異説ショー

主サイト(ツインサイバーシステム)に載せていない異説を中心に紹介します。

(哲学の転回)知られずに終わってゆく

知的遊戯と言ってしまえばそれまでだが、

哲学史上の有名な言葉をひっくり返すのは哲学的に非常に意義のあることである。主なものを3つあげると、

 

1,「観念の連合には類似、近接、因果がある(ヒューム)」に対して、「観念連合の分断には相違、遠隔、意外がある」

 

2,「神は死んだ。これからは超人だ(ニーチェ)」に対して、「神は死んだ。超人も死んだ」

 

3,パースの「記号」に対して「手段」(デジタルとアナログ)

 

 以上1つ1つに詳しい説明が必要だし、他にもたくさんあるが、今回述べたいことを1つだけに絞る。

 

 ヒュームもニーチェもパースも哲学史上は非常に重要な人物で重大なことを言っていることは確かなのに、それを上記のようにひっくり返したり広げたりすることは重視しなくて良いのか?

 

 私は自分の前に哲学好きを自称する人が現れると必ず上記の話をぶつける。説明不足なのかもしれないが、たいていの人は反応しない。確かにという言葉を聞きたいが出て来ない。そしていなくなる。

 

 あと何年生きるか知らないが多分反応がないまま終わる。そして観念連合分断は消えてなくなる。超人が死んだ話もなくなる。記号論(デジタル)に対する手段論(アナログ)もなくなる。なくなって、誰も知らないまま世界は続く。

 

 大哲学者16人が整って配列されることも、ニーチェソクラテスより前のギリシャ哲学に共感した理由も、誰も知らないままになる。

 

 そんなものなのか。

 

 ヒュームの葬儀委員長を務めた12歳下のアダム・スミス近代経済学を通じてヒュームの哲学が浮上した。

 

 ニーチェには妹がいたから、この妹が兄の真価をどこまで知っていたか分からないが死後広まり、次の世紀も影響を与え続けた。

 

 パースも生前はパッとしなかったがジェームズやデューイがプラグマティズムの始祖として持ち上げたから真価が注目された。

 

 そう考えれば、はるか未来に誰か現れるのだろうか。