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今年から来年にかけて変化は大きくなる

本ブログでよく読まれている記事「2017年(丁酉)のキーワードは“やっぱり”か」だが、1月現在では特にはずれていないように思われる。

 

http://reigan3941.hatenadiary.com/entry/2016/08/31/235205

 

>株式相場の話題で重視する人もいる十干だが、バカにはできないなと思い、このブログでは時々気が付いたことを書き留めている。

 

 同じ2001年の中に911テロと明石花火と池田小と歌舞伎町火災が入るように、1年の中に共通した特色があったりする。そして今年2016年について十干では「丙申(ひのえさる)」といい、はっきり「露見」とある。まさしく、今まで見えなかった隠されていたものが露見する年であり、その兆候が現れ出した2015年9月頃から、福山雅治の結婚、SMAPの解散、ベッキーの不倫、ショーンkの詐称、文春砲、イギリスのEU離脱などがあった。

 

 それでは来年2017年「丁酉(ひのととり)」はどうなるか?

 

    調べたところ、こまかな気配りなど書いてあったが、今ひとつ分かりにくい。そんな中、高畑裕太の群馬での事案があった。これは露見なのか。違う。その異常な性向は以前から知られていた。広く知られていた延長線上に事件が起こった。

 

 もう1つ見ると、有吉弘行夏目三久の交際も知っている人は多かった。だから文春砲のような露見ではない。日刊スポーツのスクープを大手芸能事務所社長が潰したところに特色がある。

 

 ようするに、広く知られている先に起こるところに丁酉の年の特色があるのではないだろうか。これは露見とは言えない。「やっぱり」という感じだ。

 

 対策を打つとしたら、放置せず早めに、小さいうちに対応することである。

 

 予言してみるなら例えば、

 ・安倍総理の後任はいなさそうに誰もが思う中、「やっぱり」いない。

 ・トランプ候補が危なっかしいと思われる中、「やっぱり」不安定。

 ・小池都知事が苦労しそうに見える中、「やっぱり」苦労する。

 ・東アジア経済に勢いがない中、「やっぱり」衰退する。

 ・芸能界では、覚醒剤の噂がある大物が「やっぱり」逮捕される。

 ・不仲で知られる芸能人夫婦が「やっぱり」離婚する。

 ・長期続いた人気者の後任が「やっぱり」短期で終わる。

 

 

  最後にウィキペディアで1957年と1897年の出来事を見てみた。露見よりはやっぱりという事案が多いように思われた。

 

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  さて、上記の記事を書いた8月末は、1年の特徴が前年の9月から現れると思っていた。2016年の「露見」は2015年9月の福山雅治婚約発表から始まったと言える。で、今年2017年の「やっぱり」は、すでに目新しさがない現象が多くなる。トランプ大統領や小池知事等もやっぱりなのだ。

 

 ではそれがずっと続くのか。今月1月時点では確かに上記の予言通り過ぎている。このまま「やっぱり」が続くのか?

 

 十干十二支では来年は「戊戌」(つちのえいぬ)になるため変化はある。いったいどんな変化か? 実は「戊戌(ぼじゅつ)の政変」という大きな中国の事件がウィキペディアに載っている。詳細は省くが、これで推測すると次のように解釈される。

 

 昨年が文春砲で驚いてばかりの「露見」で、今年がもはや目新しさに驚かず慣れてしまった「やっぱり」なら、来年に向けて次第に政変のような大きな波やうねりが起こるも驚かなくなる年になるのではないか?

 

 戦時中の日本は薪で車を走らせたり頭巾を被って防空壕に入る光景だったが、誰もこれを普通に受け入れていた。現代も、かつては考えられなかった生活の大変化を受け入れているところがある。

 

 そんな大変化が本格的に動くのは先述した通り9月あたりだろう。それまでの8ヶ月間、やっぱりなあというセリフを吐きながらニュースを見続け、やがて見慣れてくると、大変化に対応する1年になっていく。

 

 

時間短縮のため法で無駄な業務を規制せよ

 残業時間80時間が議論されている。

 

 賛同するコメントが多いが、実際問題、簡単ではない。なぜか ? 現状のやるべき仕事をそのままにして何ら変えず、社員の工夫の良し悪ししか問わないからだ。

 

 本当は、上層部の指示の方に工夫がない。

 

 どういう訳か時間のかかることを求めたがる。社員が通常やるべき業務よりも優先して臨時の無意味な時間のかかる指示に没頭する様子をただ見たいだけなのかもしれない。そのくせ残業を許さないとはおかしな話だ。

 

 新しい時代にふさわしく、新しい役所を設けて監視させる手もあるのではないか。例えば、1枚10分で済むはずの書類に、どんな名目であれ3倍以上の時間がかかる内容の追加を行えばアウトになる。他にも、あちらを立てればこちらが立たずというものは多いが、労働時間を最優先するというなら、削るべき無駄な業務は多いはずだし、公的な制度や義務も見直さなければならない。

 

 この問題にからむ法律の専門家も必要になる。

 

 

 

 

マスメディアの危険なミスリード

 平和ボケは死につながる。

 

 通常の人なら防火防犯ぐらいの手は打っている。外出前のガス栓、戸締まり、ポット、電気カーペット。「自分に限って大丈夫」「今年は運勢がいい」などの根拠の薄い自信はかえって危険だ。

 

 何を当たり前なことをの話だが、これが国防になると基地反対や戦争反対、軍国主義などとなって、武装することを拒否する論調が出て来る。世の中全て良い人や良い国ばかりではない。隙(すき)があると盗む人や、見られてないと放火したり、相手国の政府が弱腰だと領土を広げる国もある。

 

 それが現実であって、しっかりと管理し武装し監視してこそ信用され、互いに組む展開にもなる。

 

 はっきり言って、日本の国防レベルの武装をも反対する勢力の裏には必ず敵国の介入があるはずだ。

 

 マスメディアの中では朝日新聞系列をはじめ、毎日、ゲンダイ等の論調が基本的にこうである。

 

 誰も戦争に賛成している訳ではない。ただ、戦争することの怖さより、何も武装しない状態の方がはるかに怖い。

 

 朝日新聞はそれを理解したなら論調を変えるべきである。

 

 

 

 

アメリカのTPP離脱は正解

 トランプ大統領がTPP離脱を発表した。

 

 ニュースのコメント欄を見ると「仕事早いなー」と感心したり、「日本はアメリカに無理やり参加させられてハシゴを外されアホみたい」という書き込みもあった。

 

 太平洋の12ヶ国が参加するTPPはあとアメリカ1国が批准したところでスタートするはずだったが完全に止まった。日本は引き続き働き掛けると言っているがやめた方がいい。

 

 TPPの本質に関する次の異説に気づけば明らかだ。

 

 まず、歴史上の前例に目を向ければ、それが広範囲の国々との無理やりな融合政策の一種であることが分かる。例えばアレキサンダー大王のヘレニズム。ギリシャペルシャとの無理やりな融合で、自らも国際結婚し、兵士たちにも大量にすすめた。

 

 彫刻も融合、文化も言葉も融合。しかし、本来の文明や文化は、その地に根ざして出来上がったもので、上からの無理やりな融合は地に足のついてない、現実性の低いものになり生活者が困ってしまう結果を招く。そしてアレキサンダー帝国は大王没後すぐに瓦解した。

 

 日本でも甲斐の武田信玄が隣国信濃の有力氏族、諏訪氏と無理矢理な婚姻を行い、その息子勝頼を後継にして部下たちの反発を招いた。そして早期に滅んだ。

 

 オバマも太平洋の真ん中の出生で、白人と黒人、アフリカをはじめ複数の血の混血だった。こうした背景からTPPが出てきたのであり、あまり前面に出過ぎてそこを突かれたくないからか、本人は後方に引っ込んでいたものの、オバマならではの政策なのだ。

 

 アレキサンダー、信玄、オバマに共通する点は多い。軍事的上位にある、先代が好戦的なことの反発からの平和的融合策。

 

 しかし、現実無視の無理矢理な融合による摩擦でアレキサンダーや信玄没後すぐに滅んだため、TPPもそうなるか、もしくは結ばれないだろうとは、以前何度も書いた。

 

 ただ誰もこの異説を認めず、反対派は多国籍企業の陰謀を唱え、推進派は多国籍企業に逆らうなと低姿勢になり、菅直人や当時の役人は「平成の開国」と参加を決定、安倍も対中国への牽制になるからか突き進もうとした。

 

 関税撤廃だけでなく、全産業分野の法律全般に渡って参加国一律のルールができ、勝手に撤廃もできない条項など、TPPは国そのものが意味をなさなくなるシロモノだった。

 

 長い髪の経済学者がよく国境はなくなると得意げに言うが、市場原理を信じ過ぎの阿呆である。不安定になり、不正や犯罪や戦争のリスクも高まる。何より、その地域独特の諸事情をよく分かっている側による運営のため国があるのだ。

 

 地理、天候、体質、伝統、資源…

 

 はじめに戻るが、トランプ大統領はそうした観点からもTPPに反対し、国内を優先したと考えられる。

 

嫌韓もゲスアレルギー

 前回の続きだが、プロのミュージシャンよりも素人のカラオケ上位者の人気が上がった現象の背景に、昨年来のゲスアレルギーがあると思う。

 

 単なるベッキーとの不倫だけでなく、世間をあざ笑うかのごとく音楽活動を続けた厚顔がバンド名と相まってゲスというもの全般へのアレルギーを引き起こした。

 

 もちろんバックナンバーのように現代に受け入れられているプロミュージシャンもいるが、それでも言動には細心の注意を払い謙虚な姿勢を保っていることが見て取れる。

 

 謙虚な歌い手が競い合う中で、カラオケバトルの素人たちが世間の人気を集めてきていると言える。

 

 同様に、謙虚さのない言動をする芸能人、評論家、政治家、学者も徐々に消えていっている。

 

 トランプ大統領も日本での人気は低いはずだ。

 

 そして韓国だが、朝日発の慰安婦問題を歴史的事実と偽って日本に謝罪せよと迫り、安倍と朴との国際的合意を反故するなど、これもゲスキノコの時の理不尽さと重なる。

 

 日本人とて完璧ではないにしても、一定レベルの民度を下回るゲスさについては、もはや付き合う相手とは見なさなくなっている。

 

 事務所を解雇されたゲスと同様に消えて当然と思われる。

 

 

 

「カラオケバトル」は良い子が多い

 小学生の娘が好きな「カラオケバトル」。

 

 夜はこの番組の録画を流しながら寝入ることが多いが、私はどうも好きになれずにいた。

 

 まず、どの出場者も上手いのだが99点台の勝負に意味があるのか? 92点や93点を争った過去は何だったのか? 今の時代の99.75や99.68を争う勝負がどうにも胡散臭く感じる。実は番組上層部の胸三寸で得点が決まっていて、公平に機械が採点していない疑惑がつきまとう。

 

 そうはいっても出場者の多くは機械による採点だと思って本気で挑んでいるようだ。

 

 余談だが前節に出た漫画「ハード&ルーズ」では、カラオケについてこういう下りがある。「誰もが異様にうまい。けど感動とは無縁なのは何故でしょう? 答えは簡単だ。管理社会は徹底されたのだ」

 

 そして、正しい歌唱法として忌野清志郎桑田佳祐ボブ・マーリーのような魂の歌を肯定する。

 

 しかし、1980年代後半のこの漫画がおそらく予想していない展開で、2010年代半ばから「カラオケバトル」が台頭した。そして現在活躍しているのは、堀結衣や鈴木杏奈、安大智、前田真弥など、非常に性格の良い、模範的な青少年が大活躍している。不思議なほどだ。

 

 1980年代当時、高度工業化社会の流れで管理社会が進んだ結果、カラオケ上手な社員が多数発生した一方、ブルーハーツの甲本やエアバンドゴールデンボンバーなど異端児も出てきた。やがて経済成長が鈍化した中でカラオケの位置づけも変わった。

 

 さらにヒット曲も出てこない中、まだ管理されていない中高生やニートのせびっちゃマンボなどが高得点を出して一般サラリーマンよりも上に立つという現象が生じた。

 

 視聴率や実際の人気度から見る限り、現代の音楽界の最先端に立っている人は、アーチストでもミュージシャンでもなく、こういった性格の良い素人になってしまった。

 

 

「ハード&ルーズ」という野良猫を描く作者は野良猫ではない

「漫画読破! EX」に「ハード&ルーズ」が4巻まで入っており、久々に読んだ(全て無料)。  

 

 1986年3月の「FMステーション」巻末のインタビューで、織田哲郎が愛読書に挙げていた2巻の表紙の絵を見て興味を持ったのが最初の出会いだ。

 

 

  読むと非常に面白かったので1巻も買い、その後数年間、最後の7巻まで買った。高校時代を通じて大変な悪友を持ったものだと今では思う。

 

 主人公・土岐正造は神田のビルの1室の事務所で寝泊まりする35歳独身の私立探偵。この年上の男に社会の裏側や下側を学び、自分も東京に出た。

 

 現在、土岐正造より10歳も年上になった。今の自分はどんなふうに土岐を見るのか? 改めてスマホで読んでみた。

 

 その前に、20代の半ばに一度「ハード&ルーズ」の呪縛から抜け出たことがあった。その時はこうまとめた。「この漫画は、飼い猫よりも野良猫をすすめている」と。

 

 野良猫・・・土岐正造35歳、決して飼い猫にはならない元捨て猫。

 

 飼い主に不満を持つ飼い猫はこの野良猫に影響を受けた。そして、「泳げ! たいやき君」のように脱走した。

 

 

  しかし、たいやき君が最後は釣り人に食べられたように、野良猫の多くも空しく終わる。飼い猫が飼い主に何らかの爪痕を残すのと違う。

 

 いま私は、この年下の神田の探偵と久々にバッタリ出会った。おそらく山中で見覚えのある野良猫に会った感じなのだ。すると、こちらの思いとは関係なく野良猫は再び山中に消えていった。

 

 今でも飼い猫の悪口を言っているのだろう。

 

 どちらが幸せかは猫それぞれだが。

 

 捨て猫を拾って可愛がってくれる飼い主にもし出会えたらそれも良いではないか。

 

 この作者もそんな出版社と読者に生かされ、定期的に描いてきた、実は飼い猫のうちの1匹なのである。