草分け中

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例えるなら逆サイドを活かさないサッカーのような現代の閉塞状況

 今日のニュースを見ると、中高年の引きこもりが全国に61万人もいるという内閣府の調査結果があった。ネット民の反応の上位には、こんなに労働可能人口がいるのにそれを活かさず外国人労働者を入れる安倍内閣って何?という書き込みがあり、賛同者が非常に多かった。

 

 政府に言わせれば、61万人とは確かに多いが、どうしようもないから外国人を入れるんだという一種の開き直りなのだろう。その後、他の国々のように治安や選挙など様々な問題が起きても責任を取らないつもりか。

 

 この問題は、哲学や思想、考え方、価値観まで遡らなければならないと解決しないと思う。つまり、これらが変わらない限り今後も引きこもりは増え続け、100万人を突破するのも近いのだが、多くの人々が変えるつもりがまったくない。

 

 変えるには、今まで述べてきた通り西洋哲学史の流れに沿って従来出てこなかった新しい考え方を導くべきなのだが、そうした手法を誰も取らず、教養は軽んじられ、哲学者(輸入して読んで翻訳する人を除く)は遠ざけられいる。

 

 さて、本題に入ろう。18世紀イギリスの哲学者ヒュームの観念連合の哲学から始まる英米系哲学は、「知覚→印象→単純観念→複合観念」の流れを持つ人間知性をより高度な複合観念に導くために議会政治や競争経済による練磨を重視した。

 

 一方、ドイツのカントはヒューム哲学に驚きながらも二律背反に行き着くところに着目したものの、「世界は必然である、偶然である」や「世界は有限である、無限である」「神はいる、いない」などの矛盾は実在的ではないという言い方で退けた。次にヘーゲルは、カントの二律背反を評価しながらもその解決法は否定し、「正-反-合」の弁証法で人類の理性は拡大していくとした。そしてマルクスはこれを唯物論に言い換え、競争のない共産主義社会の実現を予想した。

 

 しかし1989年に共産主義陣営は敗北した。では資本主義陣営が勝ったかというと、競争の激化のために更なる規制撤廃を叫ぶ新自由主義も失敗し、その結果の1つが上記の引きこもりなのである。実際、競争の勝者については英米系哲学は成功例として能弁だが、敗者については無視している。

 

 本ブログが重視する補ヒュームという考え方は、観念連合が行われると同時に起きるもう1つの現象に注目せよ、というもので、それは分断でもあれば、何とも連合しない個性だったりする。数学では補集合、サッカーでは逆サイド、国旗では日の丸の外の白い部分、卵でいえば白身。選考から漏れた落選作品は全て無視すべきか? 否である。

 

 実は、ヘーゲル哲学も合という複合観念を重んじている点では、ヒューム支持者と同じであり、実存主義者たちも単独者たる個人しか重視しない点では補ヒューム的には物足りない。

 

 頂点や当選作品だけの従来型の価値観では、これからも引きこもりは増え、地方はさびれる。しかし、補ヒューム哲学に切り替えれば、61万人の引きこもりは徐々に減り、地方は活力を取り戻す。需要の変化によって起こる産業構造の転換に柔軟に応じて人材や資源がスムーズに移動することが普通になる。

 

 膠着したサッカーの試合で、ノーマークの逆サイドにいる61万人にパスを出す考え方であり、パスを送っても無駄と考える限り膠着は解決しない。