草分け中

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「桶狭間」から始まり「大坂の陣」で終わるストーリー

 今日の「真田丸」。

 

 家康は片桐且元を陣に招いた。豊臣を追放されてしまった決して有能とは言えないこの男を徳川家中の誰が相手にするのか。家康だけは利用価値を知っていた。

 

 今回は大坂城の兵糧の件をうまくおだてて聞き出したが、後々さらに冬の陣を決着づけることがこの男の口から飛び出す。家康はただ“勝つため”に利用できるものは何でも利用する戦国時代の生き残りである。

 

 一方、大坂城では籠城に決まりかけた軍議を幸村が反対する。桶狭間の合戦の話が出たが、清州城での軍議の時27歳の信長は敵の間者を警戒して打って出る策は決して言わずトボケ続け、今川軍が桶狭間で休息したとの情報を得てすかさず寝所を飛び出したものだった。

 

 夏の陣では、後藤又兵衛が奈良から来る徳川軍を隘路で撃とうと桶狭間のように城を飛び出したが情報が筒抜けだったため討ち死にした。結局、信長ほどのウツワではないことが露呈した。

 

 今日の話では、淀が幸村の策を潰して籠城策にひっくり返した。その理由は「浪人たちが信用ならず裏切るかもしれないため城に留めて戦う」というものだった。淀が秀頼を相手に発した言葉で史実かどうか分からず、三谷氏の解釈と思われる。これはこれで分からないでもない。

 

 しかし、自分の母の兄である信長を尊敬する淀にとって、幸村が軍議の場で積極策を口に出したことは、城内に潜むスパイから徳川方に漏れてしまい意外性がなくなってしまう。つまり桶狭間のように成功しないから反対したと思われる。

 

 籠城して家康を引き寄せ、慣れている大坂の地でどんな手を使っても勝つ。これも良策である。武田信玄も遠征中に狙撃された説がある。

 

 家康もその危険は承知で大坂に進軍する。自分が出て来ず息子秀忠を中心とした若い世代の軍に任せていれば、上田城で秀忠が真田に負けた悪夢を繰り返す。

 

 家康自身が、かつての最初の主君、今川義元のように天下を狙って大軍を進め、義元のような失敗をしないよう、慎重に大坂城を包囲する。