった。
競争の敗者とて「おかしれえヤツ」と見込んで、決して見捨てず使っていれば自分のように化ける人が出て来る、そう思っていたのではなかろうか?
私も同意する。
逆の主張は皆が大嫌いな竹中平蔵(競争の敗者を保護するな)や橋下徹(役所も民間を見習って競争しろ)、菅義偉(自助、マキャベリ、競争の敗者には生活保護がある)等だろう。
競争の勝者はほんの一握りしかなく、あとは大勢の敗者たち。そんな彼らとて国民であり、生活させ、結婚して子供ができなければ少子化は改善しない。
だからこんなスライドを作った。鍵となる繁忙期要員の頑張りが国富を押し上げる。
あと、チラと出て来たが伊藤博文の大日本帝国憲法に関するエピソード。神奈川県内の別荘や旅館で、井上など仲間たちと密かに草稿を書いていく様子を子供の頃に漫画で読んだことがあり、結構印象に残っている(wikipediaにもあり)。
いま新憲法の議論が聞こえてくるが、本物はもっと“絵”になるものである。